ごんつまのあかるく・たのしく♪

単調な毎日のなか・・・
嬉しかったこと、楽しかったことなど・・・

清和源氏ゆかりの社寺「多田神社」①

2021-09-04 10:07:23 | お出かけ・兵庫県 川西市

朝まで降っていた雨も上がってどんより~曇り空の阪神地方です

 

それでは・・・

「道の駅 いながわ」の帰り道に立ち寄ったのは、川西市にある「多田神社」清和源氏ゆかりの社寺。

 

私は免許を持っていないので、車の席は助手席です~

なので・・・寄りたい所があっても寄れません~

 

篠山方面へ行くときに「多田神社」の案内板を見ると、「あっ!ここから多田神社は近いの?」とか・・・

「多田神社、長いこと行ってない・・・」と私が呟いていましたが聞き流されていました、、、

(割とよく出かけてくれますが、目的地以外あまりあちらこちらへは寄ってくれません

この日は、突然!「多田神社行きたいんやろ?」と立ち寄ってくれました

 

駐車場から下りて行くと

川の流れが速い~

多田神社は、30年ほど前に初詣に行ったきりです、、、

「南大門」から

下を振り返って

入ります~

「川西市HPに・・・天禄元年(970年)、源満仲は多田神社の前身である多田院を建立。今の建物は、徳川4代将軍家綱によって再興されたものです。
 神聖な雰囲気に包まれた神社一帯は、国の史跡に指定されており、本殿、拝殿をはじめ国や県の指定を受けている文化財が多数あります。源満仲、頼光、頼信、頼義、義家の五公が祭られています。本殿のまわりには、珍しい椿が何本も植えられ、赤、ピンク、白などさまざまな花を咲かせます。」と・・・

多田神社HPよりお借りしました

当神社は、天禄元年(970)に創建され、
元多田院とも、また、多田大権現社とも言われ、
明治の神仏分離令により多田神社になりました。

 御祭神は、第五十六代清和天皇の曾孫贈正一位鎮守府
将軍源満仲公をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公
をお祀りしています。源氏発祥の地である多田は、源満仲公が
摂津国一の宮住吉大神の御神託を受けてこの地に館を構え、
荘園開発及び武士団を構築しました。子孫である清和源氏
一門は繁栄を重ね、鎌倉・室町・江戸と約700年に亘る
武家社会の担い手となったのであります。

 五公が国家の重臣として尽くされた功績は我が国史上
鮮やかに輝いています。

 当社は、武運長久の勅願社として、又家運隆昌、
勝運厄除の守護神として
崇敬されている神社であります

 

 天禄元年(970年)、源満仲は多田神社の前身である多田院を建立。今の建物は、徳川4代将軍家綱によって再興されたものです。
 神聖な雰囲気に包まれた神社一帯は、国の史跡に指定されており、本殿、拝殿をはじめ国や県の指定を受けている文化財が多数あります。源満仲、頼光、頼信、頼義、義家の五公が祭られています。本殿のまわりには、珍しい椿が何本も植えられ、赤、ピンク、白などさまざまな花を咲かせます。

 

「手水舎」

 

社務所前から

「隋神門」

「宝物殿」

の前に・・・

左側にも!

「隋神門」

右に

左は

上に

森閑としていて・・・

参拝する人も少なくて・・・

「遥拝所」

「政所殿」

「拝殿」

拝殿の奥に「ご本殿」

 

多田院の鳴動について

奥に「神馬舎」

大きな「唐椿」

大輪の椿!見てみたいです、、、

ご本殿へは行けません

「神馬舎」

ここから戻りますが、画像ばかりですがたくさん撮ってきたのでつづきます~


川西市「歴史民俗資料館」

2021-08-23 15:46:04 | お出かけ・兵庫県 川西市

先週金曜日に10日ぶりの日差しが・・・

長く続いた雨 いささかうんざり~でしたが・・・

次の日、土曜日は曇り空で、「川西郷土館」を調べていて知った「歴史民俗資料館」へ・・・

我が家からは近くなのですが、土・日・祝日だけの公開!やっと行ってきました~

 

一庫ダム建設で水没前に移築され、復元された民家を見学してきました。

「歴史民俗資料館の詳細について」

歴史民俗資料館

 

 美山台3丁目の深山池公園内にたたずむ古い民家2棟は、兵庫県指定重要有形民俗文化財の旧福田家住宅と旧下堂家住宅で、これらを展示、公開しているのが、川西市歴史民俗資料館です。
 この2棟は、現存する民家としては市内で最も古く、以前は国崎に建っていましたが、一庫ダム建設で湖底に水没する前の昭和53年(1978年)に現在の深山池公園内に移築、復元されました。
 この2棟は、江戸時代の山村での生活をうかがい知ることができる貴重な建物です。

 

旧福田家住宅(江戸時代中期)

 旧福田家住宅は、建物内から見つかった祈祷札に書かれた年代から、江戸時代中期(今から約300年前の宝永8年,1711年頃)に建てられたことがわかる民家です。
 

 

旧下堂家住宅(江戸時代後期)

 旧下堂家住宅は、正確な時期は分かりませんが、江戸時代後期(今から約200年前)に建てられた民家です。(川西市HPより)

深山池公園から入って行くと!

すぐに!

受付もなく・・・

係りの方がお一人

ご挨拶だけして・・・

「旧下堂家住宅」

江戸時代後期の小規模な民家。

奥に「かまど」

中へは入らず、外観だけ

右回りに・・・

木の根っこに 

なぜか・・・じーーんときました、、、

農機具が

一回りして・・・

「旧福田家住宅」

17世紀~18世紀初頭の建築らしい・・・

こちらも一周します。

座敷

コンセントはあるのですが、灯りなくて・・・

裏へ

日が当たらなくて

すごい湿気です。

台所

「にわ」

にわにスキやクワ

縁側から

室内はひんやり~

暑い夏も過ごしやすいでしょう

大河ドラマや時代劇で観ていた、江戸時代後期の農家の間取りを知り、雰囲気を感じてきました~


「川西市郷土館・旧平賀家住宅」映画「繕い裁つ人」ロケ地♪

2021-05-31 16:23:14 | お出かけ・兵庫県 川西市

こんにちは~

 

川西郷土館の記事がつづいておりますが、本日二度目の投稿です

最後に廻った「旧平賀家住宅」

映画「繕い裁つ人」のロケだけではなかったのです。朝ドラ「マッサン」に「カーネーション」も!!!

カーネーションは再放送をチラ見程度でしたが、マッサンは毎日観ていました

どのシーンだったのかな まずは拝見して・・・

入ってみましょう~

玄関に 

スリッパに履き替えて上がります!「寝室」

暖炉・寄木細工!

旧平賀家住宅は、平賀義美博士が大正7年に猪名川沿いの川西市小戸に建設した、イギリスの田園住宅の形式を極めて良く遵守した住宅です。平賀博士は、安政4年(1857年)に福岡県で生まれ、東京大学を卒業した後、関西財界の振興に尽力され、多くの公職及び財界団体の要職につかれていました。イギリス等欧米に外遊7回を重ねられ、このことが旧平賀家住宅の建築意匠に反映されることになりました。施工は、鴻池組があたりました。
 外壁は小石の洗い出しで、基礎はみかげ石積み。洋小屋スレート葺きの屋根のかかった平屋の建物です。外観は出窓と煙突がアクセントとなっています。内部は、客間・書斎・寝室等の部屋が配され、出窓・暖炉が付けられ、イギリス流の形式を忠実に守っています。また、二重窓など合理的な設備と的確な装飾で引きしめるなど、端正で洗練された意匠で統一されています。大正期の住宅の典型として、日本の近代建築史上重要な建物といえます。
 その他、平賀博士が化学者であったことから実験研究棟と旧邸内にあった東屋・門・橋・胸像なども移築し、復元しました。(HPより)

このシーン、心に残っています 

2階へ・・・

二重窓まったく外は見えません。

書生部屋

 

ステンドグラスチューリップ

下手な写真で上手く伝わりません~ ので・・・

お借りしました旧平賀家住宅 に対する画像結果

庭園に

しっとりと落ち着いた佇まい

 

大正8年に建設されたイギリスの田園住宅形式の建物、異国情緒に浸ってきました

(床一面の市松模様のタイルを撮っていなかったのが残念~

 

旧平安家住宅(全体)

川西市郷土館のことを知り見学をして、固くなっている脳に新しい知識が入り脳の活動を促す機会ができました~

緊急事態宣言も延長されたなか、身近なところで新しい発見はとてもうれしく!いい気分転換になりました


「川西市郷土館・平安精錬所跡~ミューゼ レスポアール~アトリエ平通」

2021-05-31 10:09:27 | お出かけ・兵庫県 川西市

おはようございます

 

    きょうも快晴です~最高気温は28℃の予報!

     爽やかですが陽射しに注意です、、、

 

それでは「川西郷土館」のつづきを・・・

「旧平賀家住宅」(最後に回ります)の横から

左の建物が「ミューゼ レスポアール」正面に「平安精錬所跡」

奥の方にもありますが行ってなくて・・・

平安製錬所跡

 
 現在、旧宅を川西市郷土館として公開している平安家は、多田銀銅山最後の製錬所として昭和初期まで操業していました。
 多田銀銅山は、兵庫県川西市・猪名川町・宝塚市から、大阪府能勢町・豊能町・箕面市・池田市にかけて鉱脈が広がっています。採掘は平安時代後期に能勢町の地域で始まりますが、川西市国崎地区の奇妙山神教間歩から奈良時代に東大寺大仏の銅を産出したという伝説もあります。最盛期は、安土桃山時代の豊臣秀吉による経営から江戸時代前期にかけての頃で、猪名川町銀山地区を中心に、川西市郷土館周辺の山下町下財屋敷も製錬町として栄えました。
 下財屋敷北部の平安家は明治以降も製錬を行ない、大正時代には新たに近代化された製錬所を旧平安家住宅の北東側に建設し、昭和10年頃まで操業していました。製錬所は溶鉱炉・真吹炉・送風機小屋・煙突からなっていたことが、発掘調査や聞き取り調査から明らかになっています。しかし、溶鉱炉や送風機等、近代化された施設を持つとはいえ、製錬の仕上げは近世以来の真吹炉が用いられていました。当時転炉を導入した近代化製錬所はすでにあり、これに比べると伝統的な小規模製錬所といえます。

(HPよりお借りしました)

「ミューゼ レスポアール」へ

2階では、川西市居住の「青木画伯」「平通画伯」の遺作を展示しています。

「旧平賀邸」の東南に

「アトリエ平通」

故平通武男画伯・故金子夫人の意向を受けて、市内花屋敷の土地・建物の売却額及び遺品の寄贈が川西市にあり、それをもとにアトリエを再現。

兵庫県産木材を使用し重ね梁工法を用いて建築しています。

6月に石こうデッサン教室が開かれるそうです。 

奥に立派な門が

この先へは行けません、、、

親柱の展示

それでは・・・

映画「繕い裁つ人」のロケ地「旧平賀邸」へ・・・

つづきます~


「川西郷土館・旧平安家住宅」

2021-05-30 22:01:41 | お出かけ・兵庫県 川西市

こんばんは~

 

    きょうは五月晴れの爽やかな風~いいお天気で

     引き籠っているのがもったいなくて歩いて来ました~が、そのことはのちほどにして・・・

      その前に・・・初夏の陽気だった昨日のことを・・・

1カ月ほど前に、JR川西池田駅コンコースで見かけた

神戸・阪神・播磨・丹波・淡路、五国の「兵庫おとなの遠足」お出かけ情報満載です!

そのなかに、近くなのに知らなかった「川西市郷土館」 を発見!でしたが・・・その時は休館中

 「川西市郷土館は、銅の製錬を業としていた旧平安家住宅を利用して、昭和63年11月に開館しました。ついで平成2年11月には、川西市内の小戸地区にあった洋館の旧平賀家住宅を移築復元しました。平成7年11月には、青木・平通両画伯記念館として、ミューゼレスポアールをオープンし、同時に旧平安家住宅において、一色八郎氏のコレクションである箸の展示室を鉱山資料展示室とともに公開しています。平成22年2月には、平通画伯のアトリエを再現したアトリエ平通をオープンし、絵画教室等を行っています。
 郷土館では、通常の施設公開のほかに、各種講座、コンサート、イベント等を開催しています。
 旧平安家住宅と旧平賀家住宅は、国登録有形文化財(建造物)に登録されており、旧平安家住宅は兵庫県景観形成重要建造物に指定され、旧平賀家住宅はひょうご近代住宅100選に選ばれています」

そのうちに・・・と・・・先日!HPを調べてみると!「開館のお知らせ」

 川西市郷土館は、緊急事態宣言の発令に伴い臨時休館しておりましたが、5月12日(水)より感染防止対策を徹底のうえ開館することになりました。イベントや講座は、収容人数を定員の50%以下とし、3密の回避及び手指消毒やマスク着用など感染予防を徹底して、下記の通り開催いたします。今後の状況により開催に変更(中止や延期)がある場合は、ホームページでお知らせしますのでご注意ください。」

出かけてきました~ 我が家から30分ほどで到着!

郷土館の前の通りに

65歳以上は150円

二人で一人分の入館料

「旧平安家住宅」から・・・

「旧平安家住宅は、この地方の伝統的民家の特徴と、明治以降広まった数寄屋風の造り、そして技術的な革新と近代性を備えた建物として、大正中後期に建てられました。 
 主屋は、土間に沿って三間が並ぶ六間取りの平面構成で、細部意匠もこの地方の伝統と考えられます。素材は桧と欅が中心で、しかも無節の厳選されたものが使われています。 
 玄関部分には接客用の部屋(現在の事務室)があり、接合部に金属の補強が見られるなど、近代的特徴が見受けられます。また、中庭に面した屋根を一文字瓦葺とするほか、廊下や縁側に化粧垂木を用い、床柱にも銘木を用いるなど、数寄屋風の造りがうかがえます。 
 全体としては、中庭を取り囲むように、蔵4棟、はなれ座敷・浴室が配置されています。その外の東側に米蔵・納屋が南北一列に並ぶ二重の構成をもった大きな屋敷で大正期の生活をうかがい知ることができる貴重な建物といえます」(HPより)

入ると接客用の部屋が事務室・受付です。

上がって・・・

松の柱

欅の柱無節の厳選されたものです。

大きな神棚

 

          台所横の座敷に

作った料理はこの上の棚へ・・・

風が通って保存が良いと・・・なるほど!いいアイデア~

今の季節に合わせて取り換えられたところらしい・・・紫陽花に菖蒲が風情があって

 

奥に蔵があります

中庭に面した屋根は一文字瓦葺き。

仏間

小窓の上

継ぎ目なしの一枚板

長い廊下、10m!!!

南側の庭

廊下の扉・一枚板です~ どれだけ大きな木が使われたのでしょうか、、、(他にも3枚ありました)

顔を洗うために水をためて

左の丸いところは痰をはいて、洗った後の水を流すらしい、、、節水!なのです、、、

それで、洗面所と手洗いが別々にあります。

 

南あわじ市で製造されたタイル。

蔵の中は

六角箸を考案された、一色八郎氏の「箸のコレクション」

手を使うことが脳の発達を促すとした箸に着眼された!と

祝箸に塗り箸、神社の贈与箸など

たくさんの種類の箸が展示されてます。

横に

中庭を取り囲んむように

蔵4棟、離れ座敷、浴室が配置されてます。

外に出ます!

「鉱山資料展示室」

平安精錬所で用いられた道具類や発掘調査の成果が展示されてます。

多田銀銅山最後の精錬所だった、平安精錬所です。

展示室の見学を終えて、次へ・・・

平安精錬所跡へ廻ります。が・・・長くなりますので、つづきます~