気温が低く肌寒い「勤労感謝の日」です
が・・・家事にお休みはないのです、、、朝からせっせと頑張りました~
それでは・・・「満願寺」昨日のつづきを・・・
石段を上がって素晴らしい眺め~
「鐘楼」
「観音堂」
「地蔵尊」と「不動明王」
「金堂」
願いが叶う満願寺
『伽藍開基記』によると創建は、奈良時代(神亀年間724~728)、「信者すべての願いは必ず聞き届けるという満願の仏の功徳をもって大衆を救おう」と発願されました。そして全国に満願寺建設をすすめられた聖武天皇(第45代天皇)の命により、勝道上人(諸国に満願寺を建立した)が摂津国の満願寺として千手観音を本尊に開基したと伝えられています。のちの安和元年(968)源満仲が多田に館を構えて以来、国家安泰を祈って帰依し、源氏一門の祈願所になりました。(HPよりお借りしました)
金堂の奥に・・・
「弘法大師像」
「三廟」
右に、多田神社へつづく道
川西市「多田神社」とのつながりで(多田源氏の祈願所でもある満願寺)川西市の飛び地にあるらしい・・・
「毘沙門堂」
奥に「坂田金時のお墓」が!
「稲荷社」から・・・
「坂田金時の墓」と
奥に「四国八十八か所」右は「里山」があります。
金太郎さん!です~でお馴染み
「坂田金時」調べてみると!
動物とたわむれる姿が童話や童謡で有名な金太郎にはいくつも伝説が存在します。 そんな金太郎は天暦10年(956年)5月に生まれました。金太郎は足柄山で熊と相撲をとり、母に孝行する元気で優しい子供に育ちました。
そんな金太郎に転機が訪れたのは天延4年3月21 日(976年4月28日)。金太郎は足柄峠にさしかかった源頼光と出会いました。そこで金太郎の力量が認められ頼光の家来となりました。その後、金太郎から坂田金時(きんとき)という名に改名し、源頼光と共に京にのぼり頼光四天王の一人になりました。
ちょうどその頃、丹波の国の大江山(現在も京都府福知山市)に住む酒呑童子(しゅてんどうじ)が都に現れては悪いことをして民衆を困らせていました。
寛仁元年(1018年)3月、源頼光と四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武、藤原保昌などの強者の家臣)たちは酒呑童子を退治するために大江山に向かいました。源頼光と四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武、藤原保昌などの強者の家臣)たちは山伏に身をかえ神変奇特酒(眠り薬入り酒)を使って酒呑童子を退治し無事、最大のミッションを終えました。
寛弘8年12月15日(1012年1月11日)九州の賊を征伐するため築紫(つくし・現在北九州市)へ向かった坂田金時ですが道中、作州路美作(みまさか)勝田荘(現在の岡山県勝央町)にて重い熱病にかかり死去してしまいました。享年55才でした。(HPよりお借りしました)
こんな近くにお墓が!あったとは・・・
この奥にある「四国八十八か所」には参拝せずに境内へ戻ります。
この渡り廊下は「本坊」へつづいているようです、、、
急な石段なので
なだらかな坂道から下りて行きます
先ほど食事をした「縁」の庭に出ました~
参道の素晴らしい紅葉を眺めながら・・・
戻ります~
裏には「天悲門」
表に「神秀山」
我が家からは30分足らずのところにある「満願寺」
以前、宝塚・阪急電車・山本駅から「最明寺」へハイキングしたときは「あっ!こんなところにお寺がある」と・・・
立ち寄らずに・・・
こんなに素晴らしい紅葉が楽しめるお寺だったとは!
春になれば、「里山」や「四国八十八か所」巡りを!!!
また一つ!楽しみができました!