こんにちは~
きょうも暖かい陽ざしが届いていいお天気です~
それでは、福知山城をあとにして、お城通りを散策しながら「御霊神社」へ・・・
お城通りからの「福知山城」
お城を眺めながら
裁判所に梅が咲いています
「福知山市役所」
市役所の南の丘が「三の丸」ですが、立ち寄らずに・・・
市役所を過ぎて・・・お城通りを北へ・・・
あちらこちらと ゆっくり歩いて20分ほどかかりました~
到着~
御霊神社は宝永2年(1705年)に創祀された宇賀御霊大神と明智光秀公を祀る稲荷社。
宇賀御霊大神は五穀豊穣・商売繁盛の神様ですが、明智光秀公の霊を合祀しているため御霊神社と言われています。
元々光秀公を祀る寺が別の場所にあったそうですが、朽木植昌の時代に光秀を合祀したそうです。一般には「逆賊」のイメージが強い光秀ですが、諸豪が入り乱れる丹波を平定してこの地を「福知山」と名付け、城下町を造って治水工事も行い、地誌を免除するなど善政を行った光秀公の御霊を慰めるために祀ったわけです。(観光案内より)
明智光秀直筆の書状や、光秀の定めたとされる軍団の規律や軍役の基準を記した全18条からなる「家中軍法」もここに収められてます。
「包丁刃物神社」
「堤防神社」
「恵比寿神社」
「叶石神社」
願いが叶う「叶石」家族の健康と私の健康をお願いしてきました。
「ご神木」
本社を御霊神社と云うのは明智光秀公を祀ったことに由来しています。光秀公は織田信長公を倒したことから逆臣の名を史上に遺していますが、彼は丹波に於て諸豪が所々に割拠していたものを平定しその拠点として福知山城を修造し、由良川に長い堤防を構築して其流路を転じ、氾濫を防ぎ、ここに城下町を建築するに当たっては地子を命ずるなど、種々善政を施したので郷民は悦服しました。生前人々に慕われて居たものが冤罪(エンザイ)を蒙った様な場合に、その御霊を慰めようとした御霊社が各地にあり、本社もその一例であります。(御霊神社HPより)
福知山の民衆にとっては特別な存在なのです、、、
私自身大河ドラマ「麒麟がくる」を観て、明智光秀=逆賊のイメージが消えて、素晴らしい町づくりをした智将であったことを改めて知りました。
駐車場の「ゆらのガーデン」へ
お城を眺めて戻ります
「福知山城」をあとに、足を延ばして舞鶴へ・・・
「舞鶴とれとれセンター」
7、8年ぶりかの「とれとれセンター」です。
道の駅
新鮮野菜はほとんど売り切れ~
お寿司を食べて、お土産を買って帰途に・・・
日帰りでしたが、小旅行をした気分~です