ごんつまのあかるく・たのしく♪

単調な毎日のなか・・・
嬉しかったこと、楽しかったことなど・・・

「神戸市立森林植物園」①メタセコイア並木~長谷池~青葉トンネル

2023-10-31 15:51:36 | お出かけ・兵庫県 神戸市

ポカポカと過ごしやすいいいお天気~で22℃

このぐらいの気温がつづいてほしい~

 

福井旅行記がやっと終わって一段落いい復習になりました~

先週、画像アップロードができなかった土曜日。

そろそろ色づき始めているだろう~と出かけた「神戸市立森林植物園」

いつもは手前に停める駐車場ですが、この日はメタセコイア並木に行く予定で奥のほうへ駐車!

メタセコイア並木を歩いて・・・

黄色くなってきて

振り返って

「森林展示館」前に

「森林もみじ散策」が開催された初日です!

ということは・・・すこし期待できそう~かな

夕暮れになると素敵でしょう、、、

「あじさい坂」から

風情があって

色づいてます~

「ヒヨドリバナ」

「ツワブキ」

「モミ」

ナラ枯れ防除対策がされてます

「長谷池」に来ました!

「森の売店」から「北アメリカ区」へ・・・

「ラクウショウ」

ほんの少しの色づき始めを見つけて

紅葉しているのを見つけると

やはり・・・今年の紅葉は期待できない様子、、、

「長谷池」

を左に見て、「北アメリカ区」へ進みます

「藤」

これを見るとマムシを連想します、、、

先に行くと!

この先に行ってみます!

「北アメリカ区」

行かずに、真っすぐ!「青葉トンネル」へ・・・

「青葉トンネル」が見えてきました~

久々の光の演出を愉しみます

画像ばかりですが長くなりますので、つづきます


福井へ二泊三日の小旅行⑨三日目は「滋賀県・長浜~竹生島(ちくぶ島)」

2023-10-30 16:40:28 | 旅行

きょうは最高気温20℃ 柔らかな日差しが暖かい午後です~

9回までつづいた旅行記!今日で最終回!

長い間、お付き合いくださいまして有難うございます

画像が多くて長い記事になりますが、よろしくお願いいたします。

 

「竹生島クルーズ」

長浜港 観光船のりばから出航!

白い建物が宿泊したホテル

長浜港をあとに・・・

30分の船旅を楽しんでいると!

「宝厳寺」が見えてきました

「竹生島」近年は琵琶湖第一のパワースポットとして注目を集めています。「深緑竹生島の沈影」として琵琶湖八景の一つ

船を下りると目の前に→

竹生島は、周囲2㎞の琵琶湖で沖島に次ぐ2番目に大きい島です。島の名は「(神を)斎く(いつく)島」に由来し、その中の「いつくしま」が「つくぶすま」と変じ「竹生島」になりました。

また、「竹生島」という漢字は、島の形が雅楽などで使われる楽器の笙(しょう)に似ていることからつけられたという説などがあります。

琵琶湖八景のひとつに数えられ、平家物語『竹生嶋詣』や謡曲「竹生島」にも神秘的な美しさを秘めた島として登場し、千年を経た今日でも、その姿は人々をひきつけてやみません。

竹生島に上陸し、165段の石段を登ると見えてくる大きな建物が宝厳寺です。本尊は弁才天で、江ノ島、厳島とともに三弁才天と呼ばれています。また、宝厳寺観音堂は西国33所観音霊場の30番目の札所として今も多くの方が訪れます。
舟廊下を渡ると都久夫須麻神社。本殿(国宝)は、伏見城の遺構とされ襖や柱、欄間に桃山美術を見ることができます。特に、襖絵、天井画は、狩野光信の筆と伝えられています。平家物語にもでてくる拝殿からはかわらけ投げができ、素焼きの小皿に願いを書き岩場に立つ鳥居に向かって投げ、鳥居をくぐれば願い事が叶うといわれています。

★日本遺産★~水と祈りの文化~

都久夫須麻神社本殿と宝厳寺が祀られており、宝厳寺の弁才天は日本三弁天に数えられています。古来より、浅井姫命が鎮座し、水神として崇められ、付近を通る船の安全航路を守る神として地域に根付き、今でも琵琶湖に浮かぶパワースポットの島として、多くの人が訪れています。(滋賀県観光情報サイトより)

売店前を通って・・・

拝観料金を券売機で購入

宝厳寺と都久夫須麻神社が祀られています。宝厳寺の本尊は弁才天と千手観音。弁才天は安芸の宮島、相模の江島とともに日本三弁天に数えられています。また、中世以来西国三十三所観音霊場の三十番札所として多くの参詣客で賑わっています。

右へ・・・

上に行かれる人が多いので・・・

竹生島港が下方に!

「観音堂」

上に上がると「本殿」前に

「日本五弁天」

「都久夫須麻神社の本殿」国宝に指定されています。 

建物は伏見城の遺構と伝えられてます。

 

「観音堂」

「舟廊下」

豊臣秀吉の御座船「日本丸」船櫓を利用して建てたと伝えられてます。

 

「唐門」

宝厳寺の唐門は秀吉の大坂城の唯一の遺構と伝わり、都久夫須麻神社の本殿とともに国宝に指定されています。

この先から

石段を上がり

「本堂」(弁財天堂)

三重塔へは行かずに・・・

膝が!!!

「唐門」前に戻って来ました

ここから上がるのが正しかったようで

右手から周ってしまいました、、、(ご利益ないかも・・・)

船着き場まで戻り、お腹も空いてきたので「近江牛まん」とコーヒーを

「琵琶湖周航の歌」の歌碑

帰ってから調べました、、、竹生島は4番!6番まであります。(1番だけしか知らなかったので、只今練習中

「直政」彦根港行き!井伊の赤備え船!かっこいい~

そうこうしているうちに「長浜港行き」が着岸!到着!

この後、長浜市内観光の予定でしたが、高速道路が混むので帰ることに!

今度はJRで来ることします、、、

時間の関係で省いたところもありましたが、主なところは廻ることができました、、、

時間の余裕をもって周った二泊三日!車での遠距離は年齢と体力的に多分・・・これが最後に!

夫・ごんすけさんに感謝しながら、この記事を書きました。

長らくお付き合いくださいました皆様!有難うございました


福井へ二泊三日の小旅行⑧「東尋坊」~長浜で近江牛焼肉♪

2023-10-29 16:52:15 | 旅行

昨日はまたまた!大失敗~

画像アップロードでクリック間違いをしたのか・・・

フォルダが消えてしまいました

色んな方法を試みましたが、なにせ・・・知識が乏しい~

昨日も今朝も挑戦しました やっと今!アップロードできました!

雄大な眺めの「東尋坊」と北びわ湖に浮かぶ「竹生島」へ観光船で行って来ました

今しばらくお付き合いください

それでは・・・「一乗谷朝倉氏遺跡」をあとに・・・「東尋坊」へ

一乗谷で時間を取りすぎて、着いたときは13時過ぎ!

途中の「三国湊」で海鮮丼の予定が立ち寄らず

駐車場横のお店で海鮮丼を!見た目よりも新鮮なお刺身で美味しく頂きました~

(画像は撮り忘れたのでありません~

商店街から

40年以上も前に観光しましたが、二人ともあまり記憶になくて・・・

お洒落なレストラン

「雄島」

雄島の手前まで行くのは無理~ この周辺を散策することに・・・

遊覧船に乗る予定が!乗り場の波が荒くて、乗り場が変更されています

遊覧船の観光も取り止め!

「雄島」

遊覧船乗り場は右下へ・・・

波が荒いようです~

遊覧船からだと、ライオン岩やローソク岩。大池の絶壁に雄島の板状節理が見えるのですが、残念~戻ります、、、

「東尋坊タワー」が!

駆け足観光になりましたが、きょうの宿泊地「長浜」へ

 

ホテルから見えた夕空とヨットハーバー

長浜のホテルは朝食付き!夕食は外食に・・・

外に出ると、ホテル横からの夕景

素晴らしい~サンセットが見られました~

「豊公園」から

「長浜城」前を通って

「長浜駅」

長浜はJRを利用して、日帰りで来たことがあります(何年前だったかな

まち歩きマップで見つけた!「焼肉 肉どうし」近江牛のお店

予約もせずに飛び入りですが、カウンターならOK!

陶器の焼肉コンロ

真っ赤に熾った炭が入りました。

キャベツにミンチを挟んで!

牛タン軟らかい~

生センマイ

上ハラミとバラ肉

とても美味しい~近江牛

白菜キムチ

このコンロが

外はカリッと焼いても中はジューシー

あとは、白ご飯で〆て、大満足の焼肉~でした、、、

来月には、大阪駅第2ビルでオープンされるらしい!ぜひ行ってみたい~

翌朝は

またいいお天気~

朝食はビッフェ

しっかり戴いて!「竹生島」へ・・・つづきます

 

 


福井へ二泊三日の小旅行⑦「一乗谷朝倉氏遺跡」復元町並

2023-10-27 16:37:49 | 旅行

きょうは下り坂のちの予報、雲が広がり、ブログを書いているうちに強い雨が!

「一乗谷朝倉氏遺跡」一乗谷川を渡ると復元された町並!

約400年前の戦国時代にタイムスリップ。

こちらは「北入場口」

入場料・70歳以上は100円!

一歩入ると!

雰囲気がガラッと変わって、土塀!

展示室へ・・・

特別史跡・特別名勝の二重指定は、全国で10か所らしい~

町並みの模型

細かいところまで造られてます。

さあ~町並へ・・・

平成7年にオープンした復原町並

約200メートルにわたる道路に面して整然と配置された武家屋敷と職人等の町屋からなる町並を、発掘調査で見つかった塀の石垣や建物の礎石をそのまま使用して忠実に復原したものです。また、建物内では、出土遺物から想定される人々の生活の様子を再現しています。

(一乗谷朝倉氏遺跡ポータルより)

画像ばかりになりますがお付き合いください。

「薬医門」

礎石の上に4本の柱を立てた薬医門。(上級武家屋敷)

 

通りはアスファルトで歩きやい~

発掘調査で見つかった塀の石垣や建物礎石がそのまま使われています。

「復元武家屋敷」

屋敷内へ・・・

「トイレ」

日本で初めてトイレが確認されたのが一乗谷です。

トイレと考えられていた穴はたくさん見つかっていますが、「金隠し」が出土したことで裏付けられました(パンプレットより)

室内の様子

物置のようです

「主殿」

「台所」

通りに出て、真向かいへ・・・

「棟門」

地面に2本の柱を立てる棟門。(中級武家屋敷に採用されています)

 

「夢舞台」

この頃から外国からのツアー客が増えてきました(観光バス3台)ちょっと混雑した箇所も!

右→

左側→

また通りを歩きます!

「商家」

武家屋敷から町家に至るまで、ほぼ各屋敷が井戸を持っています。

食器販売のお店

町並みには敵の侵入に備え、先が見通せないように、そした大人数が一直線に攻めてこられないように、

道はまっすぐ延びずT字路やクランクになっています。

 

戻ります~

 

「展示室」前に戻って来ました

色々イベントもあるようです、、、

面積:約7000㎡

復元町並の総工費:約6億7千万円 かかっています!が・・・

「特別史跡」「特別名勝」「重要文化財」と国の三指定を受ける、中世唯一の最大の戦国城下町。

京都の「金閣寺」、広島の「厳島神社」などと並び、全国で6例のみという。

歴史的価値の高さが伺えて、外国からのお客さまも多く来られ、とても素晴らしく大変勉強になった

「一乗谷朝倉氏遺跡」でした

次の観光場所「東尋坊」へ・・・つづきます


福井へ二泊三日の小旅行➅「一乗谷朝倉氏遺跡」平面復原地区~朝倉義景館跡

2023-10-26 16:21:54 | 旅行

きょうも青空の広がった洗濯日和です~

 

まだまだ続く福井旅行記です、、、二日目は朝食後出発「一乗谷朝倉氏遺跡」へ・・・

「一乗谷レストラン」駐車場から

春の北陸の旅 一乗谷朝倉氏遺構を訪ねる : 三道楽ノート

この日は、汗ばむほどの強い日差しが!

「平面復原地区」を歩き

標識が!

細かいことが解らないので想像しながら周って・・・

石が仕切りになって敷地が分かれているのでしょう。

町家群ですね、、、

行く途中に「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館」がありましたが、時間の都合で立ち寄らずに・・・

予習してから周ればもっと、よく理解できたのでしょう、、、

 

道路を挟んで左側へ

一乗谷川

「朝倉大橋」を渡って

「朝倉館跡」へ・・・

 朝倉氏は現在の兵庫県養父(やぶ)市出身の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主人の斯波高経(しばたかつね)に従って越前に入国しました。朝倉孝景の代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠地を移し、斯波氏、甲斐(かい)氏を追放して越前国(えちぜんのくに)を平定しました。以後孝景(たかかげ)、氏景(うじかげ)、貞景(さだかげ)、孝景(たかかげ)、義景(よしかげ)と5代103年間にわたって越前国の中心として繁栄し、この間、京都や奈良の貴族・僧侶などの文化人が訪れ、北陸の小京都とも呼ばれましたれ、朝倉氏は滅び、城下町も焼き尽くされました。(特別史跡 朝倉氏遺跡 特別サイトより)

「朝倉義景館跡」に・・・

「唐門」から

豊臣秀吉が朝倉景義弔うために寄進したと伝えられる門で、義景館の入口にあたる。

現在見られるのは江戸中期に再建された貴重なもの(ガイドブックより)

遺跡内へ・・・

きれいな鯉が!

 一乗谷は、福井市街の東南約10kmにあり、戦国大名朝倉氏の城下町の跡が、良い状態で埋まっていました。遺跡の発掘調査は、1967年から進められ、1971年には一乗谷城を含む278haが国の特別史跡に指定されました。また、1991年には諏訪館跡庭園(すわやかたあとていえん)、湯殿跡庭園(ゆどのあとていえん)、館跡庭園(やかたあとていえん)、南陽寺跡庭園(なんようじあとていえん)の四庭園が特別名勝に指定されました。さらに、2007年には遺跡出土品のうち、2,343点が重要文化財に指定されました。(特別サイトより)

調査員の方もおられます。

逆光で💦

右に、土塁と井戸

左→

奥に土塁が

うしろは山!

上は「湯殿跡庭園」

ですが、上がらずに左の「特別鑑賞スポット」へ・・・

真向かいに「唐門」

ガラス張りの床

「鑑賞スポット」から

「義景公墓所」

「湯殿跡庭園」

気になりますが、前日の階段の上がり降りとなだらかなでしたが石畳歩きが堪えています

 

「唐門」(西門)から

出て、

橋を渡ります~

蘇った往時の城下町「復元町並」を見学します、、、

後方に山、前に一乗谷川に土塁で囲まれた堅牢な館。戦国時代最強といわれたことが偲ばれます。

そして、昭和42年(1967)から始まった発掘調査で約400年ぶりに蘇った戦国時代の城下町を見てきました。

つづきます