ごんつまのあかるく・たのしく♪

単調な毎日のなか・・・
嬉しかったこと、楽しかったことなど・・・

明治37年建築・川西市黒川地区「旧黒川小学校(川西市黒川里山センター)」

2024-05-03 16:03:18 | お出かけ・兵庫県 川西市

ご無沙汰いたしました、、、

体調不良がつづき、気分もすぐれずパソコンの前に座ってもやる気が起きない日々を過ごしておりました、、、

気分転換に出かけたところの記事も更新せずにしており、日々が過ぎ遅ればせながらを!

 

出かけたところは、NHK連続テレビ小説「スカーレット」のロケ地にも選ばれた「旧黒川小学校」

「新棟」横から

「新棟」内部

「日本一の里山」に・・・

 「日本一の里山」と呼ばれる兵庫県川西市黒川地区でテレビドラマの舞台にもなってきた市立黒川小学校が、1977(昭和52)年に講じら

れた異例の「無期休校」措置から45年を経て、ついに廃校され

県内最古級の木造校舎などは2022年度に整備を始める「市黒川里山センター」(仮称)の一部になる。

市教委が3日の市議会厚生文教常任委員会で明らかにした。明治初期に設立した黒川小は、休校期間を含めて約150年の歴史に幕を下ろす。

(2022・3/4 神戸新聞NEXTよりお借りしました)

郷愁を感じます・・・

 

懐かしい~

地域の交流拠点「黒川里山センター」に!

「南校舎」から入って行きます~

 黒川地区では終戦の1945(昭和20)年をピークに人口が減り、77年には「一庫(ひとくら)ダム」の建設で校区の一部が水没することが決まる。

既に児童は19人になっていた中、市教委は閉校を検討するも「子どもが再び増えたら再開してほしい」という地元の声に応えて無期休校とした。

タイル張りの手洗い!

その後、現存する「北校舎」「南校舎」は公民館として活用してきた。

「北校舎」への渡り廊下

 しかし、昨年5月時点で、校区に小学中学年以下の児童や幼児はおらず、市教委は「将来的な少子化の傾向も踏まえると、

再開のめどは今後見込めなくなった」と結論付けた。センターの整備に合わせて廃校する方針を地域の説明会で伝えると、反対意見は出なかったという

渡り廊下の左へ・・・

「北校舎」

 2棟はいずれも木造平屋で、屋根は桟瓦ぶき。北棟は寄せ棟造りで、鬼瓦には 学舎まなびや を意味するという文字「黌」(こう)がある。

南棟は切り妻造りで、外壁は白 漆喰しっくい 塗り。その時代の和風建築の特徴が随所にみられ、2棟は渡り廊下で結ばれている。

(2023.11/20読売新聞オンラインよりお借りしました)

「黌」(こう)鬼瓦

左右にも「鬼瓦」

渡り廊下へ戻って「北校舎」へ

現在は「講座棟」に・・・

スリッパに履き替えて上がります~

展示されてます・・・

これは!元気が出ます

裏は山!

幼児向けの教室でしょうか?

 

奥の教室へ・・・

懐かしい~

がっちりと造られた椅子で

座り心地も

暫し・・・郷愁に浸って・・・

廊下の手洗い場

 

「一庫炭(菊炭)」

黒川地区は川西市最北部に位置し、大阪府に隣接する。豊臣秀吉や千利休が茶会で愛用した一庫炭(菊炭)を生産するために、クヌギを輪伐することでパッチワークのような里山景観を見ることができる。炭焼き技術も継承されており、「にほんの里100選」にも選ばれている。

 兵庫県は、平成21年(2009年)に県景観形成重要建造物に指定。

素晴らしい眺めが広がる見晴らしのいい~

再生プロジェクト!クラウドファンディング 目標2000万円!頑張ってほしい~


紅葉は終わって寂しかった~「神秀山 満願寺」

2023-12-10 21:41:16 | お出かけ・兵庫県 川西市

昨日も今日もポカポカ陽気日中はコートが邪魔になる暖かく陽ざしが強く感じる土・日で・・・

家に閉じこもっているのは勿体ない!と

一昨年、紅葉見ごろに出かけた「神秀山 満願寺」が、キレイだったのを思い出し・・・

今年は紅葉の見ごろが遅いのですこしは・・・残っているかな?出かけてきました~

満願寺は清和源氏ゆかりの寺です。

が・・・

ちょっと寂しそう~な・・・

「仁王門」

遅かったようです~

周りの山は

桜もモミジも!

既に終わっています、、、

が、お参りを!

 創建は奈良時代の神亀年間(724~728年)、古くは源氏一門の祈願所とされる寺。千手観音像・九重塔など国・県指定の文化財が多く伝えられています。また、金太郎のモデルである坂田金時の墓やサツキ、ツツジが美しい書院の庭園などみどころ十分です。(川西市HPより)

お寺ごはんの喫茶坊「縁」

このときで朝10時半!昼食には早いので立ち寄らず・・・

「本坊」

残っていました~

「地蔵尊」

「不動明王」

「金堂」

「神秀山満願寺」

「弘法大師像」

「毘沙門堂」

「毘沙門天」

本坊からの渡り廊下

「里山」

この先に「四国八十八か所」があります

 

坂を上がってすぐに「坂田金時」(金太郎さん)のお墓

「金時の兜石」

 

お地蔵さまの視線の先は里山。

 

静寂・・・

この場所はお気に入りです~

紅葉は終わってしまい、参拝者も少ない寂しい「満願寺」でしたが、ゆっくりお参りすることができました


「神秀山 満願寺」② 紅葉と「金太郎さんのお墓」

2021-11-23 10:15:24 | お出かけ・兵庫県 川西市

気温が低く肌寒い「勤労感謝の日」です

が・・・家事にお休みはないのです、、、朝からせっせと頑張りました~

 

それでは・・・「満願寺」昨日のつづきを・・・

石段を上がって素晴らしい眺め~

「鐘楼」

 

「観音堂」

 

「地蔵尊」と「不動明王」

 

「金堂」

願いが叶う満願寺

『伽藍開基記』によると創建は、奈良時代(神亀年間724~728)、「信者すべての願いは必ず聞き届けるという満願の仏の功徳をもって大衆を救おう」と発願されました。そして全国に満願寺建設をすすめられた聖武天皇(第45代天皇)の命により、勝道上人(諸国に満願寺を建立した)が摂津国の満願寺として千手観音を本尊に開基したと伝えられています。のちの安和元年(968)源満仲が多田に館を構えて以来、国家安泰を祈って帰依し、源氏一門の祈願所になりました。(HPよりお借りしました)

 

金堂の奥に・・・

「弘法大師像」

「三廟」

右に、多田神社へつづく道

川西市「多田神社」とのつながりで(多田源氏の祈願所でもある満願寺)川西市の飛び地にあるらしい・・・

「毘沙門堂」

奥に「坂田金時のお墓」が!

「稲荷社」から・・・

 

「坂田金時の墓」と

奥に「四国八十八か所」右は「里山」があります。

金太郎さん!です~でお馴染み

「坂田金時」調べてみると!

動物とたわむれる姿が童話や童謡で有名な金太郎にはいくつも伝説が存在します。 そんな金太郎は天暦10年(956年)5月に生まれました。金太郎は足柄山で熊と相撲をとり、母に孝行する元気で優しい子供に育ちました。
そんな金太郎に転機が訪れたのは天延4年3月21 日(976年4月28日)。金太郎は足柄峠にさしかかった源頼光と出会いました。そこで金太郎の力量が認められ頼光の家来となりました。その後、金太郎から坂田金時(きんとき)という名に改名し、源頼光と共に京にのぼり頼光四天王の一人になりました。
ちょうどその頃、丹波の国の大江山(現在も京都府福知山市)に住む酒呑童子(しゅてんどうじ)が都に現れては悪いことをして民衆を困らせていました。
寛仁元年(1018年)3月、源頼光と四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武、藤原保昌などの強者の家臣)たちは酒呑童子を退治するために大江山に向かいました。源頼光と四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武、藤原保昌などの強者の家臣)たちは山伏に身をかえ神変奇特酒(眠り薬入り酒)を使って酒呑童子を退治し無事、最大のミッションを終えました。
寛弘8年12月15日(1012年1月11日)九州の賊を征伐するため築紫(つくし・現在北九州市)へ向かった坂田金時ですが道中、作州路美作(みまさか)勝田荘(現在の岡山県勝央町)にて重い熱病にかかり死去してしまいました。享年55才でした。(HPよりお借りしました)

こんな近くにお墓が!あったとは・・・ 

 

この奥にある「四国八十八か所」には参拝せずに境内へ戻ります。

 

この渡り廊下は「本坊」へつづいているようです、、、

 

急な石段なので

なだらかな坂道から下りて行きます

先ほど食事をした「縁」の庭に出ました~

 

参道の素晴らしい紅葉を眺めながら・・・

戻ります~

裏には「天悲門」

表に「神秀山」

我が家からは30分足らずのところにある「満願寺」

以前、宝塚・阪急電車・山本駅から「最明寺」へハイキングしたときは「あっ!こんなところにお寺がある」と・・・

立ち寄らずに・・・

こんなに素晴らしい紅葉が楽しめるお寺だったとは!

春になれば、「里山」や「四国八十八か所」巡りを!!!

また一つ!楽しみができました!


「神秀山 満願寺」① 紅葉とお寺ごはん♪

2021-11-22 09:22:56 | お出かけ・兵庫県 川西市

きょうは一日中 しとしと・・・ゆっくり~のんびり致しましょう~

 

小春日和の穏やかな先週の土曜日!

川西市の飛び地(周囲は宝塚市)にある「神秀山 満願寺」へ・・・

紅葉が見頃の情報で・・・

ライトアップが始まったそうですが・・・

夜の外出は苦手なので、明るいうちに!と出かけてきました~

長い階段を上がると!

「山門」

明治14年に建てられた山門は、一見中国風に見えますが明治初期に洋風を取り入れた建築様式で、全国的に珍しい数少ない建築です。山門(仁王門)の古礎は「摂陽群談」(せつようぐんだん)「摂津名所図絵」にも惣門跡とあり、この場所に一山の入り口があったことが窺える。山門前から下る石段は昭和初期の建設で「女人厄除」と称して三十三段(女性の厄年33に因む)を刻んでいます。

金剛力士像

元多田院南大門にあったものを明治初年の神仏分離令により移転してきました。(HPよりお借りしました)

山門の上の紅葉~

入ってきた「山門」

ゆる~い下り坂。

ハッキリ読めないのですが

中山寺へつづく道らしい・・・

つりしのぶが!

この上に「金堂」があり、

「新西国三十三ヶ所 第十三番霊場・摂津国八十八ヶ所 第六十八番霊場・摂津国三十三ヶ所 第十八番霊場」です。

が・・・ランチタイムにはちょっと早いのですが・・・

混まないうちに 

喫茶坊「縁」

「お寺ごはん」を・・・

新鮮野菜に車麩揚げ出し煮物、具沢山のお味噌汁等々・・・体にやさしいものばかりでとっても美味しくて大満足~

紅葉を愛でながら頂く「ごはん」は格別です~

さあ~廻りましょう~

「本坊」から

お庭を拝見~

入山は無料ですが、

もちろん!入山料を・・・

上がって行きます!

画像がたくさんあります、、、つづきます~


清和源氏ゆかりの社寺「多田神社」②

2021-09-05 09:50:46 | お出かけ・兵庫県 川西市

今朝は久々に朝日明るい朝は気持ちが良くて・・・爽やかないいお天気です~

 

それでは・・・多田神社参拝の記事を・・・

拝殿・神馬舎に参拝の後引き返します、、、

横綱 曙・貴乃花が!!!勝運の守護神ですから、、、

歳月を感じます~

ほんのり~紅葉~

秋はすぐそこに!

 

明治の神仏分離令で「多田神社」に

家運隆盛・勝運厄除の守護人です!

清和源氏系図が!

隋神門から右へ・・・

巨木!大きい~

全体が撮れず・・・中途半端な画像で・・・

 

更に進んで右手に・・・

「田尻稲荷社」

右に折れて

稲荷大明神に

 

「六所宮」

「西門」

ですが、左へ入れば「駐車場」。階段を下りずに!

 

千年以上もの歴史を持つ神社。

 「御祭神は、第五十六代清和天皇の曾孫贈正一位鎮守府
将軍源満仲公をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公
をお祀りしています。源氏発祥の地である多田は、源満仲公が
摂津国一の宮住吉大神の御神託を受けてこの地に館を構え、
荘園開発及び武士団を構築しました。子孫である清和源氏
一門は繁栄を重ね、鎌倉・室町・江戸と約700年に亘る
武家社会の担い手となったのであります。」(HPより)

すっかり記憶が無くなっていて・・・こんなに広くて格式の高いな神社だったとは

近くなのにご無沙汰してしまいました

来年の初詣には!!!参拝しましょう