ごんつまのあかるく・たのしく♪

単調な毎日のなか・・・
嬉しかったこと、楽しかったことなど・・・

「たつの市立室津民俗館」~「道の駅 みつ」

2021-07-28 09:16:22 | 旅行

長らくお付き合いいただきました 佐用町~赤穂市~たつの市とつづいた小さな旅記事!最終章になりました。

 

「室津海駅館」から歩いて3、4分の所にある「たつの市立 室津民俗館」へ・・・

室津民俗館は、屋号を「魚屋」といい、江戸時代には苗字帯刀(豊野家)を許され、姫路藩の御用達をつとめた豪商の遺構です。
建物は大通り中央部の山側にあり、対面する海側には惣会所や高札場、本陣肥後屋や筑前屋が軒を連ね、江戸期の室津における宿駅と商業の中心的な場所に位置していました。
室津を代表する大型町家ですが、吊り上げ式二重戸や隠し階段など、他の町家には見られない仕組みがあります。2階の土間上は室津では珍しい虫籠窓になっています。1988(昭和63)年には兵庫県の文化財にも指定されています。
港町・室津を紹介する資料館として、館内には室津の歴史や民俗関連の資料を展示しています。(たつの市HPより)

 

入ると!

「一本釣和船」

 

歴史や民族関連の資料が!

「縛網漁」

読みにくいですが

箪笥の上に「小襖に描かれた室津」

 

欄間・ワカメでしょうか?

 

「姫路藩ご用達」を務めました。

「賀茂神社の存在」が書かれていますが、撮り方が下手なので小さく載せました(クリックで大きくなります)

 

戸を閉めると、隠し階段になるのです。

急な階段なので二階へは上がらずに・・・

2階座敷2階座敷の写真2階へは上がっておりませんので、画像はたつの市HPよりお借りしました。

 

革細工場

賀茂神社夏祭り

祭礼の様子

 

土間に台所

横に「牡蠣」土間に下りて・・・

二階天井から

 

庭に出ます~

屋号「魚屋」(豊野家)の建物を

部屋数23 総畳数168畳 立派な大型町家です!

楽しく拝見して、室津の歴史と生活を知ることができました。

 

もう少し涼しければ室津の町並みをそぞろ歩きしたかったのですが、

暑さに負けました~熱中症にならないうちに帰ることに・・・

 

帰りに立ち寄った「道の駅 みつ」

プライベートビーチがあります~

素敵なところです~

海鮮BBQを食べたかったのですが、ビールが欲しくなるので我慢してもらって、

「穴子丼に海鮮丼に鱧の天ぷら!」(撮り忘れてます~)とっても美味しくて大満足~

新鮮野菜にデラウェアとお土産を買って、少し早めの帰途に着きました

時期的に早いかな?と思って買った、デラウェア!とても甘くて美味しかったです~


「たつの市立室津海駅館」

2021-07-27 12:39:20 | 旅行

たつの市の記事がつづいておりますが・・・兵庫県の情報誌で知った「室津海駅館」

紹介記事に『室津港は、その名の由来が「風を防ぐこと室のごとし」と「播磨国風土記」に記される、古くからの良港。

江戸から明治にかけては北前船の寄港地として栄え、まちに残る関連施設など五つが一昨年5月、

日本遺産「荒波を超えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前寄港地・船主集落~」の構成文化財に認定されました。』と・・・

そして・・・その一つに「市立室津海駅館」。北前船で財を成した廻船問屋「嶋屋」の住宅を活用した資料館。

この記事で、室津港へ行ってみたい!!!気持ちが強くなり「南光ひまわり園」観光と併せて今回の小さな旅になりました~

入ってすぐに・・・

北前船の模型

室津海駅館は、近世から近代にかけて廻船問屋として活躍した豪商「嶋屋」の遺構です。建物は、嶋屋(三木)半四郎が江戸後期に建てたもので、1873(明治6)年に一部増築しています。
切妻平入り本瓦葺き二階建てという室津の町家の特徴をよく残しており、座敷回りの意匠がすぐれているところからたつの市の文化財に指定されています。「魚屋」(室津民俗館)とともに、室津の大規模な町家を代表する数少ない貴重な建物です。

館内では、海の宿駅として栄えた室津の歴史を、「廻船」「参勤交代」「江戸参府」「朝鮮通信使」の四つのテーマで紹介しています

展示テーマは、「廻船」、「参勤交代」、「江戸参府」、「朝鮮通信使」の四つに大別しています。
室津が海を通してどのように外部世界とつながっていたかを展示しています。

土間の写真

展示室の写真

展示室1 「廻船」

瀬戸内海は、日本の海運発展の中心地です。その東部に位置する室津は、古くから海上交通の要地で、すでに中世には、「室の船頭」による商品輸送がさかんでした。江戸時代になると西回り航路の発達により、室津の廻船問屋の活動は北海道にまで及びました。ここでは、嶋屋を中心に室津の廻船について紹介しています。

羽鰊の写真

羽鰊(はにしん)

展示室2 「参勤交代」

1635(寛永12)年に参勤交代が制度化されて、九州・四国・中国地方の西国大名は、瀬戸内海を船で渡り江戸に向かいました。参勤コースにあたる室津は、単なる寄港地ではなく、多くの大名の上陸あるいは乗船地点でした。最多時には6軒の本陣を構え、海の宿駅として大いに栄えました。

本陣肥後屋模型の写真

本陣肥後屋 模型

本陣肥後屋関札の写真

本陣肥後屋 関札

大名の献立の写真

本陣薩摩屋における大名の献立(複製)
(御上御献立・御次御献立)

 

展示室3 「江戸参府」

オランダは、江戸時代、長崎の出島で通商を許されていました。オランダ商館長は、通商免許のお礼として、毎年、江戸の将軍に拝礼し御土産物を献上しました。これを江戸参府といいました。旅行は厳しい監視のもとに行われましたが、オランダ人にとっては日本をじかに観察するよい機会でもありました。オランダ人の見た室津の資料を展示しています。

ケンペル「日本誌」の写真

ケンペル「日本誌」

展示室4「朝鮮通信使」

朝鮮通信使は、朝鮮国王の親書を日本の将軍に持参した使節団です。使節団一行は、正・副使を中心に500人前後で、海上では大船団を組み、陸上では大行列を作って江戸への旅をしました。その際、海駅室津には必ず寄港しました。当時の室津での応接の様子を展示しています。

(たつの市HPよりお借りしました)

 

寄港地

鰊干し・羽鰊

関札宿札

海の宿駅として栄えた室津の歴史が展示されています。

箱階段

あまり写真は撮っていなくて

2階へ

室津港が見渡せます!

「小林俊彦の世界」

開催中です~

風はそよ~と!しかし、汗が噴き出てきます 撤退します!

反対側(玄関?)から出て

 

子どもたちが「室津海駅館」を写生中なので、正面からは撮るのは控えました、、、

風情のある家

一般のお家のようです~

この辺りは観光用の表示があります

気温はグングン!上昇!!!

自動販売機を見つけると、水分補給を・・・

次の「室津民俗館」へ移動します~が長くなりますので、つづきます~


たつの市 室津の賀茂神社

2021-07-26 15:11:00 | 旅行

きょうは最高気温が34℃!少し低くて気持ちが楽~です~

それでは昨日のつづきを・・・

朝ごはんも薄味ヘルシー美味しくてお腹一杯戴いて・・・(またもや撮り忘れて

画像はホテルのHPよりお借りしました。

さあ~出発!お隣の「たつの市」へ・・・

湾岸沿いに「室津」を目指して走ります~

 

室津港に着いて駐車場はとウロウロ探して・・・停めたところに

御番所跡があります

そしてこの上が「賀茂神社」らしい・・・(標識も案内板もなくて・・・

3番目の予定でしたが・・・とりあえず!上がります!

「常夜燈」

「住吉大神」「賀茂大神」と染め抜かれた幟があります。

播磨灘が一望

ソテツは県指定文化財

「本堂」

賀茂別雷神を主祭神とする神社。

治承4(1180)年に平清盛が祈願した際は、すでにいまと同じたたずまいだったとされています。

「御津町室津(むろつ)、海を望む半島突端に所在し、本殿を正面に5棟の流造り・檜皮葺(ひわだぶ)きの社殿が建っている。五社(ごしゃ)造りといわれるこれらの社殿と唐門(からもん)、さらに回廊(かいろう)を含めた8棟が国指定となっている。
棟札(むなふだ)などにより元禄12(1699)年に建て替えられたとされる。清楚で優雅さを兼ね備えた社殿は、平安時代の姿をうかがわせる。」

(たつの市HPより)

平安時代に想いを馳せて・・・

 

「手水舎」

本堂横の

くぐり戸から入ってみます。

「御祖社」「河合社」

参拝して・・・出ます。

排水口でしょうか?

 

社殿の向かいに「拝殿」

本堂と拝殿が向き合う造りを「飛び拝殿」といいます。

 

拝殿の向こうは「絵馬殿」

 

 

「四脚門」

参道入り口は下から上がって鳥居をくぐり、「四脚門」(表門)から参拝するらしい・・・

反対側から入ったので、一度出ます!

門の右側に

先に鳥居が見えてます

「平清盛 参拝の社」

入りなおします!

 

 

「賀茂の愛の神」

今更ですが、、、一応お参りを

古代様式の荘厳な佇まいで清楚な雰囲気の神社。

遠く過ぎ去った時代を肌で感じ満ち足りた想いで感無量~

良い思い出になりました~

 

駐車場に戻り

海中に落とされた「大坂城の石」

駐車場の入口手前にあった階段

後で解ったのですが、この階段が「参道入口」だったのです、、、

 

案内板がありました~

さあ~観光予定!一番目の「室津海駅館」と「室津民俗館」へ・・・

つづきます~


「赤穂大石神社」

2021-07-25 11:44:35 | 旅行

     暑中お見舞い申し上げます

 

ギラギラする日射し ホンの少しでも雲がかかるとホッとする毎日ですが、、、

ワクチン接種は完了しても、相変わらずのコロナ対策に+熱中症対策!に、早くも夏バテしそうです~ 

 

それでは、赤穂城跡につづきまして・・・

大石内蔵助良雄をはじめ、四十七義士と萱野三平を合祀して、大正元年に創建された「赤穂大石神社」へ

四十七義士石像

4時30分に閉門します!と

残り時間!10分弱!時間がない!とりあえず参拝だけでもと!急ぎます!

 

風鈴がチリンチリン

戸締りの準備が始まっています!

参拝!

「義士宝物殿」

参拝していると巫女さんが施錠!4時半でした、、、

全てが閉められて・・・

帰ります~

 

義士像を通って・・・

 

「大石邸長屋門」

間口28間、奥行き45間5尺、畳数308畳の家老屋敷は、享保14年の火災のため建物の大半がが焼失し現在ではこの長屋門だけが残っています。

武家屋敷公園の前を通って・・・

 

ホテルへ・・・温泉でのんびり~汗を流してリフレッシュできました~

夕食!

茄子饅頭生姜餡かけ

鮎の塩焼き大きくて美味しかった~

噴き上がって!

茶碗蒸しに鱧の小鍋、海老と野菜の天ぷら、デザートは撮りわすれてます

瀬戸内旬魚・播磨野菜を中心にヘルシーな会席。

量も少なめの会席ですが、それでもご飯は三口ほどしか食べられず、、、

お料理も!そして冷えたビールに地酒が美味しく大満足~

翌日は、たつの市の室津へ・・・つづきます~


「国史 赤穂城跡」

2021-07-24 10:35:50 | 旅行

きょうも猛暑


南光ひまわり園もかなりの暑さでバテテしまい

佐用町の観光は諦めて、次の予定地・赤穂市へ・・・

予定より早めの午後3時過ぎに到着! 

チェックインには早いので「赤穂城跡」観光~

歴史博物館・明日から特別公開(無料) 残念です~

「清水門跡」

板橋

 

 赤穂城は、正保2年(1645)に常陸国笠間から入封した浅野長直が、近藤三郎左衛門正純に築城設計を命じ,慶安元年(1648)より13年以上に亘る歳月を費やし、寛文元年(1661)に完成したものです。

 城郭の縄張りは近藤正純の指導のもと甲州流軍学によるもので、一部、二之丸枡形虎口付近は山鹿素行が設計変更したと伝えられています。

 本丸と二之丸は輪郭式、二之丸と三之丸の関係は梯郭式になっており、近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城とされています。
 城郭の規模は、10の隅櫓、12の諸門があり、曲輪の延長は2,847mに及んでいます。塁石、防壁、諸門、本丸御殿などが整えられ、居城としての威容が示されましたが、天守台のみ築かれて天守は構築されませんでした。

 三代続いた浅野家ですが、刃傷事件により断絶し、その後は永井家、次いで森家の居城となりました。明治の廃藩置県後、赤穂城は払い下げられ、屋敷地は民有地となりました。
 しかし城郭復興の気運が高まり、大正元年(1912)には三之丸に大石神社が建立、大正14年(1925)には二之丸に山鹿素行銅像が建立されるなどしました。

 昭和3年(1928)には本丸内に赤穂中学校(後の赤穂高等学校)が竣工されましたが、昭和15年(1940)には城跡が風致地区に指定され、昭和27年には都市公園の計画決定、さらに昭和46年(1971)には国史跡に指定され、赤穂城整備が推進されることになりました。

 また平成14年(2002)には、旧赤穂城庭園(本丸庭園・二之丸庭園)が国名勝に指定され、現在も計画的に整備が図られています。(赤穂市HPより)

板橋から後方・右の建物が「歴史博物館」

 

「武家屋敷公園」

 

 

「二の丸門跡」

「かんかん石」

 

「大石頼母助屋敷門」

 

「本丸跡」

入ります!

広いです~

戻ります!

 

この先にある「大石神社」に参拝します~が、長くなりますのでつづきます~