ごんつまのあかるく・たのしく♪

単調な毎日のなか・・・
嬉しかったこと、楽しかったことなど・・・

岡山・津山市①「津山城跡(鶴山公園)」

2024-07-11 16:15:20 | 旅行

朝方は強い雨でしたが、お昼前から小康状態 湿度が高くてジメジメ~と・・・

 

それでは・・・吉備路~岡山自動車道を走って

「津山城跡」~旧出雲街道沿いの町並み保存地区へ・・・

院庄IC を出るとき。ETCが故障しているのか、ETCカード手渡しして決済。

「津山城(鶴山公園 かくざんこうえん)」の駐車場から

表門入口へ

マンホールのふた可愛い~

細くて長い坂道~「千石坂」

 

 

千本の桜に抱かれた岡山随一の桜の名所

「日本100名城」「日本さくら名所100選」に選ばれている津山市のシンボル。本能寺の変で討死した森蘭丸の弟、森忠政が1616年に築城しました。明治の廃城令によって建造物はすべて取り壊されましたが、2005年に築城400周年を記念して備中櫓(びっちゅうやぐら)が復元。約45mの高さを誇る石垣とともに新たな人気スポットとなっています。また、県内でも1、2を争う桜の名所として知られ、約1,000本の桜が咲き誇る景観は見事です。石垣の上から眺めるライトアップされた桜も圧巻です。(岡山観光WEBより)

「入場券売場」

石段は上がらずに

アジサイまだ愉しめます~

左の石段から

真ん中に見えているのが入口から正面の石段です。

改修工事中のようで邪魔にならないようにカシャ

堅固な石垣

津山城は、室町時代に山中忠正が高さ50mの鶴山に鶴山城を築いたことが始まりで、応仁・文明の乱で廃城となったが、関ヶ原の戦功により1603年(慶長8)に入った森忠政(本能寺の変で討死した森蘭丸の弟)が、鶴山を津山と改名し13年かけて津山城を大規模な近世城郭として完成させる。城は鶴山全体を10mを超える高石垣で囲み、さらに雛壇状に三の丸、二の丸、本丸と曲輪を積み上げ、最上段の天守曲輪には藤堂高虎によって考案された層塔型(下の階から上の階へ規則的に小さくなる様式)で、小倉城を参考にした五重天守が建ち、これを取り囲むように多くの櫓と門が林立した強固な防御網を誇った平山城であったが、明治初期に城内の建物は全て取壊された。2005年(平成17)築城400年の記念行事として、城内最大の櫓で「全室畳敷きで御殿の一部として使用されていた」という備中櫓が復元され、2006(平成18)には天守台南側に太鼓塀が復元された。(日本100名城よりお借りしました)

「鶴山館」

「備中櫓」が望めます~

「表中門」へ

足場が組まれてます~

「二の丸」から

本丸(備中櫓)へはこの先です

前日の曇り空から、この日は快晴!ギラギラ☀太陽 暑さに弱い~

櫓へは上がらず「裏門」から出ます~

おふろのような入口の暖簾

地面を這うような桜の枝

サクラ素晴らしそう~

青もみじも素敵~

「裏門」が見えています!

が、結構距離が!

石段も!

裏門からでます

「厩堀」から

「津山観光センター」へ立ち寄り

城下町城東界隈へ・・・つづきます~

 


岡山・吉備路を走って~②「足守町並み保存地区」「きびじつるの里」

2024-07-09 16:50:50 | 旅行

きょうはムシムシ!気温も高くて・・・夜明け頃にタイマーが切れて束の間エアコンは切り!でしたが、

3時間も経たずにスイッチオン!エアコンがないと過ごせませんね

 

吉備路で必見の古墳が6基あるらしいのですが、もっと若い時に来たかった~

歩いて回るのは諦めます~

 

つぎは、足守町並み保存地区に立ち寄ってきました

足守は、幕末の蘭学者・緒方洪庵や歌人・木下利玄など偉人を輩出した歴史好きには魅力的な地。
大阪で「適塾」を開いた緒方洪庵は、足守藩から要請を受け、天然痘治療のため除痘館を建て治療にあたりました。(岡山観光WEBより)

豊臣秀吉の正室ねねの実兄を藩祖とする木下家2万5千石の陣屋町

豊臣秀吉の正室・ねねの実兄を藩祖とする木下家2万5千石の陣屋町。保存地区は陣屋町のうちの町人町にあたります。足守の特徴として、格子が良好に保存されていることがあげられます。千本格子や親子格子など端正な格子が取り付けられ、生活の中から生み出された比例の美学を楽しむことが出来ます。平入りの奥行きある商家が並ぶ、静かで落ち着いた町並みです。(岡山観光WEBより)

小路へ入って行きます~

「足守プラザ」を横から

ワクワク気分で

「米蔵ギャラリー」へ

閉まっています!

素敵な庭園

足守メロン!美味しそうですが、夕食前なので・・・

ぶらっと覘いただけの「足守町並み」でしたが、観光交流施設「足守プラザ」では、陶芸や工芸の体験ができ、

お皿やコップなどの土ひねりやお面やマグネットの絵付けなど、さまざまなコースが用意されています。

もっと周りたかったのですが、運転手さんが疲れてきました~

近くを周っただけの観光でしたが雰囲気は素敵 それなりに納得~まんぞくして 宿舎へ・・・

宿泊地へ・・・

釜めしとデザートは撮り忘れ~

豪華な料理ではありませんが、優しい味付けに量は少なめの会席。それでも少し~残してしまいました

温泉は、大浴場 露天風呂 サウナ
【泉質】 アルカリ性単純温泉(低調性弱アルカリ性泉)肌がつるつるに!いい温泉でした~

 

そして・・・翌朝、気になっていた場所へ散策に・・・

宿舎の横から

タンチョウがいます!

「学びの家」

 四季折々の自然を楽しみながら、美しいタンチョウの姿を見ることが出来ます。

 学びの家では、展示パネルや写真などでタンチョウについて学べるようになっており、幼稚園の遠足や小中学校の総合的学習の場として、一般の方々には環境学習の場として活用されています。

 約3haの敷地内に大小2つの人工池、淡水魚観察コーナー、つるの家(管理棟)、学びの家(研修棟)、飼育ケージなどが配置されています。つるの家にはタンチョウの監視設備のほかに人工ふ化の設備も整っており、平成17年には後楽園から譲り受けた卵で人工ふ化が行なわれました。

「きびじつるの里」

もう一羽、遠くに

学びの家を見学~

タンチョウ、大きいです!

思いがけない散策ができました~

観光案内センターのお隣は

野菜・果物の産直売り場で、新鮮野菜と白桃を・・・

白桃家庭用(といっても傷もありません)を購入しました、、、

低価格!でお得な買い物とても甘くて美味しかったです

このあとは・・・津山市へ・・・つづきます~


岡山・吉備路を走って~①「備中国分寺」へ・・・

2024-07-08 16:10:33 | 旅行

ジリジリと照りつける日差し午前中の早めに出かけた買い物でしたが

お茶を持っていくのを忘れて・・・オレンジジュースでのどを潤して・・・250mlを一気飲み

それですこし・・・元気を取り戻し

只今!外気温 35℃を表しています!

 

土・日と出かける用があり、更新が空いてしまいました

尾道「千光寺」のつづきを・・・

参拝の後は、どこにも立ち寄らず、岡山県・総社市の「備中国分寺」へ吉備路を走ります~

 

奈良時代に聖武天皇の発願によって全国に建立された国分寺のひとつ。

仏教の力を借りて天災や飢饉(ききん)から国を守ることを目的に建てられました。

現在残っている建物は江戸時代に再興されたもの。境内には高さ約34mの五重塔がそびえ、吉備路を代表する景観として有名です。

岡山県唯一の五重塔は重要文化財に指定。

駐車場から

岡山県唯一の五重塔!国指定重要文化財。

木立の中を抜けると!

横に出ました~

五重塔がみえて!

備中国分寺跡

備中国分寺跡

 備中国分寺跡は、聖武天皇が天平13年(741)に仏教の力を借りて天災や飢饉(ききん)から人々そして国を守ること (鎮護国家)を目的に建てられた官寺の一つです。
 その当時の境内は、東西160m、南北178mと推定されますが、江戸時代に再興された現在の備中国分寺があるため、 南門・中門以外の建物の位置は明らかではありません。しかし、創建当時の礎石が多く残されており、 当時を偲ぶことができます。国指定史跡。(総社観光ナビよりお借りしました)

「山門」

「勅使門」の奥は茅葺き屋根です

「鐘楼」

備中国分寺五重塔

備中国分寺五重塔とレンゲ

 備中国分寺五重塔は、弘化元年(1844)ごろに完成し、34.32mの高さがあります。この塔は、 屋根の上層と下層がほぼ同じ大きさの細長い造りで相輪も短く、江戸時代後期の様式を濃く残す代表的な塔です。 また県内唯一の五重塔でもあります。
 塔内は初層内部中央に心柱が立ち、四周に四天柱を据え、その内側に仏壇を作り、四如来像を安置しています。天井は格子状で天井板には55cm角大の欅の一枚板を使い、彩色画が描かれ、堂内をいっそう荘厳にしています。絵は全部で104枚あり、四天柱の脇にある4枚の天女図のほかは 季節の花々を描いた草花文です。国指定重要文化財。(総社観光ナビよりお借りしました)


     

正面が「太子堂」

「本堂」

「客殿」

五重塔へ・・・

アジサイがきれい~

石段が!

上がっても入れないのでズームで

 

 

「表書院」「観光案内所」で一休み~

「山門」内側

すぐ近くに うっかりしては立ち寄らず 残念なことをしました、、、

備中国分尼寺跡

備中国分尼寺跡

 備中国分尼寺跡は、備中国分寺の東約600mのアカマツ林のなだらかな丘陵にあります。
 国分尼寺は、天平13年(741)聖武天皇の命令により、国分(僧)寺と共に諸国に建てられました。当時の境内は、今も残っている築地土塀から東西108m、南北216mと推定されます。建物は、境内の中心線上に南門・中門・金堂・講堂が建ち並んでいました。金堂は桁行21m、梁間13.2mの広壮な建物だったようです。広い基壇の中に多くの礎石が整然と残されており、 昔日の面影を今に伝えています。国指定史跡。(総社観光ナビよりお借りしました)

 

田園風景をいれて五重塔を撮りたかったのですが、車は急に止まれない!ので私の目に焼き付けて・・・

次の「陣屋町 足守」へ  つづきます~


広島・尾道「千光寺」に1年半ぶり~お参りしてきました♪

2024-07-05 16:15:36 | 旅行

猛暑日がつづき、熱中症に厳重警戒が必要!きょうは家から一歩も出ずに籠っております

 

近場へは出かけておりましたが・・・ブログも半月以上ご無沙汰してしまいました、、、

先日!7月2日~広島県尾道市の「千光寺」へ4度目のお参りに・・・(車では2回目です)

毎回同じような画像ばかりですが、季節が違って私には目新しくうつりカシャカシャと撮ってきました~

1年半ぶりにお参りに出かけた「千光寺」 (前回は2022年12月・境内の様子は詳しく載せてます)

今回も早朝から出発!雨が降ったり止んだりの走行で着いたときは小雨

駐車場から

新緑の公園を眺めながら

「文学の小径」から

尾道水道が眼下に!

向島への渡船がみえます!(前回は向島へ渡りました)

向こうに見える「尾道大橋」

滑らないように気をつけて・・・

大クスノキ

上に「本堂」

上がります~

「三重岩」

「本堂」

お参りの仕方通りに参って

古いお守りを納めて・・・

新しいお守りを!

「末広の松」

「観音楼」

「太子堂」前に

「観音楼」からの眺め

「太子堂」

雨も上がり、視界が良くなってきました、、、

戻る途中「岩割りの松」根っこ

根から先まで

凄い!横にも

雨も上がって・・・

「芝生広場」の遥か向こうに

小さい島が霞んで見えます~

この後、尾道にさようなら~して、岡山県総社市へ吉備路を走ります~

初めて訪れる総社市~津山市!つづきます~


福井へ二泊三日の小旅行⑨三日目は「滋賀県・長浜~竹生島(ちくぶ島)」

2023-10-30 16:40:28 | 旅行

きょうは最高気温20℃ 柔らかな日差しが暖かい午後です~

9回までつづいた旅行記!今日で最終回!

長い間、お付き合いくださいまして有難うございます

画像が多くて長い記事になりますが、よろしくお願いいたします。

 

「竹生島クルーズ」

長浜港 観光船のりばから出航!

白い建物が宿泊したホテル

長浜港をあとに・・・

30分の船旅を楽しんでいると!

「宝厳寺」が見えてきました

「竹生島」近年は琵琶湖第一のパワースポットとして注目を集めています。「深緑竹生島の沈影」として琵琶湖八景の一つ

船を下りると目の前に→

竹生島は、周囲2㎞の琵琶湖で沖島に次ぐ2番目に大きい島です。島の名は「(神を)斎く(いつく)島」に由来し、その中の「いつくしま」が「つくぶすま」と変じ「竹生島」になりました。

また、「竹生島」という漢字は、島の形が雅楽などで使われる楽器の笙(しょう)に似ていることからつけられたという説などがあります。

琵琶湖八景のひとつに数えられ、平家物語『竹生嶋詣』や謡曲「竹生島」にも神秘的な美しさを秘めた島として登場し、千年を経た今日でも、その姿は人々をひきつけてやみません。

竹生島に上陸し、165段の石段を登ると見えてくる大きな建物が宝厳寺です。本尊は弁才天で、江ノ島、厳島とともに三弁才天と呼ばれています。また、宝厳寺観音堂は西国33所観音霊場の30番目の札所として今も多くの方が訪れます。
舟廊下を渡ると都久夫須麻神社。本殿(国宝)は、伏見城の遺構とされ襖や柱、欄間に桃山美術を見ることができます。特に、襖絵、天井画は、狩野光信の筆と伝えられています。平家物語にもでてくる拝殿からはかわらけ投げができ、素焼きの小皿に願いを書き岩場に立つ鳥居に向かって投げ、鳥居をくぐれば願い事が叶うといわれています。

★日本遺産★~水と祈りの文化~

都久夫須麻神社本殿と宝厳寺が祀られており、宝厳寺の弁才天は日本三弁天に数えられています。古来より、浅井姫命が鎮座し、水神として崇められ、付近を通る船の安全航路を守る神として地域に根付き、今でも琵琶湖に浮かぶパワースポットの島として、多くの人が訪れています。(滋賀県観光情報サイトより)

売店前を通って・・・

拝観料金を券売機で購入

宝厳寺と都久夫須麻神社が祀られています。宝厳寺の本尊は弁才天と千手観音。弁才天は安芸の宮島、相模の江島とともに日本三弁天に数えられています。また、中世以来西国三十三所観音霊場の三十番札所として多くの参詣客で賑わっています。

右へ・・・

上に行かれる人が多いので・・・

竹生島港が下方に!

「観音堂」

上に上がると「本殿」前に

「日本五弁天」

「都久夫須麻神社の本殿」国宝に指定されています。 

建物は伏見城の遺構と伝えられてます。

 

「観音堂」

「舟廊下」

豊臣秀吉の御座船「日本丸」船櫓を利用して建てたと伝えられてます。

 

「唐門」

宝厳寺の唐門は秀吉の大坂城の唯一の遺構と伝わり、都久夫須麻神社の本殿とともに国宝に指定されています。

この先から

石段を上がり

「本堂」(弁財天堂)

三重塔へは行かずに・・・

膝が!!!

「唐門」前に戻って来ました

ここから上がるのが正しかったようで

右手から周ってしまいました、、、(ご利益ないかも・・・)

船着き場まで戻り、お腹も空いてきたので「近江牛まん」とコーヒーを

「琵琶湖周航の歌」の歌碑

帰ってから調べました、、、竹生島は4番!6番まであります。(1番だけしか知らなかったので、只今練習中

「直政」彦根港行き!井伊の赤備え船!かっこいい~

そうこうしているうちに「長浜港行き」が着岸!到着!

この後、長浜市内観光の予定でしたが、高速道路が混むので帰ることに!

今度はJRで来ることします、、、

時間の関係で省いたところもありましたが、主なところは廻ることができました、、、

時間の余裕をもって周った二泊三日!車での遠距離は年齢と体力的に多分・・・これが最後に!

夫・ごんすけさんに感謝しながら、この記事を書きました。

長らくお付き合いくださいました皆様!有難うございました