生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

花たちばな

2016-05-11 08:25:47 | 日々の暮らし
「さつき待つ

花たちばなの

香をかげば

昔の人の

袖の香ぞする」

(古今集)


五月を待って咲き始めた、たちばな(みかん)の花の香りをかぐと、昔なじみのあの人の袖の香りがすることだ。

「たちばなの

にほふあたりの

うたたねは

夢も昔の

袖の香ぞする」

(新古今集)

たちばなの花の香りがにおうあたりでの、
うたたねは、夢の中でも、昔なじみの人の袖の香りがしてくることだ。


元の古今集を意識した歌です。

私もポケットに、
花たちばなを
しのばせたいものです。

関東は朝から風がきついです。

今日は遅番です。


お互い頑張りましょう。


合掌
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五月は聖母月

2016-05-11 00:16:22 | 日々の暮らし
五月は聖母月。
マリア様を通して心にとどめる月だといいます。

今日は聖書の言葉を紹介します。

生まれつき目の見えない人について弟子たちがキリストに尋ねました。

「この人がこうなったのはなぜですか。
本人の罪のせいですか。
それとも親が罪を犯したからですか」
(ヨハネ9.1-2)

キリストは答える。

「いや、そのどちらでもない。
それが、神のみわざが、彼の上に現れるためである」

と述べています。

人々が「なぜ」と尋ねたのに対し、キリストは「…のために」と答えていることに気づきます。


神のなさることに
「なぜ」と尋ねるのでなく、

「何の目的で」と問うことが大切と説いています。
 
事故や災難、不幸の多くは神の目的なのでしょうか。

耐え、乗り越え、成長してゆく力を添え、自ら答えを見いだしてゆく力をくださるところにあると説いています。

また、ある夜のこと、一人の男が夢を見ました。

夢の中で彼は、キリストと砂浜を歩いていたのです。

突然夜のとばりの中に、彼が歩いてきた人生が映し出され、

その軌跡として二組の足跡が記されていました。

キリストの足跡と自分の足跡と。

最後のシーンを見終わった時、男は気づきました。

「おかしいな。私が苦しんでいた時期に限って、足跡は一組だけだった」。

そこで彼はキリストに尋ねます。

「どうして私があなたを一番必要とした時に、私をお離れになったのですか」

キリストはお答えになりました。

「いとしい我が子よ。私は片時もお前の側を離れたことはない。

お前が見た一組の足跡は、私のもの。
私はその時、お前を腕の中に抱いていたのだ」
(砂の上の足跡)

渡辺和子シスターは若い時、教えられた言葉に

「あなたの心がチクチクと痛む時、茨の冠をかぶったキリストの頭が、あなたに触れているのだと知りなさい。

あなたが血まみれになっている時、その血はキリストの返り血を浴びている証拠なのだ」と。

人から慰めてもらえる試練もあれば、人知れず苦しまないといけない試練もあります。

いずれの場合も苦しいことに変わりないのですが、そのような時こそ、

「キリストがいつもより、一層近くにいてくださる」と信じることで、どれだけ救われたことでしょうと述べています。

「神は耐えられないような試練にあなた方を遭わせるようなことはなさらず、

試練と共に抜け出る道をも用意してくださるものです」

(聖パウロ)

キリストは、今日も試練の中にある私たちを、優しくその腕に抱いてくださるのです。
(渡辺和子シスター)

苦しい時は神の腕の中にいると思えば、

気も楽になりますね。

今日もよい言葉に


出会いました。

感謝


合掌
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