生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

故郷の月

2016-05-20 01:50:24 | 日々の暮らし
天の原

振りさけ見れば

春日なる

三笠(みかさ)の山に

出(い)でし月かも

(阿倍仲麻呂)

大空をはるかに仰げば、月が出ている。

あれは、かつて故郷の春日にある三笠山の上に出ていたのと、同じ月なのだなあ。

私は40年前に書の勉強のために中国で最も栄えた唐に行きました。

今は知らぬが、その頃は日本の戦争直後の様に貧しい国でした。

奈良時代、日本から優秀な人材を留学のために送り出された留学生達を遣唐使(けんとうし)と呼びました。

平安時代(894年)まで続きました。

しかし、航海術や、造船術はまだまだ未熟の為、たどり着くのも、帰国するのも難しく


多くの若者が散っていったのでした。

唐の町を散策していたら、あの阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)の没した碑を見つけました。

この歌は30年を過ごした後やっと日本に帰れる喜びを歌ったものです。

しかし、遭難して帰れず、再び唐に戻り二度と帰る機会がありませんでした。

彼は16歳で唐に渡りました。
玄宗(げんそう)皇帝に気に入られました。

玄宗皇帝はあの楊貴妃(ようきひ)を愛した人です。
詩人の李白とも親しくしたようです。

楊貴妃が使っていたお風呂場を見学してきました。

美しい絵柄のタイル張りを今でも思い出します。

彼は72歳まで生きたといいます。

のちに吉備真備(きびのまき)が唐に渡り帰国の時、危機にあった時に阿倍仲麻呂の霊に助けてもらったと思い、
帰国後阿倍仲麻呂の子孫を訪ね、呪術陰陽道の極意書を届けました。

その子孫から生まれたのが安倍晴明です。

そんな、歴史と旅を思い出しました。

また、佐賀県の唐津市を旅しました。
唐津から遣唐船が出たといいます。

その先に美しい鷹島があります。

そこに寄港してから長い航海に出たのです。

鷹島の町を散策しました。
その島は鎌倉時代に蒙古襲来で多くの人達が戦って死んだ島です。

あの英雄の対馬小太郎の碑もありました。

今日は私の遣唐船の旅の思い出を話してしまいました。

阿倍仲麻呂が喜んでくれた気がしました。


合掌
コメント
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