生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

一輪の花

2016-05-26 03:49:47 | 日々の暮らし
「心に愛がなければ」

(シスター渡辺和子著)

ここから心に響く言葉を
お借りしました。

修道生活を選んだことで、
華やいだ人生から、
「一輪の花」として生きることに変わったのである。

それも、大輪の人目を引く花でなく、けなげに咲く花にひかれるようになったのはある人が送ってくれた英語の詩だった。

神が置いてくださったところで
咲きなさい。

仕方がないと諦めてでなく
咲くのです。

咲くということは
自分が幸せに生き
他人も幸せにするということです。

咲くということは
周囲の人々に
あなたの笑顔が
私は幸せなのだということを
示して生きるということなのです。

神が私をここに置いてくださった
それは、すばらしいことであり
ありがたいことだと

あなたのすべてが
語っていることなのです。

咲くということは
他の人の求めに喜んで応じ

自分にとって
ありがたくない人にも
決して嫌な顔
退屈気な態度を
見せないで生きることなのです。

(作者不詳)

人間は一人ひとり花である。
小さい花もあれば、
大きい花もあり、
早咲き、遅咲き、色とりどりである。

ひっそりと路傍で
花の一生を終えるのも多い。

花の使命は

咲くことであり

優劣を競うこともない

置かれたところで

精一杯咲くだけである。
(渡辺和子)

花屋で買う花もいいですが、野に咲く花も好きです。

私もこの詩が好きです。

聖書のコリント前書きに美しい言葉がありますので紹介します。

たとえ、人間の不思議な言葉、
天使の不思議な言葉を話しても、
愛がなければ
わたしは鳴る銅鑼(どら)、響くシンバル。

たとえ、預言の賜物があり、
あらゆる神秘、
あらゆる知識に
通じていても、
たとえ、山を移すほどの

完全な信仰があっても、
愛がなければ、
わたしは何ものでもない。

たとえ、全財産を貧しい人に分け与え、

たとえ、称賛を受けるために、
自分の身を引き渡しても、
愛がなければ、
わたしにはなんの益にもならない。


この句の中には、どんなに立派な説教をしても、どんなにたくさんのお金を寄付したとしても、また人の身代わりとなって自分が死んだとしても、その中に込められた純粋な愛がなければならない。と述べています。

「目に見えない大切なもの」
それは、愛であると。


私は昨日ケアマネと話した中に、
人生も介護も同じです。
大切なことは、
「思いやりと愛」
であると

すべて、
「徳・恕・愛」

につきると話しました。

簡単に言えば

心のこもった
思いやり

です。

これがあれば、

相手に通じるものだし、

相手も気づくものだ。

そのような介護を心がけましょうと話しました。


皆様の今日の気づきになればありがたいです。


合掌




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

観音様の右手

2016-05-25 04:14:24 | 日々の暮らし
結婚式はなぜ大安の日にするのか。

なぜ仏滅の日にしないのか。

お葬式はなぜ友引の日にしないのか。

今日は大安仏滅の六曜について述べたいと思います。

1.先勝(せんしょう)
2.友引(ともびき)
3.先負(せんぷ)
4.仏滅(ぶつめつ)
5.大安(だいあん)
6.赤口(しゃっく)

と回ってゆく。
この元の意味は、

「先勝」とは、釈迦が菩提樹の下で悟りを開いた日。

「友引」とは、釈迦のお葬式の日。

「先負」とは釈迦がお城から家出をした日。

「仏滅」とは、釈迦が亡くなった日。

「大安」とは、釈迦の誕生日。

「赤口」とは、釈迦を火葬にした日。

現在の六曜は釈迦の誕生とは関係がないようです。
読み方も変わっています。

参考までに紹介させて頂きました。

さて、先日書いた
「恕(じょ)」について古い友人から、浅草の浅草寺の住職がテレビで、この世で一番大切なことは、「恕」と書かれたとコメント頂きました。

恕とは思いやりのこと。

「徳は恕なり」と私が述べたことが偶然一致したことに驚いています。
浅草の本堂に
「無畏心(むいしん)」
と書かれています。

意味は「畏(おそ)れ心を無くす」ということです。

観音様の右手は、手の平を外に向けて人々に差しのべています。

それは「人間の恐怖心を取り除いて、安心させてあげよう」という観音様のお心を表している形といいます。

観音様は祈っている人の願望に応じた姿に変身して救ってくれます。

今日も皆様を

災難からお守り


下さりますように。


合掌
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人の心の十戒

2016-05-24 05:39:22 | 日々の暮らし
今日は休みです。
今朝はよく夢を見ました。
人を助けたり、身代わりになったり。

身代わり地蔵の夢でした。

皆様も危機一髪で助かった経験ある人は、身代わりになってくれた仏様やご先祖様がいたことに感謝してくださいね。

さて今日は

「人の心の十戒」

について話してみたいと思います。

昔中国のちぎという
天台宗を開いたお坊さんが説いた話です。

人の心は仏になったり、鬼になったり、いつも揺れ動くもの。

これを四つの

「悟りの世界」と

六つの

「迷いの世界」に

分けています。

両手を広げて手のひらを上にしてください。

左手の小指を1番にして、5番の親指へ。

続いて、右手の小指を6番にして、10番の親指へと行きます。

各番号に名前をつけています。

左手の小指の1番から

1.地獄界
何でも悪いことはすべて人の責任にして、その人を責めて憎む人。

2.餓鬼界(がきかい)
いくらあっても欲しいという欲求不満のかたまりの人。

3.畜生界
強いもの勝ちの思いやりなどカケラもない人。

4.修羅界(しゅらかい)
戦争好きな人。
他人に負けまいと肩肘はる人。

5.人間界
人間さまの苦しみや悩みの多い世界。

6.天上界(右手の小指)
やることなすことうまくいって、他人の不幸など眼中にない有頂天の人。

これらを
「六道に迷う」
といいます。

次に右手の薬指7番からは悟りの世界に入ります。

7.声聞界(しょうもんかい)
釈迦(仏)の説法の声を聞いて、この世の道理を悟ることができる人(傾聴できる人)。

8.縁覚界(えんがくかい)
「桐一葉おちて天下の秋を知る」

(豊臣家の滅亡を予見した家老片桐且元の言葉)

自然界の動きをみて、この世は縁によって生まれ、縁によって滅びるものと悟る人。
これを羅漢(らかん)という。

9.菩薩界
大衆の苦しみや悩みを救い、悟りの世界に引き入れる努力をする人。
こういう人を菩薩といい、こういう行いを
菩薩行という。

10.如来界(最後の右手の親指)
すべての執着がなくなり、永遠の宇宙の同じ心となる。
仏さまの世界に入ったといえる人。

人の心は、この十戒を
絶えず出入りしている。
こういう人を

「凡人(ぼんじん)」という。

迷いの世界にいる左手である凡人は、

悟りの世界に住む右手の仏さまに近づくためにいつも心がけるために手を合わせるのである。

これを合掌という。

有り難い説法だと思います。


『右ほとけ

左はわれと

合わす手の

中ぞゆかしき

南無大師(空海)』


今日の佳き日に


合掌
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ありがとう!キュッ!

2016-05-23 03:11:13 | 日々の暮らし
夏の風を感じてプールに行って来ました。

途中の野原にたくさんの花が咲いていました。
昨日のラジオで聴いた事を思い出しました。

花の種は風に運ばれます。

しかし、カタクリとスミレは蟻(あり)が種を運ぶそうです。

蟻が好む匂いがするからです。

知りませんでした。

さて、今日は「仁」と「徳」について話したいと思います。

「人間として一番大切

なものは徳である」

(松下幸之助)

論語(孔子の話)にも仁と徳がよく出てきます。

人間は一人では生きられない社会的動物です。

その人間関係の中でもっとも大切なことは、

「相手を思いやる心」

といいます。

これを儒教では、

「仁(じん)」と

言います。

人間愛とか、優しさを

意味しています。

「徳」とは、難しく、広い意味があります。

私は仁を持つ人と考えています。

徳のある人、徳のない人と使います。

論語では徳は自分で悟るものとあります。

孔子の高弟が孔子に

「生涯を懸けて行う

ものは何ですか」

と尋ねた。

孔子は

「それは恕(じょ)の一言だろう。

恕とは相手を思いやることだ。

だから、自分が欲しないことは人も欲しないので、そのようなことはしてはいけない」と答えています。

徳は恕なのですね。

徳のある人間になるようお互い努力しましょう。

次に孔子は
「人の過(あやまち)」について
述べています。

「人は誰でも過ちを犯すもの。
だが、過ちであることを知ってこれを即座に改めることができれば、これはもう過ちではない。

過ちを知っても適当にごまかして改めないことを、本当の過ちというのだ。」

私はこの言葉が好きで何度も紹介しています。

責めてばかりいる人に聞かせたい言葉です。

「優しい言葉は、たとえ簡単な言葉でも、
ずっとずっと心にこだまする」

(マザー・テレサ)

ありがとう!を多く言うと、ストレスが少なくなるといいます。

イギリスでは、会話の後にみなキュッ!と言うそうです。

「キュッ!」とは
サンキュウのことです。

簡単な言葉でも

たしかに、心に残りますね。

今日の佳き日に

キュッ!

合掌
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二つの把手(とって)

2016-05-22 03:55:55 | 日々の暮らし
「ものごとにはすべて、二つの把手(とって)がある」

(エピクテトス・ギリシャの哲学者)

私はこの言葉をあなたに送ります。

東京ディズニーランドと東京ディズニーシーがあるように。

ものごとには二つのとってがあります。

思い出すのはバブルの時代。
何をやっても許され、銀行も金を貸してくれた。

ホテルやゴルフ場、高級マンション、観光開発などに、全く違う業種に手を出す人ばかりでした。

バブルがはじけたら、どこも倒産したり、多額の借金を抱えてしまいました。

私も全く知らない流通業に転勤させられました。

あの苦い経験から学んだことは、アメリカの成功している会社をみたら、本業の匂い(関連性)のある企業だけが生き延びていることでした。

皆さんの会社はどうですか。

今のやり方がすべて正しいと押し付けてきていませんか。

しかし、本当にそれが正しいのでしょうか。

ほかのやり方はないのでしょうか。


「すべてに二つの把手がある」のですから。

伝統を守る精神と、
その殻を破る精神との調和した発想が、その時代の人々に受け入れられると考えるのです。

それが、できない企業は辞めていく人が多いのだと思います。

行き詰まったら、裏返ししたり、ひっくり返したり、あらゆる方向から見直す精神や上申できれば、新しい把手が見つかると思います。

(伝統の三菱が日産に吸収合併しなくても、すんだのでは)

また、人間同志に相性があるように、仕事にも相性があります。

いまの仕事の相性が悪いとしたら、

「これは、新しい仕事を見つける転機なのだ」と思います。

無理するのも良くないので、
私のように前職に未練を残さず、すっきりと辞めることです。

自分に合う仕事を探し求めることも必要だと思います。

仕事とは地獄のように辛いものではなく、

打ち込むことで極楽になるという

「仕事を趣味に」という考えは日本特有の思想です。

その心根を忘れずに、

仕事できる職場でありますように。


旅立つ人には

勇気とエールを


送ります。


祈願合掌。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする