古稀を過ぎた主夫の独り言日記

主夫の独り言
やれるまでは小学生とサッカー
合唱は再開しました
アフリカの想い出

みっか

2023-04-04 16:28:25 | 主夫のつぶやき
三日は妻の誕生日。
朝八時半、妻の定期検診に車で出かけた。
11時の予約だったが、いつも通り遅れて12時を回った。
結果は良好だったので、一安心。
最初の手術から二年で再発、再手術。
その後二年になる。
ずいぶん心配していたようだ。
半年は過去と同じ治療だったが、一年半前に薬を変えた。
遺伝子操作をする最新の薬による治療だ。
体質的に合ったのだろう。
最低二年、最大三年の治療が出来る。
血圧の上昇など副作用もあるが、それも減少しつつある。
帰りにいつもの薬屋に立ち寄り、薬を受け取る。
次に駅前のケーキ屋に立ち寄った。
誕生祝いにケーキを三つ。
今年は古稀の祝い。
ささやかにお寿司で祝った。
まだまだ長生きして貰わなくちゃ。
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ことしはだめだと

2023-04-04 15:58:16 | 主夫のつぶやき
『今年は筍が全部やられた。』
毎年筍を頂いているご主人からそんな話を3月に聞いていた。
昨日、姉から筍ご飯を頂いた。
サクラエビや干し椎茸や油揚げなどが入り美味しく頂いた。
お礼をラインで流した時、今年は筍が不作だと書いた。
その直後、件のご主人が筍を二つ袋に入れて持って来てくれた。
『小さいのしか無いけれど。』
手の平サイズが二本。
有難く頂き、直ぐに米糠で茹で始める。
もうすぐ、茹で上がる。
毎年、米袋に半分くらい頂くので半日かかる。
今日は30分ほどで終了する。
全て我が家で消費することになろう。
嗚呼、有難い旬の味。
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うんどうかい

2023-04-04 12:20:40 | 主夫のつぶやき
町内の運動会はコロナで3年連続中止になった。
更に公民館の建設資金積み立てのため、運動会は当面やらないことに決まった。
その代わりに輪投げ大会を年間二回やる事になった。
運動会の時は『体育委員』なる16名が躍動する。
私が初めて参加した40年くらい前、町内の大イベントだった。
朝から3時頃まで、8組対抗の綱引きで盛り上がる。
最後は勿論、リレーで最高潮に達する。
優勝するために各組は運動会の前に色々と練習を重ねた。
そこまでして、楽しんだ。
しかし、私が体育委員になった25年ほど前から様子が変わってきた。
最初の体育委員の時は年寄りでも出来る種目の要望があった。
次の体育委員の時は拘束時間が長すぎるとして午前中に終わるようになった。
新種目を作ったり、内容の大幅な見直しをして住民の要望を受容れた。
これらは運動会に対する住民そのものや社会の変化が影響していた。
個人が大切にされ、群れを作っていた生活が変わった。
遊ぶところが増えて、運動会その物の魅力が薄れた。
そうして遂に運動会は要らないという意見も出るようになる。
これは自然な成り行きであるから、運動会その物が変化すべきだろう。
運動会の意義は何だったのだろうか。
昔は住民の楽しみだった。
と同時に住民同士の触れ合いの場でもあったと思うのだ。
住民の顔が知れ、同じ目標を持つことで一体感も生まれた。
しかし、核家族化に始まり趣味の多様化により運動会は嫌われ始める。
好きでも無いことに時間を奪われるのを嫌ったのだろうか。
触れ合いそのものを否定する人も現れる。
そうした心の変化は体育委員の考えも蝕み始めた。
今、世の中は『ふれあい』を推し進めようとしている。
個人主義が進みすぎて、人同士の繋がりが希薄になった。
その結果として一人住まいが増え、孤独死が目立つようになった。
こうした社会現象に対して自治体が『ふれあい事業』を呼びかけているのだ。
けれども住民の心は一朝一夕に変化しない。
『ふれあい』は欲しいが、『わたしの生活』は変えたくない。
運動会が輪投げ大会に変わったからと言って、大きな変化は望めないだろう。
大会運営には一部の人の犠牲が伴う。
体育委員は企画・運営・報告に多くの時間を割かれる。
ボランティアで、好きでも無いことに何故時間を使わなければならないのか。
その気持ちが『責任を持てない』という言葉で否定に走る。
『得られる物が無い』と否定出来うることだと唱える。
最後は『コロナはまだ終わっていない』




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どどでっぼー

2023-04-04 08:44:47 | 主夫のつぶやき
ドドデッボー ドドデッボーと、キジバトが鳴いている。
濁り声で美しいとはとても言えないが、愛嬌がある。
洗濯物を干しながら、しばらくその声を聴いていた。
鳴き始めは『ド』あるいは『ドド』ではっきり聞き取れない。
濁り声独特の籠もった声で、聞き取りにくい。
『デッボー』も濁り声だが『デ』の音が少し高い。
彼としては一番張り上げた声なのかも知れない。
彼と書いたが、彼女かも知れないのでここは更なる注意が必要。
鳴き終わりは『デッボー』で終わる物と思っていた。
ところが最後に『ド』を一回だけ添えるのだ。
何度か聞き直してみたが、ほとんど『ド』が最後になる。
『ドドデッボー ド』で鳴き終わるのだ。
してみると、鳴き声は『ド ド デッボー』なのかも知れない。
けれども最初の『ドド』の間隔は非常に狭い。
すると、裏の家の犬が突然吠えだした。
暫く、キジバトの鳴き声が止んだ。
家の猫が『ニャー』と鳴く。
次の『ドドデッボー』はかなり遠くに行ってしまった。
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