零コロナ政策を放り出した習近平中国政府。
アメリカからコロナ感染者数発表を止めないようにと釘を刺されていた。
それなのに、発表を止めると国家衛生健康委員会。
ところが、その日の午後、中国疾病予防センターが発表した。
その数4103人。
しかしである、各都市が発表した感染者数。
いずれも30万、40万という桁違い。
多分万分の一にもならない位の国家発表だ。
それも今までと違い無症状感染者は数に入らない。
現在の中国では多分千万人単位の感染者が毎日出ているはずだ。
抗体が充分行き渡れば治まるだろうが、春節で更に爆発するだろう。
感染者が増えれば死者数も増える。
当たり前のことである。
この事実を隠しきろうとする習近平。
聡明な中国国民が見逃すはずも無い。
斎場は何処も一杯で処理しきれないくらいの死者数。
寒さで死者が増えたとは、中国国民が思うはずも無い。
小学生でも推測出来るこの事件を、政府はどう乗り切ろうとするのか。
先ずは地方政府の問題にすり替えるのだろうが、無理がある。
地方政府を今までは恐怖政治で押さえつけてきた習近平。
恐怖が効果あるのは共産党党員にのみ。
この危機を乗り切る術が、私には見つからない。
この時期を逃さず、国民が声を挙げ行動に出られるのか。
我が身と親族の安全が守られればそれで良しとする国民性。
今回だけは行動に移して欲しい。
そして、せめて胡錦濤時代の民主化を達成して欲しい。
民主主義を無償で享受した日本国民が言うべき言葉では無いかも知れない。
しかし、敢えて言わせて貰おう。
全ての人がプライドを持って生活できる環境は民主主義国家のみ。
今もって完全なる民主国家などは存在しないけれども。
建て前でも『法治国家』『基本的人権』『表現の自由』が必要だ。
現在の中国にはそのどれもが、無い。
共産党が勝手に決める法律など、法とは言えない。
人権などは無視され監視され続けている。
思っていることを話すことも出来ない。
情報は統制され、都合の悪いことは隠される。
賢明な中国人はそれを知っていながら、知らぬ振りをする。
我が身と親族を大切にする文化は大切だ。
長い歴史の中で国民が体得してきた生活の知恵だ。
しかし、人には立ち上がるべき時がある。
そして、今こそが立ち上がるときだ。
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