本日8月20日は、ハーリド・イブン=アル=ワリードに率いられたアラブ軍が東ローマ帝国を破った日で、壬申の乱の瀬田川の戦いが行われた日で、ブルガリア皇帝シメオン1世が東ローマ帝国を破った日で、オランダ共和制の指導者ヨハン・デ・ウィットと弟のコルネリス・デ・ウィットが民衆に虐殺された日で、禁門の変が起こった日で、アメリカ大統領アンドリュー・ジョンソンが南北戦争の終結を正式に宣言した日で、孫文らが東京で中国革命同盟会を結成した日で、東京の銀座尾張町・京橋など34か所に日本初の3色灯自動信号機が設置された日で、レフ・トロツキーが亡命先のメキシコにおいてピッケルで襲撃された(翌日死亡)日で、1945年8月15日以後も続いていたソ連軍と日本軍の戦闘で樺太・真岡郵便局の女性電話交換手9名が自決した日で、ワルシャワ条約機構軍の兵士200000名と5000輛の戦車がチェコスロバキアに侵攻した日で、イスラエルとパレスチナ解放機構がパレスチナ暫定自治政府創設に関するオスロ合意に署名した日で、シリア北部のアレッポでシリア内戦の取材中の日本人ジャーナリスト・山本美香がシリア政府軍の砲撃を受けて死亡した日です。
本日の倉敷は晴れていましたよ。
最高気温は三十四度。最低気温は二十六度でありました。
明日も予報では倉敷は晴れとなっております。
倉敷美観地区の大原美術館の門の下にぼんやり空を仰いでいる一人の愚か者がありました。
愚か者の名は狐といつて元は蝶よ花よと言はれて育つたにもかかわらずぽんこつでぼんくらで怠惰な性の為に孤独の荒野をひた走る哀れな身分になつてゐるのです。
哀れなる哉。愚かなる者。狐は近頃はやさぐれた心持になつていて小刀みたいに尖つた態度で触るものみな斬りかかる目付きなのです。
何しろ倉敷美観地区といへば名だたる観光地ですから往來にはまだしつきりなく人や車が通つてゐました。
門一ぱいに当たってゐる油のやうな夕日の光の中に老人のかぶつた帽子や女の金の耳環や男の持つ寫眞機が絶えず流れていく容子はまるで画のやうな美しさです。
しかし狐は相変わらず門の壁に身を凭せてぼんやり空ばかり眺めて荒んだ心持でゐました。
空にはもう細い月がうらうらと靡いた霞の中にまるで爪の痕かと思ふ程、幽かに白く浮かんでゐるのです。
「日は暮れるしお腹は空くしいらいらして暴れたいし邪悪な心持が抑えきれないし、こんな思ひをして生きてゐる位ならいっそ倉敷川へでも身を投げて死んでしまつて鯉の餌になつた方がましかもしんない」
狐は獨りさつきからそんな阿呆な取りとめもない本気でないことを思ひめぐらしてゐたのです。
すると何処からやつて来たか、突然狐の前へ足を止めた老人があります。
それが夕日の光を浴びて大きな影を門に落とすとぢつと狐の顔を見ながら、「お前は何を考へてゐるのだ」と突然に横柄に狐に言葉をかけました。
「私ですか。私は理由もなくいらいらしていてやさぐれた気分が治まらずほとほと困り果ててどうしたものかと考へてゐるのです」
老人の尋ね方が急でしたから狐はさすがに眼を伏せて思はず正直な答えをしました。
「さうか。それは可哀さうだな」
老人は暫く何事か考へてゐるやうでしたが、やがて往來にさしてゐる夕日の光を指さしながら、「では俺が好い事を一つ教へてやらう。今この夕日の中に立つてお前の影が地に映つたらその頭に当る所を夜中に掘つて見るが好い。きつとお前のいらいらが治まるものが埋まつてゐる筈だから」
「ほんたうですか」狐は驚いて伏せていた眼を挙げました。
「嘘ぢや。その道は混凝土ぢや。掘れぬわ。ふおふおふおふお。早く家に帰つて飯をたらふく喰いぐつすりすやすや寝るがよい。ふおふおふお」
不思議な事に老人の声はするものの老人は何処に行つたのか周囲にはそれらしい影は見当たりません。
その代わり空の月の色は前よりもなお白くなつて休みない往來の人通りの上にはもう気の早い白鷺が寝床を捜してひらひら舞つてゐました。
「揶揄われた。orz。見知らぬお爺さんに揶揄われた。orz。ぐぬぬ」
狐はやはり夕日を浴びて大原美術館の門の下にぼんやりと荒んだ気持ちで佇んで空ばかり眺めていたのでありました。