狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

ゆっくりと12月の明かりが灯りはじめ 慌ただしく踊る街を誰もが好きになる。

2016年12月02日 21時04分08秒 | VSの日記




 本日12月2日は、慶長三陸地震が起こった日で、ナポレオン・ボナパルトの戴冠式がパリのノートルダム大聖堂で行われてナポレオンがフランス皇帝に即位した日で、ジェームズ・モンロー米大統領によるモンロー宣言がなされた日で、ルイ=ナポレオンがナポレオン3世としてフランス皇帝に即位した日で、奴隷制度廃止運動家ジョン・ブラウンが処刑された日で、2歳10か月の愛新覚羅溥儀が清の皇帝に即位した日で、大本営が「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号電文により真珠湾攻撃を訓電発令した日で、エンリコ・フェルミらがシカゴ大学の原子炉で持続的な核分裂の連鎖反応に成功した日で、沢村栄治投手の乗った輸送船が台湾沖で米潜水艦シーデビルの攻撃に遭い撃沈した日で、内務省が特殊飲食店地帯・赤線を制定した日で、アメリカ合衆国と中華民国が米華相互防衛条約に調印した日で、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらがグランマ号でキューバに再上陸した日で、マルタ会談が開始された日で、ドイツで再統一後の初の総選挙があった日で、オウム真理教による駐車場経営者VX襲撃事件があった日で、朝日新聞が「(当時の)安倍元首相への蔑称が流行している」と勝手に主張して自らの主義主張に相容れない者に対し事実を捏造してまで執拗に攻撃したとされたことから生まれた「事実を捏造する」や「執拗に責め立てる」を意味する言葉『アサヒる』がNHKの『未来観測 つながるテレビ@ヒューマン』内で流行語として挙げられた日です。

 本日の倉敷は晴れでありましたよ。
 最高気温は十四度。最低気温は六度でありました。
 明日も予報では倉敷は晴れとなっております。


 皆様、今晩は。
 世間様はクリスマスシーズンに入っていますね。
 私・狐は、今年もクリスマスにエクストリーム・クリスマスに参加することがほぼ決定したことをここで皆様に御報告させていただきます。ぺこり。

 嗚呼。独り身には辛く厳しいクリスマスが今年もやってくる……。
 嫉妬の炎に身を焦がし憐みの視線を浴びる過酷な時期がやってくる……。
 しかし、しかしだ。私ほどの歴戦のエスストリーム・クリスマス参加者ならば、クリスマス前で浮かれているカップルどもを見てもそっと心の中で祝福を送ることの出来るのです。
 何も恐れることはない。
 堂々と胸を張ってエクストリーム・クリスマスに参加し、過酷なクリスマスシーズンを乗り切りたい。そう思っているところなのでございます。

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『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』/本谷有希子

2016年12月02日 15時35分42秒 | 小説・本に関する日記



 昨日の夜は、本谷有希子の小説『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』を読んでいました。

 田舎で暮らす高校生の少女・和合清深の両親が交通事故で死亡する。
 清深と清深の兄夫婦は両親の葬式を執り行い悲しみに暮れている。
 その最中に清深の姉・澄伽が東京から実家に帰省してくる。
 澄伽は女優を目指しているが上手くいっていない。
 性格は自意識過剰で自分勝手。
 清深と澄伽は、かつて清深が仕出かしたある出来事が理由で仲が悪い。
 実家に帰ってきた澄伽は、清深と兄夫婦を引っ掻き回すことになる。のだが……。

 本谷有紀子が主宰する「劇団、本谷有希子」の第1回公演作の演劇を本谷有紀子が小説化した作品です。



 自意識過剰。冷酷な観察者。問題を抱え込んでしまう自爆型。お人好しであるが故に自己決定できない人。
 田舎の濃密な人間関係。内側と外側。希望と絶望。

 裏側に隠しているけれども人が誰しも持っている欲望をぐいっと表面に出して、突き付けるかのよう。

 面白かったですよ。
 楽しめました。


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印象が先行する事は悪い事ではない。悪いのは具体的な事が伴わず印象のみが独り歩きする場合である。

2016年12月02日 12時58分40秒 | その他の日記





 「死ね」という強力で尚且つ下品な言葉を使わなければ議論を提起できない人間は稚拙で低能な人間である。と評価されるべきだと私は思うのです。
 それでも一般人で素人のお方がどうしても問題提起をしたくて強力な言葉を使った、というところまでは理解できるのです。

 しかし、話題になったその後にわざわざ「死ね」という言葉をプロが再び使う必要はありません。
 プロならプロらしくきちんとした言葉を使い、問題を分析し解析して問題の解決案を提起すればよいのです。
 プロであるはずの人達がわざわざ下品な言葉を使う必要などないのです。
 プロであるはずの人がわざわざ下品で強力な言葉を使うということは、プロであるはずなのに強力で下品な言葉を使わないと議論が出来ない無能な人間であると表明しているようなものです。


 流行語に認定されてしまいましたね。
 ってことはですよ。プロであるはずなのに言葉をまともに使うことができない議論が出来ない無能な人間であると日本中に広まってしまったということですよ?
 「死ね」という強力で下品極まりない言葉を使わないと問題を提起することができない稚拙で愚かな人間であると日本中に広まってしまったということですよ?

 言葉は大事だと思うのですが、どのように思っているのでしょう?
 下品な言葉しか使えないのならば影響力のある立場に立つべきではないと思うのですが、その点はどのように思っているのでしょうか?
 非常に興味があるところなのでございます。

 
 
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