狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

どうか勇気をください。星よりも高く飛べるほど。

2016年12月16日 19時19分42秒 | VSの日記




 本日12月16日は、安史の乱が起こった日で、応仁の乱が終結した日で、ボストン茶会事件があった日で、A級戦犯容疑者としてGHQから出頭命令を受けていた近衛文麿元首相が服毒自殺した日で、ルーマニアのティミショアラでラースロー司教国外退去への抗議デモに対して治安部隊が発砲してルーマニア革命の発火点となった日で、中国民航機ハイジャック事件があった日です。

 本日も倉敷は曇り空でありましたよ。
 最高気温は七度。最低気温は三度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。



 昨年の今頃の記事を見返してみると、昨年の今頃は私は私のぷにぷにの柔らかい軟弱な魂にブレイクダウン・タイフォーン級の攻撃を受けて痛恨の一撃で大ダメージを負ってぢっと体育座りをしてお空を眺めて心の傷を回復していたようです。
 早いものです。もう一年経ったのかぁ。ずいぶん昔のことのように感じます。
 
 私の心の中に住まう何かゲリオン的なものが動き出して暴走することなく荒ぶるL様の如く暴れることなく一年が過ぎました。
 心も体もお財布の中身も寒いままで傷跡は残ったけれども、傷は回復しました。
 何とかなるものなのだな。と思っているところなのでございます。

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人間はインセンティブに反応する。それこそが経済学の核心だ。

2016年12月16日 16時30分28秒 | その他の日記






 思考実験をしてみましょう。



 同程度の経済力をもった2ヶ国があったとします。
 A国は貧富の差がほとんどない社会を目指します。その代わり経済成長は0。
 B国は経済成長5%を目指します。その代わり貧富の格差は激しい。

 この条件下では初年度はA国とB国の福祉や医療や教育に回されるお金の量はおそらく同程度。
 そしてA国の平均的な国民の所得はB国の富裕層には及ばないけれども貧困層の所得と比べるとはるかに上となります。
 しかし10年後にはどうなっているでしょう? 20年後は?

 具体的な数値は省きますが、高い確率で(つまり何事もなければ)経済成長5%を維持したB国の貧困層の所得はA国の平均的な国民の所得を上回ってしまうのです。
 そしてA国とB国の福祉や医療や教育に回されるお金の額はB国がA国をはるかに上回ることになるのです。
 時が経つにつれてB国はA国よりも福祉や医療や教育の分野が充実していくことになります。
 さらにB国は文化にもお金をまわせる余力ができるでしょう。文化もお金を生み出しそのお金は福祉や医療や教育に回っていきます。
 そして災害時や緊急時にまわせるお金の桁が違ってくるのです。
 災害時や緊急時に投入するお金の額が違えば救える可能性のある人の数が変わってきます。

 国際関係で述べるなら、経済成長0の状態を10年間続けると国際的な影響力は一気に下がります。
 さらに、何処かの国を助けたいと思っても余力が無い状態なら助けることもできません。
 ギリギリの状態であったなら非常時において脆い体制となります。



 勿論、これは机上の空論であって現実は様々なパラメーターが存在します。
 なので現実は上記のようには進みません。

 しかしレーニン・スターリン型の共産主義や毛沢東型の共産主義は構造上に欠陥があることが判明しています。
 原始共産主義も小規模で構成員の価値観がほぼ一致している状態ならば可能かもしれませんが、国家単位では無理なことは判明しています。
 そしてレーニン・スターリン型の共産主義の社会や毛沢東型の共産主義の社会は平等な社会を作り出すシステムではなく究極の格差社会を作り出すシステムであることも判明しています。
 レーニン・スターリン型の共産主義の社会や毛沢東型の共産主義の社会は貧困者を救うシステムではありません。

 共産主義を奉じるお方は理論の再構築をすべきです。
 社会主義を奉じるお方も理論の再構築をすべきです。
 その上で方法論を練り直すべきです。

 福祉や医療や教育を重要視し格差を是正したい。と考えるならば、その為に経済を発展させて福祉や医療や教育に投入できるお金を増やそうと考えてもよいと思うのです。
 お金は大事だ。と私は思うのです。
 そして人の欲望を軽視してはいけない。と私は思うのであります。

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人間に想像力がなかったら、人類は文化を創り出すことはなかったでしょう。

2016年12月16日 15時43分03秒 | その他の日記




 私は子供の頃から本が好きで小説や漫画を読んでいましたが、学生の頃は出来るだけ本や漫画を読んでいることを隠していました。
 本を読む人や映画を観る人や音楽を聴く人や漫画を読む人やゲームを楽しむ人はメディアや偉そうな人達によって繰り返し謂われなき理由なきバッシングに遭ってきたのでその影響が社会にも及んでいたからです。

 かつて、漫画を校庭に集めて焚書にする活動があったそうです。
 実質的な検閲の要求もあったそうです。
 「映画を観ると不良になる」とか「ロックを聴くと不良になる」とか言われた時代もあったそうです。
 ホラーやゲームやアニメが槍玉に挙げられた時もありました。
 ゲーム脳というエセ科学の理論を主要メディアで述べるという馬鹿なことをする者までいました。
 これらの手口は共産主義者の手口と同じです。
 海外の独裁共産主義国家は文化の担い手を潰し投獄し殺していきました。
 そうすることで反対意見を述べるものを排除していました。

 
 でも本邦では先人達が謂れのない言いがかりは跳ね返してきてくださいました。
 だからこそ今、私達はそれらを楽しむことが出来ています。

 しかしそれでも趣味のことでごちゃごちゃと訳の分からない言いがかりをつけてくる人はいます。
 なので学生の頃は本や漫画を読んでいることを隠してきました。
 バレていたかもしれませんが、本や漫画を読んでいることが公に知られたら攻撃の対象にされる危険性があるような気がしたのです。
 直接攻撃なら対処の仕方がありますが、集団でゲリラ戦を挑まれたら辛いし面倒くさい。
 要らぬ戦いは回避する意味でも隠しておいたほうが無難でした。

 大人になって良かったなぁと思うのは、映画を観ようが小説を読もうが漫画を読もうが音楽を聴こうがゲームをしていようが他人に迷惑をかけていないなら文句を言われないこと。
 私は自由だ。

 暗黒の時代を無事に通り過ぎて大人になれてよかったなぁ。と思う今日この頃なのでございます。

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『夏目友人帳』第12巻/緑川ゆき

2016年12月16日 11時37分05秒 | 漫画・ゲームに関する日記



 昨日の夜は、緑川ゆきの漫画『夏目友人帳』の第12巻を読んでいました。
 ゆるゆると読んでいます。


 夏目貴志は幼い頃に両親を失い、親戚に盥回しにされてきた。
 幼い頃から妖が見える体質。だけど気味悪がられるので周囲にはそのことを隠している。
 今は遠縁の藤原夫妻に引き取られて暮らしている。

 彼は妖が見える彼は祖母の遺品の友人帳を持っている。
 その友人帳は強力な妖力を持っていた祖母が妖怪達をいじめ負かして妖怪達の名前を奪ってその名前を書き留めた妖怪達との契約書だった。
 名前を奪われた妖怪達は友人帳を持つ者に従わなければならない。
 夏目は名前を取り返そうとする妖怪達に付きまとわれ、友人帳を奪って強大な力を得ようとする妖怪達から付け狙われて……。



 異質な者とどのように関わるか、というお話。
 妖は人の常識や倫理観とは全く違う常識や倫理観で動いている。
 でも理解できる部分や共感できる部分もある……。
 異質な者を拒絶するのかそれとも受け入れるのか? 
 二者択一ではない。
 保留という選択肢もあるし住み分けという選択肢もある。
 妥協もあるし容赦ない選択肢を取らなければならない時もある……。


 さらに人との距離感の模索のお話でもあります。
 自分を受け入れてくれる人と自分を受け入れてくれない人。
 どのように人と関わっていくのか?
 他者を理解するということはどういったことなのか?
 他者と関わっていくということはどういったことなのか?
 そんなお話です。


 繊細でゆったりとしたお話。
 描き方が優しいです。

 今巻も面白かったですよ。
 ゆるゆると続きを読んでいこうと思っております。

コメント (2)
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