狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

諦めたらそこで試合終了ですよ?

2017年01月10日 21時41分40秒 | VSの日記





 本日1月10日は、ガイウス・ユリウス・カエサルが元老院の命令を無視してルビコン川を渡りイタリアに侵入した日で、小石川養生所が開設された日で、アメリカ合衆国とバチカンが117年ぶりに国交を回復した日で、中国河北省北部でマグニチュード6.2の地震が起こった日で、ハマーン・カーン様のお誕生日です。


 本日の倉敷は晴れていましたよ。
 最高気温は十二度。最低気温は二度でありました。
 明日も予報では倉敷は晴れとなっております。


 ダイエットを行っています。

 今回はかつての脚力を取り戻すことが目的です。
 ま、どのような目的であれ駄肉は無駄です。削ぎ落とさねばなりません。

 長期計画なので自分では効果が分かりにくいです。
 なので「もういいもん」と自棄になって駄肉を削ぎ落とす作業をお空の彼方に綺麗な放物線でぶんっと投げてしまいそうになります。
 私の中に巣くう誘惑は強大で私はLv1でラスボスに挑んでいるような気分になってしまいます。
 しか~し、ここで引き下がるわけにはまいりません。
 頑張って駄肉を削ぎ落としていきたい。と思っているところなのでございます。

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『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』

2017年01月10日 20時39分11秒 | 映画・ドラマに関する日記





 昨日の夜は、映画『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』のDVDを観ていました。

 修学旅行で高校生の関大助が乗っていたバスが事故に遭ってしまう。
 気が付くと大助は地獄にいた。
 大助は、大好きなひろ美ちゃんに思いを告げずに死んでしまったことに動揺する。
 そんな大助の前に地獄農業高校軽音楽部顧問でロックバンドのヘルズのリーダーである赤鬼のキラーKが現れて……。

 監督は、宮藤官九郎。
 出演者は、長瀬智也、神木隆之介、尾野真千子、森川葵、桐谷健太、清野菜名、皆川猿時、シシド・カフカ、古舘寛治、清、古田新太、宮沢りえ、坂井真紀、山田杏奈、荒川良々、瑛蓮、みうらじゅん、Char、野村義男、ゴンゾー、マーティ・フリードマン、ROLLY、快速東京、木村充揮、関本大介、ジャスティス岩倉、烏丸せつこ、田口トモロヲ、片桐仁、小泉博康、藤本賢一、平井理央、中村獅童、など。
 コメディ映画です。



 ハチャメチャなコメディ映画です。
 下らなくてノリノリなお話なのです。
 そしてちょっぴり切ない。
 後半は少し破綻しているような気もするのですが、前半で振りがついているのでOKなのかな。

 面白かったですよ。
 楽しめました。


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変える事の出来ない事を受け入れる平静さを。変えるべき事を変える勇気を。そしてそれを見分ける知恵を。

2017年01月10日 13時30分56秒 | その他の日記





 今回の記事は私の個人的な意見です。
 私は私の考えが全て正しいとは思っていません。
 私はあんぽんたんです。
 なので多分色々と間違ってます。

 以下の文章は、読者諸賢におかれましては「あんぽんたんが阿呆なことを述べているわい」と嗤いながらお読み捨てくださいませ。






 本邦では古来から功績があった人や偉大な人や徳がある人を讃えはしますが功績があっただけでは偉大なだけでは徳があるだけでは神様に祭り上げることはほとんどしません。
 本邦で実在の人物で神様に祀り上げられた人物は無念の思いを抱えて亡くなった人が多いのです。正しいとか正しくないとか善とか悪とかは関係ないのです。
 そして本邦の神話の中の神様達で格の高い神様達もよく調べてみるとお隠れになった経緯がかなり異質であることが多いです。
 そして生きながらにして神様とされた人達も功績があったからとか偉大であったからとか徳があるからとかの理由ではなく、贄の要員だったから贄となるまでは大切に扱おうという発想であった場合が多いのです。
 無念の思いを抱えたまま死ぬ場合の想いは膨大な力で生きている人に伝播してしまう。それは鎮めなければならない。という発想が本邦の神道にはあるのです。
 そして無念の思いを抱えたまま死ぬ場合の強力で膨大な想いは自然災害と同じで悪いほうに働けば災害となり良いほうに働けば恵みとなると考えるのです。
 祀り上げることで鎮まったならばその次には人々があのような経緯をもつ神様ならば私達の悩みや願いに共感してくれるかもしれないと考えて様々な願いを神様に願うのです。
 そうして神様に性格が付け加えられていくのです。

 その意味で靖国神社にA級戦犯とされてしまい処刑されてしまった人達を祀るのは理に適っているのです。彼等が正しいか正しくないかは関係ないのです。
 本人達がどのような想いで処刑されていったのかは分かりませんが、残された人達があの人達は無念であったであろうと思っているならばそれは祀り上げることで鎮めねばならないのです。
 そして鎮まれば平和を願う神社・平和を誓う神社へと性格が変化していく可能性があります。


 伊勢神宮に初めて参拝したのは明治天皇です。それ以前の天皇で伊勢神宮に参拝した天皇はいません。
 皇室と伊勢神宮の関係は複雑怪奇なのでしょう。
 しかし今では太陽の恵みを司る神様を祭る聖なる神宮です。
 出雲大社の大国主大神は太古では畏くも怖ろしい神様なのですが今では様々な恵みをもたらせてくれる大社となっています。 


 このような考え方は他国には理解しにくいでしょう。
 しかし靖国神社の問題は朝日新聞社が本邦の神道の考えを全く理解せずに一方的な報道をする前まではどの国も問題視しませんでした。
 宗教観の話にすぎなかったからです。
 政治の問題と宗教の問題は別。当たり前の話です。

 しかし朝日新聞社は宗教観の問題を朝日新聞社の一方的な見解で政治問題化して世界に広めて本邦と隣国との仲を裂きました。
 隣国はこの一件で矛を収めたいと考えても隣国の国民が朝日新聞社の一方的な見解を信じているので宗教観の違いを理解できず納得しないので矛を収めることができません。

 宗教観の違いをわざわざ国際間の政治問題化する新聞社が多様性とか寛容とかを唱えても私は信用する気にはなりません。
 自分達の意見とはほんの少しでも違えば徹底的に攻撃する報道を繰り返しておいて、多様性の重視とか寛容の必要性とかを述べても説得力が無いです。

 何故にこのような報道を繰り返すのか? 疑問に思っているところなのでございます。

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