本日9月14日は、道鏡が下野国薬師寺別当に配流された日で、以仁王の令旨を奉じて挙兵した源頼朝が平氏方に敗れて安房国に落ち延びた日で、源頼朝が弟・範頼を伊豆・修禅寺に幽閉した日で、江戸幕府が金銀吹き替えの触書を公布した日で、ナポレオン軍がモスクワに入城した日で、シャンポリオンがロゼッタ・ストーンのヒエログリフの解読に成功した日で、オスマン帝国が露土戦争の講和条約・アドリアノープル条約に署名した日で、孝明天皇が水戸藩に対し戊午の密勅を下した日で、生麦事件が起こった日で、下関戦争で長州藩が英米蘭仏4か国連合艦隊と講和した日で、ロシア帝国首相ピョートル・ストルイピンがキエフでアナキストに狙撃された(9月18日に死亡)日で、ドイツ国会の選挙が行なわれて国家社会主義ドイツ労働者党ナチスが第二党となった日で、朝鮮戦争で北朝鮮軍が釜山周辺を残し朝鮮戦争における最南下線に到達した日で、1950年に放火で炎上した京都市の金閣が再建された日です。
本日の倉敷は晴れでありましたよ。
最高気温は二十九度。最低気温は二十度でありました。
明日も予報では倉敷は晴れとなっております。
「では皆さん。本来はボケ属性の狐さんが最近ツッコミ役となることが多いのは何故だか御存知ですか?」
知人は狐に目線をロックオンしたまま皆に問ひをかけました。
一人の友人が手を上げました。
それから三人手を上げました。
狐も手を上げようとして急いで其の儘止めました。
自分の事なのでよく分かつていると思うのですが、狐は自分のことを人前で評するやうなことは云えないと思ひ、そして知人の意図がよく分からなくて何だかどんなこともよく分からないといふ氣持がするのでした。
ところが知人は早くも狐のその様子を見附けたのでした。
「狐さん。あなたは分かつてゐるのでせう?」
狐は勢いよく立ち上がりましたが、立つてみるとはつきりとそれを答へることができないのでした。
狐の友人のうちの一人がふりかへつて狐を見てくすつと嗤ひました。
狐はもうどぎまぎしてまつ赤になつてしまひました。
知人はまた云ひました。
「狐さんをツッコミ役にさせているものは大體何でせう?」
やはり自分のことを人前で評するやうなことは出来ないと狐は思い、今度も直ぐに答へることができませんでした。
知人はしばらく困つたやうすでしたが、目を狐の友人達に向けて「では貴方が答へなさい」と友人の一人を指名しました。
するとその狐の友人ももぢもぢ立ち上つたままやはり答へができませんでした。
知人は意外なやうにしばらくぢっと狐の友人を見てゐましたが、急いで「では。よし」と云ひながら、此処にいる皆を順番に指さしました。
「狐さんがボケているにも拘らず皆さんは更にボケを被せるからです。だから仕方なくツッコミを入れているのです。狐さん、さうでせう?」
狐はまつ赤になって頷きました。
けれどもいつか狐の眼の中には涙がいつぱいになりました。
さうだ。私は知つてゐたのだ。
ボケても皆はツッコミを入れず更にボケを被せる。
延々とボケが続いてしまうので話が終わらない。誰かがツッコミを入れるか話を落さなければ話は終わらない。
だからツッコミを入れている。私はボケ属性なのに。さう考へるとたまらないほど自分があはれなやうな氣がするのでした。
知人はまた云ひました。
「よいですか、皆さん。ボケにボケを重ねることを続けると話は終わらないのです。皆さんは加減というものを知るべきです。狐さん。貴方もですよ」
狐と狐の友人達はこくこくと頷きました。
「では今日の集会はここまでです」
知人のお宅の中はしばらく片付けの音がいつぱいでしたが、まもなく皆はきちんと禮をして知人のお家を出たのでありました。