狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

猫は地上に舞い降りた精霊に違いない。猫は落ちることなく雲の上を歩くことができるだろう。

2019年06月04日 23時48分04秒 | VSの日記





 6月4日は、豊臣秀頼と淀殿が自刃し豊臣氏が滅亡した日で、フランスのモンゴルフィエ兄弟が世界初の熱気球無人飛行を実施した日で、南米独立革命の志士アントニオ・ホセ・デ・スクレ将軍がコロンビアで暗殺された日で、東京・九段の東京招魂社を別格官幣社として靖国神社に改称した日で、満州にて関東軍の河本大作が軍閥の張作霖を爆殺した日で、近江絹糸紡績の女子工員が結婚の自由・信書の開封廃止など22項目を要求し106日間のストライキを開始した日で、民主化要求運動で数百万人の市民が集結していた北京の天安門広場に中国人民解放軍が戦車・装甲車で出動し市民を武力で鎮圧して数百人から数千人ともいわれる市民を虐殺した(←このことに関して中国共産党は歴史の捏造を続けている)日です。

 本日の倉敷は晴れのち曇りでありましたよ。
 最高気温は二十八度。最低気温は十九度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。



 狐は犬科の動物なので私は猫様には縁がありません。
 猫様と親しく触れ合いたいと思っているのですが、猫様は私を見ると警戒心を露わにします。
 そして近づいていくと敵意を剥き出しにされるか逃げられるかのどちらかです。ふぎゃあ。orz。

 非常に、非常に悲しいです。orz。
 道端で猫様を見かけた時は猫様のお姿を写真に撮りたいと思うのですが、猫様は私がカメラを構えると必ず逃げてしまいます。orz。
 なので遠くから気付かれないようにカメラを向けるのです。
 しかし猫様は感が良いのです。
 さすがは野に生きる誇り高きお方達。すぐに気づかれてしまいます。orz。



 先日のこと。
 出勤途中でたりらり~と歩いていてとある麗しの黒猫様のお姿をお見かけした時も、警戒心を露わにされカメラを構えるとふぎゃ~と唸られて逃げられてしまいました。orz。

 嗚呼。私は猫様のお姿を写真に撮ることもできぬほど猫様と縁の無い身。
 これほどの不幸が他にこの世にあるだろうか? と我が身を嘆いているところなのでございます。


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『彼女はパートタイムトラベラー』

2019年06月04日 22時39分21秒 | 映画・ドラマに関する日記





 昨日の夜は、映画『彼女はパートタイムトラベラー』のDVDを観ていました。

 主人公はシアトルの出版社でインターンとして働いているダリウス。
 ダリウスが所属している雑誌の編集部は「タイムトラベルのパートナー募集」という奇妙な新聞広告に目を付けて、広告主を取材の対象にする。
 ダリウスは上司の編集者と同僚のインターンと共に広告主のケネスのいる海辺の小さな町に向かう。
 ダリウス達はケネスと接触を試みるのだけど……。

 監督は、コリン・トレボロウ。
 出演者は、オーブリー・プラザ、マーク・デュプラス、ジェイク・ジョンソン、クリステン・ベル、メアリー・リン・ライスカブ、カラン・ソニなど。


 恋愛コメディーでヒューマンコメディーです。

 ケネスという人物が絶妙なバランスで描かれていて、観ている側は「このお話はどう転がっていくのだろう?」と思わせてしまいます。 
 あざとさがないし、上手いなぁ。
 ラストも爽やかでよいです。
 あのラストは受け入れがたいと思う人もいるかもしれませんが、私は映画をスカッと終わらせる良いラストなのではないかと思います。

 ちなみに、邦題の『彼女はパートタイムトラベラー』からバリバリのSFを連想するかもしれませんが、SF成分は極めて薄いです。
 考えようによっては時間SFの要素が入っていますが、主題は別です。

 かわいらしいコメディーをお望みのお方にはお勧めです。



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理想主義者とは薔薇がキャベツより香りの良いことに気付くとすぐ、スープも薔薇の方が美味しいと結論づける人のことだ。

2019年06月04日 16時40分33秒 | その他の日記


私はテレビジョンでごく若い人達と話した際、
非武装平和を主張するその一人が、日本は非武装平和に徹して侵入する外敵に対しては一切抵抗せずに皆殺しにされてもよくそれによって世界史に平和憲法の理想が生かされればよいと主張するのを聞いて、
これがそのまま戦時中の一億玉砕思想に直結することに興味を抱いた。

-三島由紀夫-





 非軍事中立戦略を唱えているあるお方は、公の場で「敵が攻めてきて日本に上陸して自分の娘が『殺されそうになる』までにはたくさんの段階があるわけで。そこまでの段階で『逃げる』などの別の策を講じることを考えるほうが現実的」と述べたそうです。
 つまり、「非軍事中立戦略」を唱えている人は、何処かの国や勢力と戦争になった場合は真っ先に攻め込まれた場所の人達を見殺しにして真っ先に攻め込まれた場所の人達に時間稼ぎをしてもらって自分は逃げると公の場で公言したことになります。
 他者を見殺しにし他者を見捨てて他者の死を他者の苦難を利用して自分達だけ生き延びるという発想です。
 この発言に対して反対意見が一切なかったということは憲法9条を守れと述べている人達はおおむねこの「非軍事中立戦略」を唱えている人と同じ意見なのでしょう。

 ここで疑問なのは、何故に自分達が見捨てられる側に立つという可能性に思い至らないのか? という点です。
 他者を見殺しにし他者を見捨てて他者の死や苦難で作られた時間を利用して自分達は逃げだす、という考えを持っている人達は、その人達の意見が国の意見となった時、住んでいる場所によってはその人達が見捨てられる側に立つ可能性があるはずです。
 可能性が低くとも可能性はあるのです。
 見捨てられる側になっても構わないということなのでしょうか?

 さらに、他者を見捨てて見殺しにして他者の死や苦難で作られた時間を利用して自分達は逃げ出すと公言している人は、見殺しにされた人達の縁者が自分の縁者を見殺しにした人達のことをどのように思うのか? ということを想像したことがないのでしょうか?
 利用され塵のように捨てられた人達が、見殺しにした人に対してどのように思うか? そのことを考えない人は、他者を利用するだけの存在であると考えている可能性があります。

 そもそもこの人が述べていることは個人としてどのように行動するかという話であって、国家としてどうあるべきかという話ではありません。
 国家としてどうあるべきかという話をしているのに個人としてどのように行動するのかという話をして、話をすり替えています。話をすり替えるということは詐欺師と同じです。

 個人としてどのように行動するか、という点では好きにしてくださいな。
 我が国は共産主義国ではないのですから。どのように行動しようとも法を犯していない限りは自由です。
 しかし、「国は攻め込まれた地域を見殺しにしろ」と国家の方針について述べるのならば、見殺しにされた地域の人達はどうすればよいのですか?
 そのことに明確に答えるべきです。





 憲法9条を守れと述べている人達の間で、「他者を見殺しにして逃げることを国是とせよ」という話がたびたび出てくるのです。
 憲法9条を守れと述べている人達はもはや現実に対応できず恐ろしいほど知的に劣化し始めているのでしょう。
 相手が見逃してくれなかった時はどうするつもりなのでしょう?
 相手が対話する気が一切なく殲滅のみを目的にしていた場合はどうするつもりなのでしょう? その場合に逃げ切れるだけの能力を持っている人がどれだけいるのでしょう?
 自分達の都合だけで考えて相手のことを一切考えないで論を作り上げることは現実的だとは思いませんよ?
 非武装であったが為に戦後に大勢の日本人が殺された例がたくさんあるのです。
 殺した側の国々は謝罪や反省をしたことはありませんよ。
 歴史の事実を無視するならば、私達はいずれ再び国を滅ぼし多くの人を死なせることになるでしょう。



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