本日6月25日は、フォントノワの戦いが行われた日で、アウクスブルク信仰告白が神聖ローマ皇帝カール5世に捧げられた日で、江戸幕府が平戸のオランダ人を長崎の出島に移住させた日で、マリア・テレジアがハンガリー王として戴冠した日で、長州藩が下関海峡に碇泊中の米商船に砲撃した日で、江戸幕府が英仏米蘭と改税約書を締結した日で、リトルビッグホーンの戦いでカスター将軍率いる騎兵隊が全滅した日で、三菱内燃機神戸工場の職工が団体交渉権などを求めストライキに突入した日で、大本営・政府連絡会議で仏印進駐などの「南方政策促進に関する件」が決定された日で、『アンネの日記』が出版された日で、北朝鮮軍が38度線を越えて韓国に進攻して朝鮮戦争が勃発した日です。
本日の倉敷は晴れていましたよ。
最高気温は二十九度。最低気温は十九度でありました。
明日は予報では倉敷は曇りのち雨となっております。お出かけの際はお気をつけくださいませ。
昔々。
狐の足が御師匠様の御宅へ段々繁くなつた頃の事。
或る日、御師匠様は突然、狐に向かつて訊いた。
「あなたは何でそうたびたび私のようなものの宅へやつて來るのですか?」
「何でといつてそんな特別な意味はありません。――然し御邪魔なのですか?」
「邪魔だとは云いません」
成程。迷惑といふ様子は御師匠様の何処にも見えなかつた。
狐は御師匠様の交際の範囲の極めて狭い事を知つていた。
其の頃、御師匠様と親しくしている御方は殆ど二人か三人しかいないという事も知つていた。
御師匠様と同郷の御方などには時たま座敷で同座する場合もあつたが、何れの御方もみんな狐ほどには御師匠様に親しみを持つていないように見受けられた。
「私は淋しい人間です」と御師匠様が云つた。「だからあなたの來て下さる事を喜んでいます。だから何故そう度々に來るのかといつて訊いたのです」
「それはまた何故なのです?」狐がそう聞き返した時、御師匠様は何も答えなかつた。
ただ狐の顔を見て「あなたは幾歳ですか?」と云つた。
此の問答は狐にとつてすこぶる不得要領のものであつた。
しかし狐はその時其処まで押さずに帰つてしまつた。
それから四日と経たないうちに狐はまた御師匠様の御宅を訪問した。
御師匠様は座敷へ出るや否や笑い出した。大爆笑であった。
「また來ましたね」と云つた。
「ええ來ましたよ」と云つて狐も笑つた。
狐は他の人からこう言われたらきつと癪に触つたらうと思う。
しかし御師匠様にこう云われた時は、まるで反対であつた。
癪に触らないばかりでなくかえつて愉快だつた。
「私は淋しい人間です」と御師匠様はその晩また此の間の言葉を繰り返した。「私は淋しい人間ですが事によるとあなたも淋しい人間じゃないですか? 私は淋しくつても年を取つているから動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしやう? 動けるだけ動きたいのでしやう。動いて何かに打つかりたいのでしやう……」
「私はちつとも淋しくはありません」
「若いうちほど淋しいものはありません。其れなら何故あなたはそう度々私の宅へ來るのですか」
此処でも此の間の言葉がまた御師匠様の口から繰り返された。
「あなたは私に会つてもおそらくまだ淋しい気が何処かでしているでしやう。私にはあなたの為に其の淋しさを根元から引き抜いて上げるだけの力がないんだから。あなたは外の方を向いて今に手を広げなければならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります」
御師匠様はこう云つて淋しい笑い方をした。
私の御師匠様は淋しがりぶりつ子である。
きつと前世は兎であつたに違いない。