狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

相手の本音は自分に打ち明けたところにではなく打ち明けられなかったところにある。だからもし相手を理解しようと思うのなら相手が言ったことにではなく言わなかったことに耳を傾けなさい。

2020年06月27日 13時06分36秒 | その他の日記
 朝日新聞の『この政党は保守か革新か 揺らぐ「常識」、若者のリアル』の記事で編集委員の真鍋弘樹記者は、20代の人達の政権与党への支持が高い理由がわからないとして、「教育のせいなのか。周囲から浮くのを恐れるのか。50代の記者も加わって議論したが、答えは出ない」としています。

 そりゃそうでしょ。
 貴方達は10代や20代や30代の人達が何を望み何を願い何を実現したいのかを徹底的に無視してきたではないですか。
 自分達の主張のみが正義であるとし、自分達の主張に賛同しない者は「心の病気だ。治らない」と述べる者を絶賛推奨し公の場で自分達の主張に賛同しない者を「殺す」とか「吊るす」とか「叩ききってやる」とか述べる人を応援してきたではないですか。
 「無知な若者は選挙で投票するな」と述べるような馬鹿を絶賛応援しているではないですか。
 自分達とは異なる意見を徹底的に無視し或いは攻撃してきたではないですか。
 自分達とは異なる意見を理解しようとは一切してきていないではないですか。
 自分達とは異なる意見に目を瞑り無視して自分達の意見のみを強要してきたではないですか。
 そして自分達の意見に都合の悪いことは無視し知らん顔をしてきたではないですか。
 自分達とは異なる意見に対してはデマを広めて潰そうとしてきたではないですか。
 そしてこの期に及んで自分達の意見に従わない者を何故に従わないのかと考えても、他者を理解しようとはしていないではないですか。
 教育のせいだとか周囲から浮くことを恐れているだとか、自分達に都合のよい言い訳に終始して、相手を理解しようとはしていないではないですか。
 ひたすら、自分達は悪くない、悪いのは他者だ、自分達の意見は絶対的な真理であり正義である、自分達の意見に従わない者の方がおかしい、という姿勢に終始して他者を理解しようとしていないではないですか。
 10代や20代や30代の彼ら彼女らが何を望み何を願い何を実現したのか。それを理解しようとせず無視して、それで支持が広まるとでも思っているのですか?

 そもそも何故に若者のみを槍玉にあげているのですか?
 そもそも40代や50代や60代や70代以上の人達の支持を得ていますか?
 野党連合が支持を固めている世代ってあるのですか?

 若者ならば理由も無しに叩きやすいという理由で記事を書いていませんか?


 民主党政権で民主党が公約破りをするさまを私達はまざまざと見せつけられたのです。
 選挙前は耳に心地よい公約を述べていながらその公約をことごとく破っておいて責任も取らないし説明も一切しないし選挙で国民の審判を受けるという真摯さもない。
 そのような浅ましい姿をまざまざと見せつけられたのです。
 そして旧民主党に所属した議員達はその反省を一切せず自分達は悪くないと開き直っています。
 旧民主党は政権を取る前は一応は具体的な政策を述べています。
 しかし今の旧民主党系の政党は具体的な政策を述べません。ふわふわとした漠然とした方針しか述べません。それをどのように実現するのかという具体性は皆無です。
 旧民主党の政党は旧民主党が政権を取る前よりもはるかに劣化しています。
 あの民主党政権よりもはるかに劣化した旧民主党系の政党をどのような理由で支持しろと?
 外交面では世界中から無視され内政面では経済を滅茶苦茶にし財政も滅茶苦茶にしておいて一切反省せずに自分達は悪くないと述べるような政党をどのような理由で支持しろと?

 他者を理解しようとしないのならば分かるわけはありませんよ。
 自分達の意見のみが絶対的な正義で絶対的な真理であるとし自分達とは異なる意見に目を瞑り無視して自分達の意見のみを強要するのならば分かるわけはありませんよ。
 自分達の意見とは異なる者を悪として攻撃するだけで自分達の意見とは異なる者を理解しようとしないのならば分かるわけはありませんよ。
 対立と分裂を煽るだけです。

 私達は私達を理解しようとしない人達と付き合う義理などないのです。
 私達は私達を理解しようとしない人達に時間や労力を割かねばならない義理などないのですよ。

 まずは他者を理解しようと努力することから始めてみては如何か?





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恐怖は、混乱し錯乱した想像から生じます。常に平静な判断力が働くように心掛けるべきです。

2020年06月27日 12時59分44秒 | その他の日記
 以下の文は、ニューズウィーク日本版のジェレミー・ファウスト(ハーバード大学医科大学院保健政策・公衆衛生部門講師)氏の『ダイヤモンド・プリンセス号の感染データがあぶり出す「致死率」の真実』と題した記事の転載であります。



 『ダイヤモンド・プリンセス号の感染データがあぶり出す「致死率」の真実』
 2020年3月11日


 新型コロナウイルスが、世界中でパニックを引き起こしている。
 薬局から手指消毒剤が姿を消し、オンラインではN95マスクがとんでもない高値で取引されている。
 そのどちらも、まるで1918年に数千万人が命を落としたスペイン風邪の再来のような騒ぎだ。

 確かに、現在報じられているCOVID-19(2019年型コロナウイルス感染症)の致死率は2〜3%で、スペイン風邪に近い水準だから、不安に駆られるのは無理もない。
 だが最終的にこの数字はもっと低いことが明らかになるだろう。
 米国立衛生研究所(NIH)と米疾病対策センター(CDC)が言及した1%という致死率さえも、このウイルスの威力を過大評価している恐れがある。

 新型ウイルスの発生初期に、推定致死率が過度に高く報じられるのはよくあることだ。
 2009年に流行したH1N1型インフルエンザは当初、最終的な致死率1.28%の10倍近い数字が取り沙汰された。
 今回も同じような現象が起きている。

 新型コロナウイルスの感染者が湖北省武漢で爆発的に増えたとき、致死率は4%超とされていた。
 やがて湖北省の他の地域に感染が広がると、致死率は2%に、中国全体に広がると0.2~0.4%に低下した。
 無症状者や軽症患者も検査対象に含められるようになると、より現実的な数字が明らかになってきた。

 WHO(世界保健機関)は最近の報告書で、世界的な致死率を3.4%と予想以上に高く示したが、パニックに陥る必要はない。
 最終的には、この数字が1%を大幅に下回ることを示唆する、極めて直接的かつ説得力のある証拠が存在する。
 それは豪華クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の感染データだ。

 語弊を恐れずに言うと、隔離されたクルーズ船は、ウイルスの性質を研究するには絶好の実験室だ。
 何しろ、通常はコントロールできない多くの条件がそろっている。
 ダイヤモンド・プリンセスの場合、乗客・乗員3711人のうち、乗船時に新型コロナウイルスに感染していたのはたった1人で、それ以外は基本的に旅ができるほど健康で、限られた場所(船内)でウイルスにさらされた。

 中国からは恐ろしい数字が発表されていたが、そのうち何人が別の病気を持っていたかは分からない。
 いったい何人が命に関わる別の病気で既に入院していて、そこで新型コロナウイルスに感染したのか。
 健康だったのに、このウイルスに感染して、重症化したのは何人なのか。
 一般的な環境では、こうした情報を知ることはできない。
 だから正確な致死率をはじき出すことが難しい。

 中国の年間死亡者数は900万人。つまり新型コロナウイルスがなくても、1日に2万5000人、この2カ月なら約150万人が死亡していた計算になる。
 このうちかなりの割合が「たばこ病」とも言われる慢性閉塞性肺疾患(COPD)や下気道感染症、そして肺癌による死だ。
 その症状は、COVID-19の重い症状と区別がつかない。
 中国のCOVID-19による死者は、長年の喫煙習慣によりCOPDを発症するのと同じ年齢層で急増した(中国では成人男性の半分が喫煙者だ)。
 中国の感染拡大のピークとなった1〜2月初旬、1日約25人のペースで死者が出たが、そのほとんどが一般にCOPDが幅広く見られる高齢者だった。
 また、死者の大多数が集中した湖北省は、肺癌とCOPDの罹患率が中国の平均よりも著しく高い地域だ。
 1日2万5000人の死亡者に占める25人のうち、新型コロナウイルスだけが原因で死亡した人と、合併症が原因で死亡した人を見分けるのは容易ではない。
 しかし重要なのは、新型ウイルスによって、通常より死亡者数がどのくらい増えたのかだ。
 そこで重要な視点をもたらしてくれるのが、ダイヤモンド・プリンセス号のデータだ。
 乗員・乗客3711人のうち、陽性と判定されたのは705人以上(船内の環境とウイルスの感染力を考えると驚くほど少ない)。
 その半分以上は無症状だった。
 そして死者は6人。
 つまり致死率は0.85%だ。

 患者の死因を見極めるのが非常に難しい中国などとは異なり、この6人は超過死亡(新型コロナウイルスがなければ生じなかったはずの死亡)だと考えることができる。
 何より重要なのは、この6人が全員70歳以上だったことだろう。
 70歳未満の乗客は1人も死んでいない。
 中国の統計が正しいなら、ダイヤモンド・プリンセスでも70歳未満の乗客4人が死んでいなければならない。
 だが、そうはならなかった。

 ダイヤモンド・プリンセスのデータは、70歳以上の致死率は中国の統計の8分の1(1.1%)、80歳以上の致死率は3分の1(4.9%)であることを示唆している。

 もちろんこれらの数字も懸念すべきものではある。
 だが、ダイヤモンド・プリンセスで陽性とされた人は、高ウイルス量に繰り返しさらされた可能性が高い。
 また、一部の治療は遅れた。つまり、きちんとした手順が守られていれば、ダイヤモンド・プリンセスでの致死率はもっと低かった可能性があるのだ。
 さらに、乗客はクルーズ船の旅に参加できるほど健康だったとはいえ、一般的な人口を反映して、多くの人が生活習慣病を抱えていただろう。
 従ってダイヤモンド・プリンセスのデータに基づく推定致死率は、合理的と考えてよさそうだ。

 これらの事実を合わせて考えると、新型コロナウイルス感染症は、ほとんどの若者にとっては比較的良性の病気である一方で、一部の生活習慣病を抱える高齢者にとっては、深刻な病気である可能性を示している(それでも報道されているほどのリスクはないだろう)。

 中国では10歳以下の感染者数百人のうち死者はゼロで、健康な成人感染者(高齢者以外)の致死率は0.2〜0.4%だ。
 おそらく検査を受けていない大量の無症状感染者を含めれば、もっと低くなるだろう。
 若者の致死率が低いことを考えると、私たちがいま集中して資源を投じるべきなのは、健康な人への感染を防ぐことではなく(いずれにせよ感染拡大は不可避だ)、重症化するリスクが高い人たちを守ることだ。
 対象となるのは、70歳以上の全人口と、この種のウイルスに対してもともと高いリスクを持つ人たちだ。

 つまり重点的に対策を講じるべきなのは、学校ではなく老人ホーム、飛行機ではなく病院だ。
 高リスクグループは比較的限られているが、彼らを適切に守らなければ、その致死率は悲劇的に高くなりかねない。

 幸いこのウイルスの感染力や潜伏期間、そしてハイリスク者の人物像や居場所は分かっている。
 食料やマスクを買い込む健康な人たちは、不安を的外れなエネルギーに変えているにすぎない。
 本当にリスクにさらされている人たちを守るのに役立たないなら、その行動は貴重な資源の無駄遣いになりかねない。

                               転載終わり。


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自分が何者かは能力で決まるのではない。どんな選択をするかだ。

2020年06月27日 12時31分58秒 | その他の日記
 以下の文は、PRESIDENT Onlineの御田寺 圭氏の『「人を助けず、立ち去れ」が正解になる日本社会     「岩国トロッコ問題」が露呈した本音』と題した記事の転載であります。
 



       「人を助けず、立ち去れ」が正解になる日本社会     「岩国トロッコ問題」が露呈した本音


   5人を助けられるのなら、1人を犠牲にしてもいいのか。
   この思考実験「トロッコ問題」を取り上げた山口県の小中学校が謝罪に追い込まれた。
   その理由は保護者からの「授業で不安を感じている」という指摘だという。
   文筆家の御田寺圭氏は「ケチがつくことには挑戦してはならないという、現代社会を象徴している」と分析する――。


    たった数名の「授業に不安を感じている」で謝罪

  『山口県岩国市立東小と東中で、「多数の犠牲を防ぐためには1人が死んでもいいのか」を問う思考実験「トロッコ問題」を資料にした授業があり、児童の保護者から「授業に不安を感じている」との指摘を受けて、両校の校長が授業内容を確認していなかったとして、児童・生徒の保護者に文書で謝罪した。
  (中略)
  授業は、選択に困ったり、不安を感じたりした場合に、周りに助けを求めることの大切さを知ってもらうのが狙いで、トロッコ問題で回答は求めなかったという。
  しかし、児童の保護者が6月、「授業で不安を感じている」と東小と市教委に説明を求めた。
  両校で児童・生徒に緊急アンケートをしたところ、東小で数人の児童が不安を訴えた。
  (毎日新聞「死ぬのは5人か、1人か…授業で「トロッコ問題」岩国の小中学校が保護者に謝罪」2019年9月29日より引用)』


 数百人を相手にした授業で、たった数名から「不安に感じている」といった訴えがあったことによって謝罪をする――まさに現代社会の教育現場を象徴する出来事のようだ。
 こんなことで謝罪をしなければならないのであれば、体育や音楽や算数など、他の授業で不安を覚えた生徒など山ほどいるはずだが、それらもすべて謝罪して回るのだろうか。

    「ある人を助けるなら、別の人を犠牲にしてもよいか」
 さておき、「トロッコ問題」とは倫理学における思考実験のひとつであり「ある人を助けるためであれば、別の人を犠牲にしてもよいのだろうか?」を問うものである。
 著名な政治哲学者であるマイケル・サンデルが「正義」についての考察において引用したことで、世界的に広く知られるようになった。
 簡単に解説しよう。

  線路を走っている一台のトロッコが制御不能に陥ってしまい、このまま進めば向かった先で作業をしている5人がトロッコにひき殺されてしまう。
  あなたは偶然にも、トロッコが走る線路の分岐切り替えレバーの近くにいる。
  レバーを倒してトロッコの線路を切り替えれば5人は助かるが、切り替えた先にも1人の作業員がいる。
  5人を助けるためなら1人を犠牲にしてもよいのだろうか。
  あるいはこのままにするべきなのだろうか。

    大人たちが出した答えは「現場から立ち去る」
 「ある人が生きるためには別の人の死がともなうが、それは許されるのか?」という問いは古くから存在する。
 紀元前200年代に活躍した、古代ギリシャの哲学者であるカルネアデスも同じような問題を提起した――「難破した舟の壊れた舟板にしがみついた人が、別の人がしがみつこうとしたのを突き飛ばした。なぜならその人がしがみついていた舟板はふたりがしがみつけば沈んでしまう程度のものだったからだ。彼は生還後、罪には問われなかったが、果たしてそれはただしかったのだろうか?」と。
 この問題は現代でも「カルネアデスの舟板」として広く知られる思考実験である。
 この問題はカルネアデスの逸話だけでなく、類似のバリエーションがさまざまに存在しており、敷衍して実社会における倫理的・道徳的判断を広く問うものとして長らく議論されてきたテーマのひとつである。
 世の倫理学者や政治哲学者たちが侃々諤々と議論を続け、あるいはインターネットではインテリたちが「トロッコのレバーを真ん中にすればトロッコが脱線して全員助かる」などと大喜利をしているなか、意図せずして岩国の保護者と学校教員たちのやりとりが、トロッコ問題の「答え」を導き出してしまった。
 ほんの数名の「不安の表明」によって謝罪させられる教員たちから得るべきトロッコ問題の答えとは「現場から立ち去る」ことだ。

    「ただしいこと」の追求より「リスクの回避」
 トロッコのレバーに触れる行為は、たとえ5人を救った英雄になれる決断であったとしても、必ずひとりの遺族には終生恨まれることになるものだ。
 「どうしてレバーを倒したのか」と。
 だが、レバーに触らなければ、さらに言えば一切関与せずにその場を立ち去れば「無関係な人」になれる。
 無関係な立場であれば、けっして英雄にはなれないかもしれないが、殺人者として恨まれるようなこともない。
 明日もきっと、いつもと変わらぬ穏やかな日々が待っていることだろう。
 今回の事例でいえば「トロッコ問題」などという思考実験を授業中に提起さえしなければ、「問題」や「クレーム」が発生することもなかった。
 「物事の当事者になる」という選択肢を回避しさえすれば「責任」が問われるようなこともなかったのだ。
 たとえ大勢にとって有意義な学びの機会が提供できたとしても、ごく少数者が(「不安」を覚えて)犠牲になるのであれば、当然ながらその代償は発生する。
 場合によっては犠牲を出したことの責めを負うことになる。
 たとえ動機がどのようなものであれ「ただしいこと」を追求するのではなく、だれかから「ただしくない」と論難・非難されるリスクを回避することに全精力を投入せよ――それが「トロッコ問題」から考えるべき答えだ。

     少しでもケチがつくなら、最初から挑戦しない
 岩国の学校教員の方々は、残念ながら「授業でトロッコ問題を扱う」という決断をした時点でトロッコのレバーに触れてしまったことになる。
 多くの子供たちには「人間社会における倫理的判断の難しさと社会正義の複雑な構造を学ぶ機会」を提供できたかもしれない。
 しかし同時に、少数の子供やその親からは「子供たちへ不安やストレスをいたずらに与える加害者」という誹りを免れ得なくなった。
 この社会では多くの善なることを成したとしても、ひとつでも汚点があればそれらの功績は帳消しにされてしまう。
 「よかれと思って」などという動機はほとんど斟酌されない。
 レバーには触れるな。なにもせずその場から立ち去れ。当事者になるな。「無関係な人」になれ――それが紀元前から繰り返されてきた問題に対して、現代社会が用意した解答だ。
 この件――名付けるのであれば「岩国トロッコ問題」とでもいうべきだろうか――は、この社会でなぜ停滞が起き、技術的革新がことごとく反対・規制され、才能ある若者が続々と海外へと流出するのかをメタ的かつ端的に示した思考実験のようである。
 「少しでもケチがつくのであれば、チャレンジしてはならない」というメッセージが伝わってくる。

    「不安なもの」の排除は社会の停滞を招く
 「トロッコ問題」に限らず、多くの人びとにとって、新奇性や画期性のあるものは「気持ち悪い」ものである。
 不安感や不快感を惹起するものである。
 子供たちにとってはなおさらだ。
 それでもあえて、子供たちには未知なる問いを立てていく意義がある。
 しかしながら、教える側が「加害者」にされてしまうくらいであれば、現場レベルでは「毒にも薬にもならないこと」だけを淡々と伝えていくことのインセンティブが最大化されるだろう。
 一方で自分にとってなじみのないもの、異様に見えるものと接触したときに生じる生理的な不安感や不快感は、人間をひとつの動物として捉えたときには合理的な側面を持つ。
 個としては非力であり、集団生活を営まなければならなかった人間にとって、集団の同質性が維持されることには一定の合理性があった。
 人間の集団内における「異質性」とか「新奇性」を恐れ、排除することによって自分たちのグループの安定性が担保され、生存の可能性が高まると期待されたからだ。
 「トロッコのレバーに触れないことが推奨される社会」は、不安感や不快感を誘発しない快適なものばかりが目に入るし、身の危険を感じさせない穏やかな暮らしが続くだろう。
 生きていくにはおおよそ不自由のない社会かもしれない。
 だがそれは最新の知見や技術を拒否し、社会が停滞する可能性と表裏一体でもある。
 緩やかにだが着実に、社会から活力や創造性が失われていく。

                               転載終わり。


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締切りなしの作業なら思い切り楽しい仕事になるだろうが、おそらくまったく進行しないに違いない。

2020年06月26日 23時47分57秒 | 職場に関する日記
 本日6月26日は、ローマ皇帝ユリアヌスがペルシャからの撤退中に戦死した日で、役小角が弟子の讒言により伊豆に流罪となった日で、平清盛が安徳天皇を奉じて福原京に遷都した日で、ドイツ・ハーメルンで約130人の子供が集団失踪した日で、後醍醐天皇を中心とした勢力による鎌倉幕府討幕運動が露見して逮捕された日野俊基が鎌倉の葛原岡で処刑された日で、イングランド議会がエドワード5世の王位継承無効を宣言してリチャード3世が国王に即位した日で、フランシスコ・ピサロが1538年に処刑されたディエゴ・デ・アルマグロの遺児一派によりリマで暗殺された日で、ヘンリー・ポッティンジャーが初代香港総督に着任した日で、江戸・東禅寺のイギリス仮公使館に警備の松本藩士が侵入してイギリス人水兵2人を殺害した日で、ソ連の西ベルリン封鎖を受けて西側諸国による西ドイツから西ベルリンへの物資の空輸が開始された日で、GHQが日本共産党機関紙『アカハタ』の30日間の発刊停止を指令(7月18日に無期限停刊に変更)した日で、アメリカの統治下にあった小笠原諸島が日本に返還された日で、カタールでハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニー皇太子を中心とするクーデターが起きてスイス滞在中のアミールが廃位された日で、国際ヒトゲノムシーケンス決定コンソーシアムがヒトゲノムドラフト配列の解読終了を宣言した日です。

 本日の倉敷は曇りでありましたよ。
 最高気温は二十九度。最低気温は二十三度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れのち雨となっております。お出かけの際はお気を付けくださいませ。



 本日は私は接客の合間に月末恒例の事務処理をしておりました。
 のんびりまったりと作業をしておりました。
 のんびりまったりと作業をすると作業スピードががくんと落ちます。
 よろしくない。実によろしくない。
 切羽詰まらないと本気が出せない性はよろしくない。
 このような作業の時は他にもお仕事を詰め込んで己を死地へと追い込んだ方がよいのかな?
 余裕が有り過ぎると駄目になってしまうかもしんない。
 といった贅沢なことを呟きながら作業をしておりました。
 のんびりまったりと仕事をしていたので、まだ終わっていません。
 明日中に事務処理を片付ける予定であります。
 お仕事頑張ります。



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私が許せないのは、「自分が理解できないものは迫害していい」と勝手に思っている連中の思い上がり。

2020年06月26日 20時04分30秒 | その他の日記
 以下の文は、河村鳴紘氏の『イチから分かる 香川県ゲーム規制条例を解説 「賛成8割」に飛びついたメディアの“反撃”に注視』と題した記事の転載であります。




『イチから分かる 香川県ゲーム規制条例を解説 「賛成8割」に飛びついたメディアの“反撃”に注視』
河村鳴紘 4/19



 18歳未満のゲームの利用を原則1日1時間に制限する香川県のゲーム依存症規制条例が今月1日、施行されました。
 ところがパブリックコメント(パブコメ)全文の情報公開を請求したメディアが、パブコメの不自然さを指摘し、ネットでは大きな話題になりました。
 条例の背景と問題点をよくわからない人にも分かるよう説明し、問題点を洗い出してみます。 

  条例の根拠はWHOのゲーム依存
 香川県ゲーム規制条例は、18歳未満の「ゲーム依存」を防ぐのが狙いで、「ゲームは平日1日60分まで」など具体的な制限が記されるのが特徴です。
 県や保護者、ゲーム会社などの責務を記していますが、罰則はありません。
 当初は、ネットとゲームの両方が対象でしたが、反発を受けてゲームに限定した経緯があります。 
 条例の根拠となる「ゲーム依存」ですが、昨年、世界保健機関(WHO)がゲーム依存を疾病として認定したことですね。
 ただし適用は2022年からの予定です。
 ちなみにWHOの認定には、アルコールやギャンブルなどの依存症を専門にする久里浜医療センターの樋口進院長の強い意向が働いています。
 WHOのプロジェクトの予算をセンターが拠出するなどの努力をしています。 

 ただ意地悪に見れば、WHOという“錦の御旗”をうまく使い、「ゲーム依存」をアピールしているとも取れます。
 「93万人のゲーム依存」という記事もあったりしますが、数字の根拠について識者からも突っ込まれており、厚労省も冷静なのが現状と言えます。

 また条例を推進した、対策条例検討委員会の会長・大山一郎議長は、テレビゲームをやり続けると大脳の前頭前野の活動が低下し、子供がキレやすく反社会的になると主張し「ゲーム脳」に対して、賛意を持っていることを新聞の取材に明かしています。
 そして「ゲーム脳」は、今では脳の専門家に否定され、疑似科学になっている状況です。

  条例に元首相も皮肉
 そして、大きな話題になった条例について意見を募るパブコメですが、期間を通常の半分程度の2週間に短縮、一般の意見は県内のみとしました。
 さらにパブコメの発表時は、賛否を問うのでないにもかかわらず賛成8割と強調。
 一方で2600件以上もの大量の意見が寄せられた点、反対意見(約300件)のボリュームの多さ(賛成1ページに対して反対80ページ以上)についてはスルーしました。
 そして疑問を唱えた議員がパブコメ全文公開を要請するものの、実質的に拒否しました。
 改めて振り返ると、その異様さが浮かび上がります。 
 他地域の議員は、管轄外の条例に口を出さないのが普通ですが、多くの議員がその姿勢に対してツイッターで批判を浴びせました。
 その中でも、鳩山由紀夫・元首相が痛烈な批判をして話題になりました。 
 ともあれ、今回の条例は、やり方が強引すぎました。
 そのため「何らかの“反撃”の動きはあるだろう」と踏んでいました。
 すると今月13日に早くも動きがありました。

 地元テレビ局「瀬戸内海放送(KSB)」が、パブコメの原本(A4用紙4186枚分)を情報公開請求し、条例に賛成した意見に“多数派工作”の疑いがあると報じました。
 ネットでは同じIPアドレスに注目が集まりましたが、そもそも同じような文章が大量に送られており、送信日時も連続、おまけに誤字やスペースも同じものが多数あった事実に加え、以前から工作の可能性は指摘されていました。
 その疑いを晴らす責任は、議会にあるのは言うまでもありません。 

  「8割の賛成」メディアも反省
 注目はこの疑いに対して、メディアがどう動くかです。
 3月のパブコメ発表時、ほとんどのメディアは「県民の8割が賛成」という見出しで報じました。
 つまり、“多数派工作”が事実であれば、「8割の賛成」がウソになるわけです。
 KSBもその点について反省の一文を入れています。 
  『ただ今回、一番問題なのはパブリックコメントで賛否を問うていないにもかかわらず、賛成と反対の数を集計して公表したこと。そこに引っ張られ、3月12日の発表時に、我々報道機関が「県民の8割が賛成」という見出しで報じてしまったことは反省すべきだと思います。』

 KSBの4月13日の報道を見て、背筋がぞっとした関係者は少なくないはずです。 
 私もパブコメが発表された後、多くのメディアの記事を拝見しましたが、残念ながらパブコメの件数に出た不自然な数字を指摘するものは、ほとんど見かけませんでした。
 だからこそ私は危機感から「パブコメの数字が不自然」という記事を書いたわけです。 

 そしてメディアにいた身から言えば、意図的に「だまされた」メディアは、完全に敵となります。
 既にその動きはありますが、追及の動きは強まるでしょう。 

 皆さんも真剣であるほど「だまされた」「利用された」と知ったら、笑って許せますか?……という話です。
 ノーコメントだったり、当事者も誤解していたら、考慮の余地はありますが、今回の件に関しては、とてもそう思えない状況です。
 今は「新型コロナウイルスでそれどころではない」というのも確かですし、「誘導されるメディアが悪い」という意見も一理あるとは思います。
 しかし、「賛成8割」と報じたメディア(特に記者)は、カチンと来るでしょうし、この疑いに対して納得のいく説明があるまで追求するでしょう。 
 ちなみに“多数派工作”疑惑について、大手では朝日新聞と毎日新聞、産経新聞、共同通信が報じています。
 有力地方紙でも北海道新聞や東京新聞がページを割いて掲載しました。
 なお、「ゲーム依存」防止のキャンペーン企画をするなど力を入れていた地元紙の四国新聞ですが、有料記事データベースを見ても、この問題を報じた形跡は見当たりません。 

  議会事務局の迷走コメント
 もう一つ、不思議なことがあります。
 この件に関して、香川県の動きがおかしいことです。
 公開資料で名前を黒塗りにして、一方でわざわざIPアドレスを公開し、“炎上”のネタを作ったわけです。
 「IPアドレスの意味、仕組みを理解しなかった」という見方も否定しませんが、むしろ個人的には「意図的に公開した」という考えが捨てきれません。
 なぜなら、条例の素案公開の段階でも、県の職員がネットで自身の意見を公開して批判しており、その文章は分かりやすく、丁寧な言葉を選んでいます。 

 そして議会事務局は、“多数派工作”疑惑について、興味深いコメントを残しています。
 それを伝えた共同通信の記事は、ネットで消えているのですが、有料データベースに記事は存在していますので、その一文を引用しましょう。
  『また賛成意見の多くは、県議会が意見公募用に指定したメールアドレスではなく、県議会のホームページ内にある「ご意見箱」に送られていた。議会事務局は「意見公募は適正に行われた。賛成や反対の数を知るものではなく、広く意見を聞く目的は果たした」としている。』

 驚く人も多いかと思います。
 そもそもパブコメの賛否「賛成8割」の論理を持ち出したのは、議会側なのです。
 明らかに答える気がないと思われても仕方ないでしょう。
 それにしても、条例賛成意見の投稿・内容も、本気であればもう少し隠せるはずですが、ネットの皆さんが指摘する通り、驚くほど雑でして、かえって裏がある?と考えさせられてしまいます。
 メディアがどこまで追求できるか。
 そして別の方法を取るか。
 今後の注目ポイントはそこになるでしょう。
 ですが今は、新型コロナの対策でそれどころではないというのも本心でしょうから、なかなか難しいところですね。 

  WHOがまさかのゲーム推奨
 ゲーム規制条例が施行される同時期のタイミングで、WHOが新型コロナウイルスの感染拡大に対抗するため、人々にゲームを推奨するキャンペーンを始めました。 
 ゲームを疾病に認定する方針を打ち出したWHOが、新型コロナ感染防止対策のためとはいえども、なかなかのはしご外しですね。
 ともあれ、個人的には、それに対する見解を条例賛成派の方に聞いてみたいものです。
                                 転載終わり



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『きみといた2日間』

2020年06月26日 18時25分01秒 | 映画・ドラマに関する日記
 昨日の夜は、映画『きみといた2日間』のDVDを観ていました。

 メーガンは、彼氏に浮気をされて婚約を破棄されて失恋中。
 彼氏を追いかけて大学に入ったので医学進学コースの学位を取ったのだけれども医者になることに実感がなく就職活動は上手くいっていない。
 ルームメイトは無職のメーガンの契約更新を心配している。
 近頃は部屋の中にいることが多く引きこもり気味。

 そんな現状を変える為、ある日、メーガンはネットの恋活サイトに登録する。
 そしてそこで知り合ったアレックと一晩を過ごした。
 翌朝、メーガンは寝ているアレックに内緒で静かに部屋を立ち去ろうとしたのだが、警報機が鳴ってしまう。
 メーガンは目を覚ましたアレックに礼儀正しく挨拶をして立ち去ろうとするのだけれども、アレックが言ったある一言に敏感に反応してアレックと激しい口論をしてしまう。
 悪感情が残るまま、メーガンはアレックの部屋を出た。しかし外は記録的な大雪で出口は雪で塞がれていて外に出ることはできない。

 メーガンは仕方なく雪が止んで除雪作業が始まるまでアレックの部屋で待たせてもらうことにした。のだけれども……。

 監督は、マックス・ニコルズ。
 出演者は、マイルズ・テラー、アナリー・ティプトン、ジェシカ・ゾー、スコット・メスカディ、など。

 コメディ映画です。



 一夜限りのはずだったお相手とお部屋の中で2人きりになるのです。
 しかもお相手とは喧嘩をして罵り合った直後なのです。
 非常に気まずいのです。
 長時間気まずいままでいるのは2人とも嫌なので話題を探そうとするのですが、2人ともお互いのことを何も知らないのです。
 そして一夜限りのお相手のはずだったので2人ともプライベートなことはあまり相手に言いたくないのです。
 それでお互いがお互いのことを知っていることと言えば……。
 どうせ仲が悪いのだからいっそのこと……。
 好きな人には絶対に言えないようなことを言っていると……。


 軽妙にお話が進んでいきます。
 面白かったですよ。
 楽しめました。



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何が楽しみかといえば仲間達が大勢やってきてわいわい騒ぐこと。みんなが楽しんでいるのを見ていると嬉しくなる。そういうものに金をかけるのはちっとも惜しくない。

2020年06月26日 16時15分47秒 | サッカーに関する日記
 明日は明治安田生命J2リーグの第2節の日。
 我らがファジアーノ岡山は、ホームのシティライトスタジアムでレノファ山口FC様と対戦いたします。
 キックオフは19時です。

 J2再開であります! 
 しかし明日の試合は無観客試合なのでスタジアムに足を運ぶことは出来ません。
 TVや映像での観戦とスタジアムでの観戦は全く別のもの。
 それを楽しむことは出来ません。
 しかしですよ。
 いよいよ、サッカーのある日常が帰ってきます! 
 それを喜ぼうではありませんか! 
 J2再開です! 
 皆さん。サッカーが帰ってきますよ! 
 大いにサッカーを楽しみましょう! 



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擬宝珠(ギボウシ)その12。

2020年06月25日 23時49分58秒 | お花に関する日記
 本日6月25日は、フォントノワの戦いが行われた日で、アウクスブルク信仰告白が神聖ローマ皇帝カール5世に捧げられた日で、江戸幕府が平戸のオランダ人を長崎の出島に移住させた日で、マリア・テレジアがハンガリー王として戴冠した日で、長州藩が下関海峡に碇泊中の米商船に砲撃した日で、江戸幕府が英仏米蘭と改税約書を締結した日で、リトルビッグホーンの戦いでカスター将軍率いる騎兵隊が全滅した日で、三菱内燃機神戸工場の職工が団体交渉権などを求めストライキに突入した日で、大本営・政府連絡会議で仏印進駐などの「南方政策促進に関する件」が決定された日で、『アンネの日記』が出版された日で、北朝鮮軍が38度線を越えて韓国に進攻して朝鮮戦争が勃発した日です。

 本日の倉敷は雨が降っていましたよ。
 最高気温は二十四度。最低気温は二十二度でありました。
 明日は予報では倉敷は曇りのち晴れとなっております。




 上の写真に写っているお花は、「擬宝珠(ギボウシ)」です。
 擬宝珠のお花に関しては、2019年5月30日の記事2018年6月2日の記事2017年6月2日の記事2016年6月13日の記事2015年5月22日の記事2014年6月16日の記事2013年6月4日の記事2012年6月17日の記事2011年6月16日の記事や2010年6月19日の記事2008年8月30日の記事もよろしかったらご覧くださいませ。
 2019年と2018年と2017年と2016年と2015年と2014年と2013年と2012年と2011年と2010年と2008年の擬宝珠のお花の記事です。

 擬宝珠のお花の花言葉は、「静寂」です。


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『巴里マカロンの謎』/米澤穂信

2020年06月25日 23時01分29秒 | 小説・本に関する日記
 昨日の夜は、米澤穂信の小説『巴里マカロンの謎』を読んでいました。

 小鳩常悟朗は中学までは望んで知識をひけらかして様々な事件の探偵役をしていたがそんな自分が嫌になって小市民を目指している。
 小佐内ゆきは中学までは復讐の為ならどんな手段も取る過激な性格と行動力だったがそんな自分が嫌になって小市民を目指している。
 周囲は二人は付き合っていると思っているが、小鳩君と小山内さんは小市民を目指す為にお互いを利用する関係。
 でも二人の前に様々な謎と問題が現れて謎解きをしなくてはいけなくなってしまう。
 二人は小市民の星を掴み取ることが出来るのか? 

 高校生達の日常の謎を扱ったコミカルなミステリで、4編の短編集です。
 肩ひじ張らずに気軽に読めるミステリですね。
 軽やかでちょっぴり毒あり。
 面白かったです。

 ギガ・スケールの人間を目指すのは大変だけど、小市民になるのも大変かも。


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この世の中には、頑張ってもどうしようもないことが、確かにいっぱいある。でも、だからこそ、頑張れる時には、躊躇ったりしてはいけない。

2020年06月25日 17時07分41秒 | その他の日記
 以下の記事は、Books&Appsの高須賀氏の『医者の僕でも、コロナウイルスをナメていたが、間違っていた。』と題した記事の転載であります。



    医者の僕でも、コロナウイルスをナメていたが、間違っていた。

 2月当初は「インフルエンザとたいして変わらん」とみんなが軽く見ていた新型コロナウイルスで世の中はてんやわんやである。
 ニューヨーク市場のエブリデイ・サーキットブレイク、600兆円にも及ぶ量的緩和、そして世界同時鎖国、そして恐らくの東京オリンピック延期……。
 
 正直、書いてるだけで世紀末感がハンパない。
 仮に第三次世界大戦がおきても、ここまで悲壮なことにはならないんじゃないだろうか。
 それぐらいにはスケールが桁違いである。
 
 一年前にこんなことが起きるだなんて、誰一人として考えていなかった。
 ナシーム・ニコラス・タレブが言うように、まさしくブラック・スワンはあったのだ。
 私達がいま、間違いなく後世に語り継がれるであろう瞬間を生きているのは間違いない。
 
 正直いうと、ぼく個人としては性根では未だに新型コロナウイルスの事をそこまで恐ろしいものだと思っていない。
 いないのだが、じゃあその恐ろしくないものがカタストロフと言っても差し支えない事態を引き起こしているのも、また事実である。
 
 この認知の捻れが何によるものなのかをずっと考えていたのだが、これはデータと実態、マクロとミクロの認知のズレによるものなのだという事がわかったので、今日はそれについて書いてみようかと思う。
 
   データのコロナ、実際のコロナ
 新型コロナウイルスはミクロの目でみると80%の人には単なる風邪である。
 致死率も若くて健康な人なら1%以下と、そこまで高いわけではない。
 「99%大丈夫なのだから、そこまで恐れるものではない」
 これがミクロな目で見たデータ上のコロナウイルスに対する認知である。
 
 正直、多くの医療従業者はこの情報を聞いたときはナメていたはずだ。
 「武漢、閉鎖しちゃったってよ」
 「ハッハッハ、中国君はいっつも大げさだなぁ」
 と他人事だったに違いない。
 
 しかしひとたび新型コロナウイルスが日本で発生し、現場で対応する側に回されると、実情はデータと全く異なるものだという事を嫌というほど知らされた。
 
 いま少なくとも僕が関わる現場では、発熱かつレントゲンで肺炎と思われる像を呈した患者さんがやってきたら、PPEという完全防護服を着て、隔離された場所にて診療をおこなわなくてはならない。

 正直これは本当に面倒くさく、イチイチやりにくくてしょうがないのだが、医療者が二次感染してうつす側に回れるはずもなく、フル装備でやらざるを得ない。
 
 こうして1周遅れぐらいで医療従業者のほぼ全員が
 「ん?これなんか思ってたのより、かなり面倒くさいぞ」
 となるのだが、更に面倒なのはここからだ。
 
 先程もいったとおり、このウイルスは人にうつる。
 どんな感染症もひどくなると当然入院しなくてはならないのだが、肺炎で入院してきた患者さんが何の原因で肺炎になったのかは来た段階ではグレーである。
  細菌かもしれないし、インフルエンザかもしれない。
 ひょっとしたら新型コロナウイルスかもしれない。
 こんな感じで原因がわからないのだから、肺炎はほぼ全例新型コロナウイルス患者疑いとして扱わせざるをえない。 
 この新型コロナかもしれないグレーな患者さんを、まさか四人部屋のベッドに入れるわけにはいかない。
 だから当然、個室管理となるのだが、こんな事態を多くの病院は想定していないから、個室が肺炎患者で想定以上にパンパンになってくる。 
 新型コロナ感染でないとわかれば、個室から外にでる事ができるが、それがわからない限りは個室にずっといてもらうほか無い。
 いま全国の病院はいまだかつてないペースで個室がミチミチである。
 
 もし仮に新型コロナウイルスが院内でアウトブレイクでもしようものなら、病棟閉鎖などなど、とんでもない事になるから戦々恐々であり、現場は普段以上に疲弊している。
 
 こうしてデータの上では「99%大丈夫、たいしたことはない」と思っていたはずのものが、実態は意外とリソースを食いまくってくる事に2週遅れぐらいで気がつくのだが、この段階ですら僕はまだこれの真の問題点を見誤っていた。
 
   ミクロのコロナ、マクロのコロナ
 すごく大雑把にいうと、肺炎は細菌性とウイルス性の2パターンがある(他にもあるが割愛する)
 細菌性はかなり急激な経過をたどる事が多いのに対して、ウイルス性のはそこまで酷くなる事は稀だ。
 ごく一部の例外を除いては、人工呼吸器やECMO(人工心肺装置)なんて付ける事などはほぼない。
 
 それがこの新型コロナウイルス感染は、たまにこれらの装置が必要になるレベルで悪化するのである。
 そうなると個室のリソースだけではなく、人工呼吸器やECMO(人工心肺装置)のシェアが奪われてくるのだが、これも想定以上には余裕をもって設けられているものではない。
 
 イタリアやアメリカで新型コロナウイルス患者がアウトブレイクし、ICUが一気に満床になり医療崩壊寸前にまでいったという話を聞いた時、ようやく新型コロナウイルスはミクロでみるのではなく、マクロの目でみなくては事の本質を見誤る事に3周遅れで僕は気がついた。
 
 こいつらは個じゃなくて群で襲いかかってきた時、真にその凶悪さを発揮するのである。

 先程もいったけど、新型コロナウイルスは健康な人間99%にはほとんど意味をなさない。
 だから正直、経済的なコスパだけを考えれば徹底して放置するのもある意味では正しい。 
 けど、それはとても非人道的な事であるし、そんな病人や高齢者といった弱者にひどく厳しいディストピアな社会は私達には許容しがたい。
 そうした集合的無意識の行き着く先が、誰も想像しなかった世界同時鎖国なのである。
 
 データと実際、ミクロとマクロの目がどれだけ違うのかを僕は今回の一件で痛いほどによく理解した。
 またしても「病をみて人をみず」をやってしまったなぁと反省である。
 
   ゴブリンスレイヤーで読み解く新型コロナウイルス問題
 一個一個は大した事がないものでも、群れとなり軍隊を形成して襲いかかってくると、全然性質が変わってくる。
  これは蝸牛くも先生が書かれたゴブリンスレイヤーという物語にも通じてくる話である。
 この物語は、最下級モンスターとされるゴブリンのみを狩る冒険者・ゴブリンスレイヤーの活躍を描く作品である(アニメ版が非常に面白いのでオススメ)

 ゴブリン1~2匹であれば力自慢の村人でも倒せるほど弱いが、群れをなして残忍狡猾なやり口で人間の集落や冒険者たちを陥れる存在であり、油断すれば村を滅ぼすことすらある脅威となる。
 一般に弱いと認識されるゴブリンを殲滅しても名声は得られず、報酬も少ない。
 そのため、多くの冒険者はゴブリンなどには見向きもせず、一見するとカッコいいドラゴン討伐などをやりたがるのだが、そのような社会において、決して油断せず様々な技巧や知識を駆使し、ただ淡々とゴブリンのみを狩る存在として、ゴブリンスレイヤーが描かれている。
 
 このゴブリンスレイヤーの物語は福祉に携わる人のオマージュだと僕は理解している。
  医療を含めて、福祉は正直なことをいってあまりカッコいい仕事ではない。
 六本木ヒルズにある外資系企業で働くほうが社会的尊厳も圧倒的に高く、また給料もいい。
 福祉は構造上、お金を稼げる仕事ではないから、一般的にはかなり低賃金労働だし、また社会的尊厳もそこまで高いとは言い難いものがある。
 
   人は見た目がいいものを好む。
 年収3000万円でフェラーリを乗りまわしている人になりたい人は山ほどいるだろうが、ドヤ街で恵まれない人たちの為に活動する人になりたい人は、残念ながらそう多くないだろう。
 そういう意味では、ゴブリンという評価されない対象に対して情熱を燃やして対処するゴブリンスレイヤーの物語が流行ったことには、僕は日本の社会のある種の成熟を感じる。
 みんな本当は気がついているのである。
 ハリボテで塗り固められたキラキラしたものの嘘くささに。
 草の根で活動する人たちの尊さに。
 
 今回の新型コロナウイルス問題もそうである。
 この問題を解決するのは、わかりやすいヒーローや勇者のような英雄的存在ではない。
 全国の医療スタッフは当然として、わたしたちひとりひとりの草の根の民の努力が、こいつには1番効くのである。
 
 ひょっとしたら気がついてないかもしれないけど、私達はみな1人のコロナウイルススレイヤーである。
 しばらくは根拠のない不安に襲われるかもしれないが、世界はいままでも、そしてずっとこれからも今より良くなり続けている。
 
 がんばっていきましょう。

                                 転載終わり。



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額紫陽花(ガクアジサイ)その8。

2020年06月24日 23時55分10秒 | お花に関する日記
 本日6月24日は、新田義貞軍が武蔵国久米川で鎌倉幕府の軍勢を破った日で、足利義満が最初の遣明使を派遣した日で、ジョン・カボットがヴァイキング以降ヨーロッパ人で初めて北アメリカ大陸に到達した日で、蛮社の獄で渡辺崋山や高野長英らが逮捕された日で、ドイツ外相のヴァルター・ラーテナウが暗殺された日で、ナチス・ドイツがラインハルト・ハイドリヒ暗殺の報復としてチェコのレジャーキで住民を虐殺した日で、ソ連が西ベルリンへの通行を禁止してベルリン封鎖を始めた日で、吹田事件と枚方事件が起こった日です。

 本日の倉敷は晴れていましたよ。
 最高気温は二十九度。最低気温は二十二度でありました。
 明日は予報では倉敷は雨のち曇りとなっております。お出かけの際はお気を付けくださいませ。





 上の写真に写っているお花は、「額紫陽花(ガクアジサイ)」です。
 額紫陽花のお花に関しては、2019年5月27日の記事2018年5月27日の記事2017年5月21日の記事2016年6月4日の記事2015年6月12日の記事2013年6月15日の記事2012年6月9日の記事もよろしかったらご覧くださいませ。
 2019年と2018年と2017年と2016年と2014年と2013年と2012年の額紫陽花のお花の記事です。


 額紫陽花のお花の花言葉は、「謙虚」です。

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『きび様といっしょ』 第一巻/みやまるん

2020年06月24日 23時16分09秒 | 漫画・ゲームに関する日記
 昨日の夜は、みやまるんの漫画『きび様といっしょ』の第一巻を読んでいました。

 神が住まう「天界」と人間が暮らす「下界」の間に存在する「神獣界」。
 その神獣界の神狐であるきび様の下へ、二匹の子狐が弟子入りする為に訪れた。
 二匹の子狐は、入門試験も無事に終わり、一人前の神狐を目指して修行の日々を過ごすことになった……。

 和風ファンタジー漫画であります。


 ほんわかとした心温まるお話であります。
 面白かったですよ。
 楽しめました。


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メディアの連中が傲慢なんじゃありませんよ。メディアそのものが、そもそも傲慢なんです。

2020年06月24日 16時00分54秒 | その他の日記
 以下の文は、『風評被害が生じるとする風評を流す朝日新聞 - ナッジ理論の悪用』と題した藤原 かずえ氏のアゴラ 言論プラットフォームの記事の転載であります。




   『風評被害が生じるとする風評を流す朝日新聞 - ナッジ理論の悪用』

 2020年1月31日、経済産業省の有識者小委員会がトリチウム処理水について、海洋放出の優位性を示した取りまとめ案を概ね承認しました。
 これに対して、朝日新聞は2020年2月1日の社説で「風評被害が生じる恐れがある」「地元との対話に、政府が海洋放出ありきの姿勢で臨めば反発を呼ぶだろう」とする見解を述べています。

 これは朝日新聞の以前からの一貫した主張であり、非論理的な海洋放出反対の世論形成に大きな影響力を与えています。
 この影響力の背景には、行動科学分野で注目されている「ナッジ理論」の悪用があると考えます。

 ナッジ理論とは
 【ナッジ理論 nudge theory】とは、シカゴ大学のRichard Thaler(経済学)と Cass Sunstein(法学)の著書 “Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth, and Happiness (2008)” によって広く知られるようになった著名な行動科学のアイデアです。

 【ナッジ nudge】とは、行動の選択を禁じたり、インセンティヴを大きく変えることのない予測可能な方法で人間の行動を変える【選択アーキテクチャ choice architecture】です。
 簡単に言えば、人に何かを強制的にやらせるのではなく、背中を軽く押すことによって人に何かをするよう誘導する間接的情報をさす概念です。
 このような強制的でなく影響を与える行動は【リバタリアン・パターナリズム libertarian paternalism】と呼ばれます。
 人はナッジに誘導されているにも拘らず、自由意思で物事を選択した気になるのです。
 ナッジの例としてよく挙げられるのが、男子トイレの便器に貼られている[ハエのシール]です(念のため、私は実物を見たことはありませんがwww)。
 アムステルダムのスキポール空港では、男子トイレの小用便器にこのシールを貼ったところ、清掃費が8割減少したそうです。
 男子の皆さんは、清掃費用削減のために、「何かしろ」と言われることもなく、何かを誘導させられたのです(笑)。
 ナッジ理論では、複雑なアルゴリズムによって答えを出すのではなく、アルゴリズムの要所のみを使った単純な形で迅速に答えを出す【ヒューリスティック heuristics】という人間の思考回路が利用されます。
 上述のハエのシールの例では、いち早く得た情報を重視して意思決定する【能率的ヒューリスティック fluency heuristic】が利用されています。

  ナッジ理論を悪用する朝日新聞社説

 朝日新聞はトリチウム処理水に関する経済産業省の小委員会の提言に対して次のような社説を書いています。

    トリチウム水 福島の声を聴かねば(朝日新聞 2020年2月1日)
    東京電力・福島第一原発の汚染水を浄化処理した後、放射性物質トリチウムが残留する水をどう処分するのか。
    経済産業省の小委員会が、とりまとめの提言を大筋で了承した。
    薄めて海に流す「海洋放出」を事実上、最も重視する内容になっている。
    これを参考に、政府はトリチウムを含む処理水の処分方法や時期を判断する。
    環境中に放出すれば、風評被害が生じる恐れがある。
    拙速な判断は厳に慎まねばならない。
    (中略)小委は2016年から、経産省の作業部会が示した5案について、技術的な側面に加えて、風評被害など社会的な影響も含めて検討してきた。
     (中略)明言こそ避けたものの、海洋放出に優位性があることを示唆している。
    とはいえ政府は、これをもって安易に海洋放出を決断してはならない。
    「地元の自治体や農林水産業者など幅広い意見を聴いて方針を決めることを期待する」。
    この小委の要請を、重く受け止めるべきだ。
    地元との対話に、政府が海洋放出ありきの姿勢で臨めば反発を呼ぶだろう。
    自治体や事業者のほか、地域住民らの声を誠実かつ丁寧に聴いてほしい。

 この社説における「トリチウムを含む処理水を環境中に放出すれば、風評被害が生じる恐れがある」なる言説こそナッジに他なりません。
 トリチウムに関する知識のない多くの大衆が、「風評被害が生じる恐れがある」とするこの言説を聞けば、トリチウムという元素は取り扱いを一歩間違えれば危険なものであり、「環境放出に対して議論の余地がまだあるのでは」という疑念を引き起こす可能性があります。
 これは、意思決定にあたって、典型的な事象(放射能汚染)の生起を過大評価して判断する傾向である【代表性ヒューリスティック representativeness heuristic】によるナッジです。
 現在、世界中で稼働する原子力発電所で発生したトリチウム水は希釈されて海に放出されており、危険性はありません。
 それにもかかわらず、大衆は、リスクがゼロではないような言説を聞くと、マスメディアや活動家によってすり込まれてきたハザードを想起して危険を感じてしまうのです。
 これは損失の発生を何よりも嫌がる【損失回避 loss aversion】という人間心理に備わった傾向によるものです。
 この社説の非常に姑息なところは、トリチウム水の放出に環境リスクが存在しないことを明確に述べすに「風評被害が生じる恐れがある」と述べていることです。
 朝日新聞は過去にも社説で次のように主張しています。

    福島の汚染水 海洋放出ありきでなく(朝日新聞 2018年09月06日)
    たしかに、トリチウムは自然界でも生じているほか、全国の原発は運転中にできたトリチウムを法定基準に従って海に流している。
    しかし、だからといって、福島の海に汚染水を流せばいいと考えるのは早計である。
    いまだに福島産の食品の輸入を禁じる国々があるなか、地元は漁業や農業の復興に努力を重ねている。
    ここでトリチウムを海に流されたら風評被害が広がる、と懸念するのは当然だ。
    公聴会でも海洋放出への反対意見がほとんどだった。

 「放出は安全であるが、風評被害が広がるので放出してはいけない」とするこの言説は極めて非論理的であるばかりでなく極めて不誠実です。
 朝日新聞のようなマスメディアが、小池劇場・モリカケ・桜の10分の1でも「風評を信じてはいけない」と報道すれば、風評被害など発生する余地は無くなります。
 あえて言えば、一般社会的事実を掲載する公共的使命を果たさずに風評の発生を黙認するような新聞に軽減税率が適用されているのは極めて理不尽です。
 「地元との対話に、政府が海洋放出ありきの姿勢で臨めば反発を呼ぶだろう」とするのも地元住民に反発を誘発するナッジです。
 過去に風評被害を受け、将来の風評被害を恐れている地元住民がこの言説を聞けば「やはり風評被害が生じるのか」という疑念を引き起こす可能性があります。
 これは、意思決定にあたって、想起しやすい記憶を重視する【利用可能性ヒューリスティック availability heuristic】によるナッジです。
 そして地元住民に同情する大衆がこの言説を聞けば「地元住民がまた被害を受けるかもしれない」という疑念を引き起こす可能性があります。
 これは、意思決定にあたって、同情心などの感情を重視する【感情ヒューリスティック affect heuristic】によるナッジです。
 このように朝日新聞は、「風評被害が生じる恐れがある」という非論理的なナッジを使って大衆や地元住民の背中を軽く押すことで、トリチウム処理水に自発的に反対するよう誘導しているのです。
 風評被害を抑止することができる朝日新聞が風評被害の発生を許容しているという理不尽な状況に誤解している大衆も地元住民もいい加減気づくべきです。

  ナッジにつられる小泉環境大臣

 風評被害が発生する必要条件は、風評が発生することです。
 その風評を全力で抑止する最終的責任は政府にあります。
 経済産業省は風評の払拭をマスメディアを通して大々的に行うべきですが、まだ、そのような姿勢は見えてきません。

 その一方で、環境大臣が「風評被害が生じる恐れがある」というナッジを否定せずに、逆に助長しているのは不合理そのものです。
 2019年9月13日、小泉進次郎環境大臣は風評を払拭する努力をした原田義昭前環境大臣の海洋放出発言を漁連の組合長に謝罪し、風評被害の可能性を肯定しました。

    小泉進次郎環境大臣会見 2019年9月13日
    この問題というのは、昨日、私、小名浜に行って漁連の組合長ともお話をしましたが、今日に至るまで漁師の皆さんがどんな日々を過ごしてきたのかということに思いをはせなければ、発言はできないと思います。
    海をなりわいにしている方々が海に出られなくなるということがいかなることか。
    そして、出られても、試験操業という段階が続いていることも通常のことではありません。
    そして、そこまで来る過程の中で、一体どれだけ風評被害と実害を含めて被ってきたのかということを考えれば、慎重に慎重を重ねて、何よりも浜の皆さんのことを思い、福島の皆さんのことを思いながら対応しなければいけない事柄だと思っています。
    なので、まずはお会いしに行きました。
    そうしたら、いいことを聞きました。
    今、福島の試験操業で何が捕れますかと言ったら、ノドグロが捕れると。
    ノドグロは私も大好きですけど、ノドグロが捕れるんですか、福島で。
    そうなんだよ、最近ノドグロが捕れるんだよと。
    じゃあそれ、今度一緒に食べましょうと、そういう話で明るくなりましてね、今度、環境省にも来てくれるというので、その皆さんと一緒に部屋でノドグロを食べられればなと思いますし、福島の海産物というのはこんなに魅力があるよと、そういったことも。

 安全性に関する科学的な論証を無視してこのような【同情に訴える論証 appeal to pity】を続ける限り、この問題は解決せずに長引くばかりです。
 今の政府に必要なのは、細野豪志議員の[主張]のような理路整然とした言説を正々堂々と大衆に向けて【ホワイト・プロパガンダ white propaganda】することに他なりません。

  常態化するマスメディアによるナッジ理論の悪用

 マスメディアがナッジ理論を認識しているかどうかは別として、実際にナッジ理論を悪用するに等しい行為はマスメディアで常態化しています。
 次の一連の報道はその典型です。

    朝日新聞 2019/10/28
    河野太郎防衛相は28日、東京都内で開いた政治資金パーティーで、「私はよく地元で雨男と言われました。私が防衛大臣になってからすでに台風が三つ」と述べた。
    会場の参加者からは笑いが起こった。
    台風19号などで東日本を中心に多数の死者が出ており、不謹慎との声が上がりそうだ。

    共同通信 2019/10/28
    発言は軽率だとの批判を浴びる可能性がある。

    時事通信 2019/10/28
    問題視される可能性もある。

    テレビ朝日『報道ステーション』 2019/10/28
    軽率だとして批判を受ける可能性があります。

    TBSテレビ『NEWS23』 2019/10/28
    批判の声があがりそうです。

 2019年10月28日の夜、河野太郎防衛大臣が「雨男」発言をしたとして、マスメディアが一斉に速報で「批判される可能性がある」とする見解を出しました。
 いずれのマスメディアも「問題である」と明確に述べることはなく、賛否を情報受信者に委ねていますが、明らかに発言の問題化を狙っています。
 一部の大衆はマスメディアを権威と考えているため、マスメディアが批判の可能性を示唆した場合、それをそのまま受け取ってしまいます。
 これは、意思決定にあたって、ポジティブよりもネガティブな感情を重視する【陰性バイアス negativity bias / negativity effect】というヒューリスティックを利用したナッジです。
 一方で実際の河野大臣の発言は次の通りでした。

    河野太郎大臣 2019年10月28日
     私はよく地元で雨男と言われました。
    私が防衛大臣になってからすでに台風が三つ、そのたびに災害派遣、自衛隊員自衛隊の隊員が出てくれております。
    あらゆるところで自衛隊の諸君に頑張ってもらっているわけですから、少し隊員の処遇の改善をきちんとやらねばと思っております。

 実際には、河野大臣がウケを狙った素振りはなく、会場の参加者が勝手に笑ったものでした。
 いつものようにマスメディアが言葉を切り取ったのです。
 それでも、河野大臣はすぐに謝罪をしました。
 マスメディアが徒党を組んで示し合わせたように同一のナッジで大衆誘導を行うのは国民を小バカにしている証左です。

 悪質なナッジに騙されないために

 本来、ナッジ理論は、個人の偏見や先入観を除去して合理的な行動に誘導することを目的としたポジティヴな考え方です。
 それが日本のマスメディアによって悪用されている現状は憂慮すべきと言えます。
 このような悪質なナッジに騙されないためには、「私達の選択によって何かしらのネガティヴな事象が発生する可能性がある」とするマスメディアの言説に対して細心の注意を払い簡単に同意しないことです。
 私達が風評を振り撒かなければ風評被害は発生しませんし、批判すべきでないものを批判しなければ不公正な状況は発生しません。
 マスメディアはときに私たちを発信源とする【ブラック・プロパガンダ black propaganda】を実行しようとしているのです。
 試されているのは私達のメディア・リテラシーに他なりません。

                               転載終わり。




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眠りよ。御身此の世の安らぎよ。おぉ眠りよ。御身この上なく優しき神よ。魄の平和よ。不安を払い除ける者よ。

2020年06月23日 23時54分57秒 | VSの日記
 本日6月23日は、弘安の役で元軍が九州に再襲来した日で、ウィリアム・ペンがペンシルベニアのレナペ族と友好協定を結んだ日で、ナポレオン率いるフランス軍がロシアに侵攻して1812年ロシア戦役が始まった日で、国際オリンピック委員会が設立された日で、ドイツのソ連侵攻に乗じてリトアニアがソビエト連邦からの独立を宣言した日で、昭和新山が誕生した日で、沖縄守備軍司令官牛島満が摩文仁司令部で自決した日で、国民義勇兵役法が公布された日で、戦後の混乱期に密造酒の販売を行っていた在日韓国・朝鮮人集落を取り締まった税務署の職員が税務署からの帰宅途中に在日朝鮮人数名に囲まれて暴行を受けて殉職した日で、自衛隊機乗り逃げ事件が発生した日で、中国共産党の第13期4中全会で総書記の趙紫陽が全職務を解任されて自宅軟禁下に置かれた日です。

 本日は倉敷は晴れでありましたよ。
 最高気温は三十二度。最低気温は二十一度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。




 本日は私はお仕事がお休みの日でありました。
 今日はのっぴきならない用事があって午後過ぎからお外に出ていました。
 某所で体を隅々まで弄られて体の内部を調べられてしまいました。(/ω\)
 異常は無かったらしいです。
 お部屋に帰ってからはこんこんと寝ておりました。

 明日からまたお仕事です。
 お仕事頑張ります。


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『失踪日記』/吾妻ひでお

2020年06月23日 22時38分10秒 | 漫画・ゲームに関する日記
 昨日の夜は吾妻ひでおの漫画『失踪日記』を読み返しておりました。
 吾妻ひでおが体験した失踪・自殺未遂・路上生活・肉体労働・アルコール中毒・強制入院までを面白く淡々と描いたノンフィクション漫画です。




 凄いなぁ……。
 自身の辛く過酷な経験をエンターテイメントに昇華させてしまうなんて。
 シリアスな内容を笑いに変えてる。
 よく考えると物凄く怖い所があるけど、サラッと読ませてしまう。
 何だか読み終わって元気が出るような気もする。
 
 う~ん。何なんだろ?
 重たい内容のはずなのに、この飄々とした乾いた面白さって。
 凄いなぁ。
 こんな風に自己を客観視してしまうなんて。
 そしてここまで自分を曝け出してしまうなんて。


 面白かったですよ。
 お勧めであります。


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