舞い上がる。

日々を笑い、日々を愛す。
ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

ナイロン100℃『百年の秘密』観て来ました。

2012-07-20 23:07:00 | Weblog
ナイロン100℃『百年の秘密』を見て来た話。






今更ながら、6/10(日)に、新潟で見たナイロン100℃「百年の秘密」の感想を書いておこうと思います。








言わずと知れた人気劇団、ナイロン100℃。
もちろん僕は知っていましたし、映像で見た事はあったものの、劇場で見るのは全く初めてだったので、すごく楽しみにしていました。


会場に入るなり、作りこまれたセットに圧倒されました。
舞台は海外のとある一家のお屋敷でした。

舞台の左右に立て込まれた屋敷のセット、舞台中央には庭が再現され、何より目立っていたのは、舞台中央にそびえ立つ一本の大木でした。
こうしてみると、屋敷が庭を囲んでいるように見えるんですが、実はそうではない。

よく見ると、屋敷のセットというのは、全部内側から見た屋敷のセットなんですよ。(意味分かります?)
ということは、屋敷の中に庭があって大木が立っているのか…という訳でもない。

これは、屋敷の内側にある部屋と、屋敷の外側にある庭を、一つの舞台上に表現したものだったんです。
だから、シーンによってそこが屋敷の外になったり中になったり、また屋敷の外と中の出来事を同時に描いたり、まさに演劇ならではの舞台!



そんな作りこまれた舞台セットを見るだけで、他を圧倒するプロの劇団を感じました。
そしてびっくりしたのが、オープニング。

最初に、ちょっとしたプロローグの後にオープニングが始まるんですが、これが素晴らしかった。
一度舞台が暗転したと思ったら、舞台上にいくつものドアが並ぶ(後ろで人が動かしています)

そして真っ暗な舞台に、映像が投影されるのですが、映像は後ろのセットやドアに投影される訳です。
音楽に合わせて、ドアの上にリズミカルに投映されていく出演者の名前。

これが、ただ投映されるだけではなく、シーンによってドア踊るように動き、それに合わせて文字も踊るように登場するんです。
あの、映像とドアのぴったりタイミングの合った動きは、それだけで見る価値があったと思います。

そして、後ろのセットには、物語の登場人物が動く姿が、まるで本当にそこにその人がいるように投影されていました。
これらのシーンが、実はこの後の物語のシーンを切り取ったものになっているという感動がありました。



もう、この時点でセットと映像から、プロの劇団のすごさを見せつけられた感じでした。
さて、セットと映像の話はこのくらいにして、物語の感想に移って行こうと思います。


あ、その前にですね、そもそも僕は演劇人のくせにナイロンというかケラさんの舞台ってあんまり観たことなかったんです。
ちゃんと見たのはまだ劇団健康の頃の「ウチハソバヤジャナイ」とか、あとケラさんが脚本・監督を務めた映画の「罪とか罰とか」とか。

そういう作品を見ていたので、ケラさんには、ナンセンスギャグとか観客の予想を裏切りまくるぶっ飛び展開とか、そういう印象を持っていました。
で、そんな印象で見た「百年の秘密」ですが…完全に裏切られる結果となりました。



いや、裏切られるって言うと大袈裟かもしれませんが、なんていうか、超正統派の物語!という感じ。
とある一家を中心に起こる人間ドラマ、成長や結婚や新しい命の誕生や死、そう言ったものを描いた、映画のような物語でした。


タイトルにある通り、物語の中では百年という時間が過ぎて行きます。
その百年の色々な時代に起こる出来事を、時に時間軸を未来に過去に行ったり来たりしながら、一つずつ丁寧に見せていく感じ。

物語の最初では学校に通っていた、犬山イヌコさんが演じるティルダという娘が、大人になり結婚し、子供を産み、死ぬ。
そしてティルダの子供がやがて孫を育て、その孫が最初のティルダと同じくらいの年齢になるまでの百年という時間。

だから、舞台となる時代によって、同じ役者さんが、子供から老人まで演じ分けるあたり、本当にすごい。
同じ人物の違う年齢を演じ分けるのって、ある意味、一人二役よりももっと難しいんじゃないだろうかとか、そんなことを思いました。

そんな壮大な百年の出来事を、三時間半にまとめた感じ。
観終わった後は、本当に百年を体験したかのような不思議な経験をしました。

と言っても、長いという感覚は全く感じさせず、「あ、気付いたら百年過ぎてた…あ、三時間半か」って言う感じ。
まさに、演劇という非日常的な空間の中だかで感じることが出来る、四次元の旅行という感じでした。



しかし、そんな超正統派の(ってなんか変な表現だけど)演劇なんですが、ケラさんらしいナンセンスギャグというかブラックコメディみたいなものの要素が実は結構含まれてたんじゃないかなって思います。
というのは、なんていうか、百年で起こる出来事っていうのが、暗いものがかなり多いんですよ。

例えばあいつが自殺したとか、この子の父親は誰だとか、そういうドロドロした展開がかなり出て来ます。
で、こういうエピソードのストーリーへの組み込み方が、なんていうか絶妙なんですね。

例えば、とあるシーンで感動的なシーンに見えていたものや、ギャグに見えていたものが、実は数十年後に起こる事件の火種になっていたとか、そういう人間を皮肉っているとも見える展開。
物凄い悲劇なんだけど、ストーリーの構成が絶妙だから、思わず「すげえ」と思っちゃったり、不謹慎にも笑っちゃったりしそうにしました。



あと、あるシーンで生き生きと舞台上にいた人物が、次のシーンでは数十年後のシーンでは当たり前のように死んでいたりするという展開。
そりゃ、人間は死ぬんだから当たり前の展開なんだけど、そきには時間というものの持つなんとも言えない虚しさを持っている。

こういう、人間や時間というものに対する達観した感覚が持てるのって、本当にすごいと思います。
ケラさんの、なんかとんでもないギャグをさも当たり前かのように飄々とやっちゃう感じで、人間の虚しさも時間の残酷さも淡々と描く。

大袈裟な言い方をすると人の世の真理、を描いた作品なのかもしれないです。
そして、そんなただの様々なエピソードの積み重ねが、時間を通してみることで一つの物語になっているということに気付かされる。



いや、すごい舞台でしたよ。
観劇後には、「今日この舞台を見たことが、もしかして数十年後の自分の複線になっているんですか、ケラさん」とか考えてしまいました。





そして、この日の新潟公演は、実はナイロン100℃のツアーの千秋楽だったんです。
なので、終演後には、役者の皆さんと、そしてケラさんが舞台上に登場し、客席に挨拶をしてくれました!



そこで話題になったとことなんですが、この物語、実はオープニングで一つのアクシデントが発生していました。
というのは、先程も書いた、映像が投影されるオープニングの途中で、なんといいところで映像がちょっと止まったんです。



ケラさん「千秋楽でまさか映像が止まってしまうとは……最後に皆さんに、あの映像だけお見せして終わろうと思います……ちょっと打ち合わせさせて下さい!」



と言って、舞台上でメインの登場人物であるの犬山イヌコさん、嶺村リエさん、語り役の長田奈麻さんが打ち合わせを始める!
さっきまで超カッコイイ舞台やってたのに、急にゆるいよ!



そして打ち合わせが修了。



ケラさん「それでは皆さんのために少しだけ」

全員「時間を戻しましょう!」



と言って、笑顔で役者さん達ははけていきました。
因みにこの「時間を戻しましょう」というのは、舞台の中でも出てきた言葉なのですよ。



一番最後に、役者さん達の素敵な姿を見られたし、もう一回あの素晴らしい映像も見られたし、本当に得した気分でした。






ナイロン100℃の皆さん、新潟で公演していただいてありがとうございました!








人気ブログランキングへ
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 生きていく痛みで僕達はつな... | トップ | 新潟と松本と東京。 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事