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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

新潟市歴史博物館みなとぴあ「みなとぴあ 1964ー歓喜・悲嘆・奮励の366日ー」見てきました。

2024-03-23 21:34:38 | Weblog


3/23(土)、新潟市歴史博物館みなとぴあで「みなとぴあ 1964ー歓喜・悲嘆・奮励の366日ー」を見てきました。



1964年の新潟は国民体育大会の会場となり、町の開発が一気に進み全国から集まった選手を県を挙げて歓迎するが、その数日後に今度は新潟地震が発生するという激動の年!
そんな新潟の1964年を、当時の写真や映像、様々な資料で振り返るという展示。

そもそも新潟の戦後の都市開発が最初に進んだのは、1955年の新潟大火を受けて、橋や道路が整備されたことだそうです。
その後、1964年、国民体育大会に向けて、堀が埋め立てられ道路が整備され橋が架かり陸上競技場も検察され、新潟の町は一気に近代化。

そもそも1964年は東京オリンピックの開催を受けて、全国的に高度経済成長が一気に進んだ年。
そんな全国的な国民感情が盛り上がる中、開催された新潟国体は県を挙げて大いに盛り上がったそうです。

新潟市の印象しかなかったのですが、新潟県中の様々な市町村が会場になったんですね。
全世界から集まる選手のために宿泊施設が足りずに民泊を推奨したり、さらに新潟の小学生が鼓笛隊やマスゲーム(母もやったらしい)で歓迎したりと、まさに県を挙げて新潟国体を盛り上げたそうです。

しかし、新潟国体の終了後に、新潟地震が発生(母も体験したらしい)。
新潟国体の閉会式が6月11日で、新潟地震が6月16日なので、なんと5日後!

新潟島の古町周辺から信濃川沿い、今の万代から新潟駅周辺、沼垂から山の下周辺まで、広い範囲が被災。
特に山の下の工業地帯の大規模火災や津波の発生は、当時の記録写真を見ても、本当に被災者の人達は絶望的な気持ちになっただろうなと思いました。

液状化現象が起こった地域も多かったそうで、やはり新潟市内は地盤が悪い地域が多いんだなと、今年の能登半島地震を思い出されました。
そんな感じで建物が崩壊、火災、液状化、津波などから、当時の人達が避難する様子も、写真や日記などの記録も残っていて、本当に貴重な資料だなと思いました。

新潟国体に向けた都市開発と、新潟地震で古い建物が一気に崩壊したことで、本当に新潟の風景は一気に変わったそうです。
今では普通に家やビルが建っているような古町周辺で、まだ堀や古い建物が残っていた当時の風景、写真で見てみましたが、こんな時代があったんだなあと思いましたね…タイムマシンで見に行きたい。

その後、1964年の東京オリンピックの影響もあって全国的に都市開発が進み、新潟でも関屋分水の通水(1972年)や上越新幹線の建設(1982年)など近代化が相次いだそうです。
個人的に関屋分水は身近な存在なのでよく調べたりしているのですが、上越新幹線が開通したことで新潟駅の南口が整備され、それまでは「駅裏」と言われていた地域が「駅南」と呼ばれるようになった、という話は初耳でした。

本当に1964年で新潟の風景が一変したのが分かる、貴重な展示でした。
特に、新潟地震から復興した町に自分は住んでいるのだと、あらためて実感しましたね。
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