躁鬱もいいけどカレーもね。
ご好評につきPart3でございます!
えっと、これ、どういうことかっていうとですね、我が家は毎週日曜がカレーなんですよ。
それで、週の始まりのような終わりのような日曜の夜にカレーを食べながら自分の躁鬱を語ろうと、そういうコーナーでございます。
という訳で、今回は3月16日(日)の夜のカレーです。
ちょうど劇団@nDANNTE「パ・ド・ドゥ」の手伝いをして帰って来た日ですね。
この一週間前の3月9日は、ちょうど劇団あかつきの公演に出演した日でした。
3月になってからも鬱気味だったのですが、劇団あかつきの公演を無事に終えたことで微妙に気持ちが軽くなった感じがありました。
未だに昼夜逆転しがちで本調子とは言えませんが、鬱の一番ひどい時期を乗り越えた感じはあります。
その流れで、久し振りに劇団@nDANTEのみんなに会えたことで、大分調子を取り戻しつつあります。
あと、ブログに自分の病気について書き続けたことで気持ちの整理が出来たなあとも思います。
そんな訳で、今までよりは少しだけ冷静に躁鬱を語ろうと思います。
えっと、今回考えてみたいのは、何故定期的に鬱が来るのかということ。
これね、鬱が来るのは肉体を維持するための最終手段みたいなものだと思うんですよ。
そもそも僕は好奇心の人よりすごく強いんだと思います。
やりたいことはどんどん増えていくし、気になったことは頭の中にどんどん入れてしまう。
まあ、それだけだったら長所かも知れませんが、僕の場合はこれが自分の限界以上までエスカレートしてしまう。
しかも明らかに肉体の限界が来ていても頭もハイになっちゃってるから止めようとも思えないと。
いわゆる躁状態ってやつです。
これが続くと、どう考えても肉体が崩壊します。
で、そこに強制的にストップをかけるのが、鬱状態なんじゃないかって気がします。
まさに肉体を維持するための最終手段なんじゃないかと。
そう考えると、躁と鬱は本当に表裏一体なんだなあって思います。
逆に、精神が安定してる人は欲望のコントロールが上手いんだよきっと。
そうは言っても、鬱はつらいものです。
鬱の時期のつらさは、本当に鬱にならないと理解できないものだと思います。
どのくらい理解できないかって言うと、躁鬱の俺が鬱が過ぎた後に自分の鬱体験を振り返ってもいまいち実感が湧かないくらい。
そのくらい、本当にその瞬間、当事者じゃないと分からないつらさだと思います。
それと、鬱のつらさと違う意味でつらいのが、鬱が過ぎた後の「俺、何やってたんだろ…」って後悔ね。
まあ、そんなこと考えずにさっさと立ち直った方が良いんでしょうが、直後はさすがにね…
特に、今回みたいに半月~一ヶ月くらい長引くと、それだけ後悔も大きくなります。
鬱の時期に大事な約束を無視していたりとか、楽しみだった予定が終わってたりすると、もう取り返しが付かないって思ってしまいますね。
まあ、普通に生きてればそれだけ充実した人生送れてるんだと前向きに考えることも出来ますが、なかなかそう簡単にはね…
そんな時もありますが、まあ鬱なんて二百年くらい生きる人生の中のほんの何日間だって考えれば……