舞い上がる。

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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

実話を元にした衝撃作『デトロイト』を観て来ました。

2018-03-01 21:11:41 | Weblog


2/28(水)に、『デトロイト』を観て来ました。



予告編はこんな感じです。





『デトロイト』は、1967年のデトロイトで実際に起こった大規模な暴動や、その中で起きたある事件を描いた映画です。
事実をもとにした映画なので、ネタバレも何もないと思いますが、出来るだけ結末などには触れずに書いていこうと思います。

映画が始まるといきなり、デトロイトというアメリカの街の歴史の説明がアニメで表現されます。
要はこの街、黒人の労働者の多い街だったんですけど、白人警官による迫害が常習化し、それに対する暴動が過激化してしまった、という歴史のある街だったということです。

で、その暴動のきっかけになった出来事が冒頭で描かれるんですけど、デトロイトで黒人の退役軍人を讃える式典が開催されている酒場を、警察が摘発するという、最初から衝撃的なシーンです。
しかもこの警察、明らかに最初から騒ぎに乗じて黒人を強引に摘発しようとしているのが、見ていて分かるわけです。

「裏口から連行しようと思ったが裏口に回れないから表から連行するか…」みたいな台詞もある通り、明らかに警察側もこのやり方は明らかに黒人の民衆にバレたらヤバい、ということを分かった上でやっているんですよね。
で、そんな強引な摘発を行ったことがやっぱり民衆に見つかってしまい、黒人たちが反撃、暴動が発生し、その暴動は長期間続いてしまうわけです。

で、この映画のすごいところは、映画用に撮影された暴動のシーンと、実際の暴動の記録映像を交互に見せていくというところです。
映画を観ていると、あまりに暴動シーンの恐ろしさ衝撃を受け、さらに映画としか思えないような実際の映像に「本当に映画みたいな恐ろしい暴動が起こってしまったのか…」という、二重の意味に衝撃を受けるのです。

それからと言うもの、暴動の鎮圧のために街を警察や軍が制圧していくことになるわけですけど、ここでも白人警官が調べもせずに黒人を追いかけて銃撃したり、窓から外をのぞいていただけの子供を戦車が射撃する、などなどの、本当に恐ろしい出来事が次々と起こっていきます。
しかも、そんな衝撃的なシーンさえもあくまでこのデトロイトという街の日常として描かれているので、いかに権力を持った黒人が白人に対する暴力・差別が日常化していたのか、という恐ろしさが生々しく伝わってくるのです。

とは言え、そんな中でも白人と黒人の間に立って対話を試みる人物もいて、それがこの映画の主人公である黒人のガードマンなんですが、「スター・ウォーズ フォースの覚醒」でフィンを演じたジョン・ボイエガさんが演じています。
彼は、近くにいた白人の州兵にコーヒーを差し入れしたりするのですが、一見すると和やかにも見えるシーンにも、目に見えない黒人と白人の不平等な関係性も見えるという、絶妙なシーンだったと思います。

ある日、デトロイトで黒人の4人組ボーカルグループ「ザ・ドラマティックス」がライブをするのですが、ライブ中に暴動が過激化したために急遽ライブは中止になり、ドラマティックスの4人はバスで逃げ出すも、さらにそこにも石が投げ込まれる事態に。
最終的に彼らは二手に別れ、二人のメンバーはモーテルに逃げ込むのですが、そこで彼らは白人の女性、黒人の男性たちと仲良くなり、部屋に招かれます。

ここも、一見すると白人と黒人が仲良くしている和やかな雰囲気にも見えるのですが、部屋にいた黒人の男性の一人が銃を取り出すも、それは実はオモチャの銃だった、というじわじわと落ち着かない嫌な緊張感がずっと続きます。
そんな中、そのオモチャの銃を持っていた黒人男性が、窓から見えた警官たちにふざけて撃ってしまうのですが、これがとんでもない悲劇を引き起こしてしまうのです…

なんと、警官はオモチャの銃声を本物の銃声と思い、モーテルを狙撃、その後、モーテルに武装した警官たちが乗り込んでくるという事態に。
そして、一晩かけて彼らを延々と拷問するという本当に恐ろしいシーンに発展していくのですが、このシーンが本当に1時間くらいあって非常に長く、それがこの永遠に終わらない地獄のように思える拷問の長さをまるで体験しているような恐怖を味わえるような作りになっていたと思います。

そして、ここで描かれる拷問の、男女を壁に向かって並ばせ、泣き叫ぶ男女に銃を突き付けて大声で尋問するというシーンが本当に恐ろしいばかりか、隣の部屋に連れ込んで実際に殺すわけではなく至近距離で銃を撃ち、その銃声を聞いた他の人間達に射殺したと思わせる、という精神的な追い詰め方には、本当にぞっとさせられました。
それどころか、警官は本当に黒人を何人か射殺してしまうのですが、その射殺を正当防衛に見せ付けるための裏工作として近くにナイフを置いておく(黒人がナイフを持っていたから射殺したということに見せかける)というやり方が非常に狡猾で、これも本当にぞっとしました。

その現場には、先程登場した黒人のガードマンも駆け付けるのですが、どうすることも出来ず…
最終的には、警官たちはこの事態を揉み消そうとさえするのですが…

そういう衝撃的な恐怖シーンが長々と続いたあと、その後に実際に行われた裁判、そして生き残った人々の顛末を描いて、映画は終わります。
まったくハッピーエンドとは程遠く、カタルシスや感動が得られるわけでもなく、ただただ恐怖を残したまま、映画は終わっていくのです。

この映画を観て感じるのは、もちろん差別や暴力、特に権力がそれを行使してしまうことがいかに恐ろしいことか、ということはもちろんのこと、どんな形であれ一度差別や暴力が発動してしまうと、それを治めることは難しいという人間の弱さでもあったかと思います。
もちろん、だからこそ差別や暴力は恐ろしいし人間として絶対に間違っているということは言うまでもないわけですが…

ただ思うのは、そういう人間の恐ろしさや弱さを後世に語り継ぐという意味で、この映画は非常に強いメッセージ性を持っていたということです。
しかもこの出来事、実際に起こっていた事実であるにもかかわらず、最近まで闇に葬られていた未解決事件であるというから驚くと同時に、なお一層の恐怖を感じます。

そして、こういう映画を観ることでいかに暴力や差別が恐ろしいことなのかということを擬似的に体験することは、僕はとても大切なことなのではないかと思っています。
日本にも当たり前のように差別や暴力は溢れているわけで、決して他人事だとは思えませんでしたし、僕にとってとても大切な映画体験になりました。
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