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特集上映「映像作家・小森はるか作品集 2011-2020」、全作品を観てきました!

2021-05-28 23:20:19 | Weblog


5/22(土)~6/11(金)の3週間、シネ・ウインドで、特集上映「映像作家・小森はるか作品集 2011-2020」が開催。
これは、今年の最新作「空に聞く」「二重のまち/交代地のうたを編む」に加えて、ここ10年間に撮影した様々な映像作品、全9作品を上映するというもの。



シネ・ウインドでは毎日異なる作品を数本ずつ上映しているのですが、1週間で全作品を観ることに成功したので、感想を書いていきます!





「空に聞く」

前にブログに感想をまとめたので、こちらを載せておきます。
被災地で始まり復興とともに終わっていったラジオの、今までとこれから「空に聞く」観てきました。
映像作家・小森はるか作品集スタート!初日は「空に聞く」、小森監督の舞台挨拶も。






「二重のまち/交代地のうたを編む」

こちらも前にブログに感想をまとめたので、こちらを載せておきます。
被災者ではない4人が、被災地の10年後に想いを馳せて朗読劇を披露「二重のまち/交代地のうたを編む」古田春花さんの舞台挨拶とミニライブも。
映像作家・小森はるか作品集、2日目「二重のまち/交代地のうたを編む」小森監督、瀬尾夏美さん、古田春花さんの舞台挨拶も。






「息の跡」

津波で経営する種屋が流された陸前高田市の佐藤貞一さんを追ったドキュメンタリー。
佐藤さんは被災地にプレハブの種屋を復活させ、被災体験を独自で英語や中国語で書籍化し、古い文献から陸前高田の津波の歴史を独自で調査し、精力的に活動していく。
震災で亡くなった人の分も復興に向けて頑張っていた佐藤さんが、最後は嵩上げ工事という復興によって種屋を失うのが切ない。
もともと2017年の映画で、観るのは2回目、いや3回目だけど、「二重のまち/交代地のうたを編む」を観たあとだと嵩上げ工事が始まる前の様子も分かり、被災地の変化も見えてきてより理解が深まりました。



「波のした、土のうえ」

震災後、陸前高田市で暮らしながら、現地の人々や被災地の変化を取材しながら作品作りをしていた小森はるかさんと瀬尾夏美さんが、2014年に作った映画。
瀬尾夏美さんが陸前高田市で出会ったある3人の体験をまとめたテキストを、その3人の人達に読んでもらい、同じく被災地で活動を共にしていた小森はるか監督が現地の映像とともに映画化。
被災後もずっと亡くなった両親の服に線香を上げに通っていた自宅の跡地、消防署の仲間達と過ごした思い出の場所、そして被災地に再び人々が集まる場所として作られた花畑、しかしやがてそこも嵩上げ工事で土に埋まっていく。
2014年までの嵩上げ工事が始まりつつあった時期の貴重な記録だなあと思いました。
個人的に、小森はるか監督の映画「息の跡」「空に聞く」「二重のまち/交代地のうたを編む」を見て、瀬尾夏美さんの本「あわいゆくころ」「二重のまち/交代地のうた」を読んだあとでこの映画を見たので、あの映画や本で語られていたのはこういうことだったのか、という発見がありました。
復興、特に嵩上げ工事が進む中での被災地の変化を、より深く理解できたなと思いました。



「the place named」+「砂粒をひろう―Kさんの話していたこととさみしさについて」

「the place named」は、田舎に暮らす少女が誰もいない学校(夏休みなのだろうか?)に行く一日と、演劇の稽古風景が交互に描かれる。
正直最初は「?」という印象だったけど、その演劇が死者の生きる世界を描いたワイルダーの戯曲「わが町」という解説を上映後に知りました。
それを知ると、少女が戯曲を読むラスト、二つの世界が重なる場面に色々思わせるものがありまいた。

同時上映の「砂粒をひろう―Kさんの話していたこととさみしさについて」は、震災直後に小森はるか監督と瀬尾夏美さんが被災地で出会ったKさんを追ったドキュメンタリー。
Kさんの暮らす海辺の町の一年間の変化を記録した小森監督の映像に、Kさんの体験談を元に書かれた瀬尾夏美さんのテキストが重なる。
共に活動する小森監督と瀬尾さんの初期作品だけど、そこで暮らす一人一人の人生に寄り添うという、当時からぶれずに今に繫がるお2人の表現活動の原点みたいなものを感じました。



「かげを拾う」

仙台在住の美術作家、青野文昭さんのドキュメンタリー。
海や山で拾ったゴミや投棄された家具などで失われたものを作るという青野さんの作品制作がまずすごく面白いんだけど、それで震災で失われたものを再現するラストに、震災というどうにもできない現実に向き合う芸術の可能性を感じてはっとさせられました。
僕自身、芸術家と名乗れるほどではないけど個展とかする人間なので、芸術はこういう表現ができるのか!とすごく感動させられました。
と同時に、僕は今はまだただただ自分が表現したいことを表現することしかできない人間ですが、芸術でこの世界や人々の忘れたものを思い出させる作品を作る青野さんの凄さを実感しました。



「米崎町りんご農家の記録」+「根をほぐす」

「米崎町りんご農家の記録」は、震災直後に小森監督と瀬尾夏美さんが被災地で出会ったりんご農家の方々を追ったドキュメンタリー。
農地で津波の漂流物を撤去する作業をする場面から始まり、一年以上かけて変化する家族や生活を追うんだけど、大きな悲劇のあとでありながら、悲観的になるわけでも、かといって無駄に感動的にするわけでもなく、そこに生きる人達の喜怒哀楽をありのまま記録しています。
「砂粒をひろう」とほぼ同時期の、小森監督と瀬尾さんの初期作品だと思われるけど、人々の生活や気持ちに寄り添う2人の一貫した作家性をここでも感じました。

同時上映の「根をほぐす」は、「息の跡」のスピンオフ的な作品。
「息の跡」のラスト、被災地の嵩上げ工事で経営していた種屋を畳むことになった佐藤さんが、種屋の解体風景が登場するんだけど、本編では数分で終わった場面を、今回はカットされた場面も含め18分かけて映しています。
そのことで、震災から数年後に被災地で起こった変化の中で生きていた人がどういう気持ちだったのかを、より深く考えさせられる映画でした。



「猿とモルターレ」

振付家・ダンサーの砂連尾理さんが被災地の人々との交流の中で作り、大阪で上演したダンス公演を、瀬尾夏美さんの「二重のまち」とのコラボという形で上演、そしてそれを小森監督が撮影したもの。
舞台、テキスト、そして映像、様々な形態の表現で震災を語り継ごうとする人々の共同作業となっている映像作品だと思いました。
上映前には砂連尾理さんと瀬尾夏美さんと出演者さん達のトークもあり、そこで震災時の思い出を振り返ったりしていて、会場の観客の人達とこの問題を考え伝えていこうという意志を感じました。
ダンス公演は、全部を理解できたわけではありませんが、瀬尾さんの「二重のまち」を読んでから観ると、舞台上の台は嵩上げ工事、ダンサー達は震災前の町の人々のようにも見え、少しだけ理解が深まったかなと思いました。
ダンサーさん達が一人一人、繋がったり離れたりを繰り返しながらステージから観客席まで駆け抜け、一言ずつ順番に言葉を紡いでテキストを朗読していくラストも、過去から未来へと一人一人が少しずつ言葉を繋いでいく、というテーマを表現していたのかなと思いました。
あのラストだけ見ても、一人一人で少しずつ、記憶や記録を継承していこうという気持ちを感じたような気がしました。



以上です!
小森はるか監督、これからも応援しています!
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