舞い上がる。

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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

アイヌの文化と日本の文化の狭間で悩む少年の物語「アイヌモシリ」観てきました。

2021-02-25 22:23:09 | Weblog


2/22(月)、シネ・ウインドで「アイヌモシリ」を観てきました。





予告編はこちら。



タイトルは、劇中で説明されるのですが、アイヌ語で日本人の入植前の北海道の大地や自然を指す言葉。(ちなみに、最後の「リ」はアイヌ語の独特の発音を表現するために正確には小文字で表現されているそうです)
日本人の入植によって「アイヌモシリ」と呼ばれた大地は「北海道」と名前を変えられたという歴史があるということで、アイヌと日本人の文化のすれ違い(厳しい言い方をすれば侵略)を背景に、一人のアイヌの子孫の少年の成長を描いたドラマです。

父を亡くしたアイヌの子孫の少年カントは、アイヌの土産物屋で働く母と違い、バンドに熱中するなどアイヌ文化とは距離を取って暮らしています。
そんな中、父の生前を知るアイヌ文化を受け継ぐ男性デボと出会い、アイヌ文化を知り、惹かれていきます。

全編を通して、町の行政と伝統文化を残そうとするアイヌの人達とのすれ違いは、ドキュメンタリーのように生々しく描かれます。
例えばアイヌの土産物屋を経営するカントの母親も、一見アイヌ文化を残して生きているようで、実は町の人達からも観光客からもただの観光資源としか見られていないという、アイヌの人達にとっては切ない現実が少年の目を通して描かれます。

主人公カントもアイヌ文化よりも普通の日本人の文化を好きな少年として描かれ、友達とロックバンドをやっているんだけど、でもそのロックもよく考えたら元はアメリカの文化なわけで、そもそも日本文化って何なの?って気持ちになってくるわけです。
そしてバンドの先生もアイヌの子孫なんだけど、アイヌの音楽を取り入れたロックバンドをやっていたりして、文化が混在している様子が描かれていました。

そんな中、カントは父の生前の友人だったアイヌ文化の中心人物であるデボと出会い、アイヌの文化を教わっていきます。
デボは熊を育て、大きくなったら生贄に捧げるという伝統の儀式を行おうとしています。

それはアイヌにとって、自然への敬意を表現した大切な伝統的な儀式なんだけど、案の定、行政の反発に遭います。
一方、カントもアイヌ文化に惹かれる一方で、熊を育てる中で愛着を抱き、儀式を止めようと考えるようになっていきます。

そんな感じで、アイヌの文化と新しい日本人の文化、二つの異なる民族の価値観の狭間で、少年カントの戸惑いが全編を通して描かれます。
同じ日本の中でもこういう文化のすれ違いがあること描いたあたり、意欲作だと思いました。

また、アイヌの文化と日本の文化の狭間で悩むカントもやがて「死とは何か」という命題について考えだし、それは熊だけでなく、父親の死に対しても思いを至らせることになります。
死について考えることは、民族や文化を問わず人間の普遍的な姿なのかなという感じがして、民族や文化の対立と同時に、人間の普遍性も描いた映画だったのかなと思いました。
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