このブログは9年近くやっているのですが、ブログを長く続けて良かったと思うことの一つは、ブログを書くことで気持ちが整理できたことがたくさんあるということです。
頭の中にあることを言葉に変換して発信するという行為は、気持ちを整理するためにとても重要なんですが、そのためには本当にブログはうってつけだなと思います。
そして、このブログを書いている9年間で一番大きなインターネットにおける変化だと思うのはSNSの普及です。
それまでは自分にとってブログが数少ない世の中への気持ちの発散放送だったのですが、SNSが普及したことでより手軽に気持ちを発散できる手段が生まれてしまったなと思います。
実際、SNSが普及したことで、それまでは毎日必ず更新していたブログの更新頻度が著しく下がってしまった時期が、2012年あたりからありました。
気持ちを言葉に変換して発信するエネルギーの矛先みたいなものが、ブログからSNSに変わってしまった時期があったなあと思います。
確かに、SNSはブログよりも書くのも見るのも手軽なので、うっかりすると何でもかんでもブログよりSNSに頼ってしまいがちなのですが、最近ではSNSが常に万能ではないなということに気付かされることが多くあります。
というのも、SNSの特徴は、その手軽さと反応の速さだと思うのですが、そのあまりに手軽に速く反応できてしまう特徴が便利な反面、欠点になる部分もあると思うのです。
例えば、自分がツイートをするとそれに対する様々な人がすぐに反応するのですが、その速度、その容赦のなさに、たまに疲れることがあります。
すぐに世界中に言葉がばらまかれてしまうので、いつでも自分の発言が曲解して誰かに伝わり、それが元で変な炎上が発生するかも知れないと、ひやひやすることがあります。
僕は、自分の正直な気持ちを整理するためにインターネットを使いたいのですが、そう考えると、常に正直な気持ちを書くためにSNSは適しているとはいえないと感じることがあります。
その点、ブログは見たい人しか見に来ないし、SNSに比べて一度自分でアクセスするというワンクッションを置く分、落ち着いて読んでくれているような感覚があるので、正直な気持ちを書きやすいのです。
そう思ったから、僕はこのブログを書きました。
SNSに投稿しにくい気持ちを、ブログになら書ける気がしたので、誰が見つけるか分かりませんが、ここに記していこうと思います。
このブログを書いたことを、SNSで紹介したりはしません。
そして今後も、こういう感じでSNSに書けないことをブログにこっそり書いていこうと思うので、たまたま文章を発見した人だけが読んでみてくださいという気持ちです。
さて、長い前置きでしたが、僕がSNSには書けないけれど言いたかったことというのは、バイトのことです。
1/10(火)の朝、どうしても起きられなくなって、バイトを休みました。
何度も言ってますが、僕はあのバイト先が好きだからこれからも働いていたいし、出来たら休みたくもないのです。
それでも、どうしても朝起きられなくなってしまって、休んでしまったのです。
起きられないときは、本当に起きられないのです。
でも、同時に心の中ではあのバイトをやめたくないという気持ちがあり、それが本当につらいのです。
そういう時は本当なら始業時刻より前に連絡しなければいけないのですが、迷っているうちに始業時刻である8時がきてしまうのです。
すると、8時を過ぎてしまったことから更に連絡しづらくなり、そのまま考えることが全部しんどくなり、何も考えずに逃避して寝ていたいと思います。
今まではそういう理由でよく仕事を無断欠勤していて、それが重なってよく仕事をやめていました。
しかし、今回は母が代わりに連絡してくれたので、無断欠勤だけは防ぐことが出来ました。
今思えば、前日の夜から、「明日バイトに行くのしんどいな」みたいな気持ちがありました。
いつものことですが、バイトに行きたくない日は、前日からその兆候があることがよくあります。
前日、すなわち1/9(月)に、とある人にお世話になったのですが、自分は正直その人とあまり波長が合わないので、ちょっと疲れたのです。
しかし、その人はなんか妙に自分を気に入っていてよくしてくれるというか、ご飯をおごってくれたり近所まで車で送ってくれたりして、まあありがたかったのですが、一緒にいる時間が長くなってしまった分、あまり波長が合わない人と一緒にいる結果となり、申し訳ないんだけどとても気疲れしてしまったのです。
さらにこの日は、僕はその人と別れたあとで一人で喫茶店かどっかでゆっくりして一人で帰ろうと思っていたのですが、その人が一緒にご飯を食べに行きましょうとか、家まで送りますよとか言ってくれて、お世話になっていた手前断れなかったのです。
僕は自分のペースを崩されること、自分の中にあるプランを乱されることが本当にストレスだし、特に食事みたいな自分の生活リズムを形作っているものに勝手に介入して来られると本当にいらいらします。
例えば、僕は與那覇くんが大好きだし、彼にはとても感謝しているのですが、学生の時に家で一人で「あーゼミの準備するのダルいなー、でもやらなきゃなー、もうちょっとしたらやろうかなー」ってところに與那覇くんが「近所のステーキ屋がセール中で安いから食べに行こうぜ」って言われて、俺は正直ステーキなんて死ぬほどどうでも良かったのに強引に連れて行かれたことによって、なんか自分のリズムが乱されてすごくいらいらしたし、その結果ゼミの準備は出来ないところか、学校にも行けなくなったことがあります。
これ、敢えて與那覇くんの名前を出した理由はというと、俺は與那覇くんが大好きなのです、本当に心の底から愛しているのです、でも、そこまで好きな人間からの好意でさえも自分のストレスになり得ることがある、だからそこまで仲良くない人からの余計な好意なんか尚更ストレスになってしまうよということが言いたかったのです。(くわえて、與那覇くんなら俺がこんな話をしても笑い話にしてくれそうなので、敢えて名前を出しました。他の人なら出しません。)
そんな訳ですので、これからは自分のペースを乱してきそうな人に出会ったら全力で逃げようと思いますし、何が何でも自分のペースを守れるようにしたいです。
自分のペースを乱されることは生活リズムの崩壊に繋り、生活リズムの崩壊は今回のように仕事に行けないことに繋がり、そして仕事に行けないことは無職に繋がり、無職は貧困に繋がり、貧困は死に繋がりかねないので、これは死活問題なのです。
頭の中にあることを言葉に変換して発信するという行為は、気持ちを整理するためにとても重要なんですが、そのためには本当にブログはうってつけだなと思います。
そして、このブログを書いている9年間で一番大きなインターネットにおける変化だと思うのはSNSの普及です。
それまでは自分にとってブログが数少ない世の中への気持ちの発散放送だったのですが、SNSが普及したことでより手軽に気持ちを発散できる手段が生まれてしまったなと思います。
実際、SNSが普及したことで、それまでは毎日必ず更新していたブログの更新頻度が著しく下がってしまった時期が、2012年あたりからありました。
気持ちを言葉に変換して発信するエネルギーの矛先みたいなものが、ブログからSNSに変わってしまった時期があったなあと思います。
確かに、SNSはブログよりも書くのも見るのも手軽なので、うっかりすると何でもかんでもブログよりSNSに頼ってしまいがちなのですが、最近ではSNSが常に万能ではないなということに気付かされることが多くあります。
というのも、SNSの特徴は、その手軽さと反応の速さだと思うのですが、そのあまりに手軽に速く反応できてしまう特徴が便利な反面、欠点になる部分もあると思うのです。
例えば、自分がツイートをするとそれに対する様々な人がすぐに反応するのですが、その速度、その容赦のなさに、たまに疲れることがあります。
すぐに世界中に言葉がばらまかれてしまうので、いつでも自分の発言が曲解して誰かに伝わり、それが元で変な炎上が発生するかも知れないと、ひやひやすることがあります。
僕は、自分の正直な気持ちを整理するためにインターネットを使いたいのですが、そう考えると、常に正直な気持ちを書くためにSNSは適しているとはいえないと感じることがあります。
その点、ブログは見たい人しか見に来ないし、SNSに比べて一度自分でアクセスするというワンクッションを置く分、落ち着いて読んでくれているような感覚があるので、正直な気持ちを書きやすいのです。
そう思ったから、僕はこのブログを書きました。
SNSに投稿しにくい気持ちを、ブログになら書ける気がしたので、誰が見つけるか分かりませんが、ここに記していこうと思います。
このブログを書いたことを、SNSで紹介したりはしません。
そして今後も、こういう感じでSNSに書けないことをブログにこっそり書いていこうと思うので、たまたま文章を発見した人だけが読んでみてくださいという気持ちです。
さて、長い前置きでしたが、僕がSNSには書けないけれど言いたかったことというのは、バイトのことです。
1/10(火)の朝、どうしても起きられなくなって、バイトを休みました。
何度も言ってますが、僕はあのバイト先が好きだからこれからも働いていたいし、出来たら休みたくもないのです。
それでも、どうしても朝起きられなくなってしまって、休んでしまったのです。
起きられないときは、本当に起きられないのです。
でも、同時に心の中ではあのバイトをやめたくないという気持ちがあり、それが本当につらいのです。
そういう時は本当なら始業時刻より前に連絡しなければいけないのですが、迷っているうちに始業時刻である8時がきてしまうのです。
すると、8時を過ぎてしまったことから更に連絡しづらくなり、そのまま考えることが全部しんどくなり、何も考えずに逃避して寝ていたいと思います。
今まではそういう理由でよく仕事を無断欠勤していて、それが重なってよく仕事をやめていました。
しかし、今回は母が代わりに連絡してくれたので、無断欠勤だけは防ぐことが出来ました。
今思えば、前日の夜から、「明日バイトに行くのしんどいな」みたいな気持ちがありました。
いつものことですが、バイトに行きたくない日は、前日からその兆候があることがよくあります。
前日、すなわち1/9(月)に、とある人にお世話になったのですが、自分は正直その人とあまり波長が合わないので、ちょっと疲れたのです。
しかし、その人はなんか妙に自分を気に入っていてよくしてくれるというか、ご飯をおごってくれたり近所まで車で送ってくれたりして、まあありがたかったのですが、一緒にいる時間が長くなってしまった分、あまり波長が合わない人と一緒にいる結果となり、申し訳ないんだけどとても気疲れしてしまったのです。
さらにこの日は、僕はその人と別れたあとで一人で喫茶店かどっかでゆっくりして一人で帰ろうと思っていたのですが、その人が一緒にご飯を食べに行きましょうとか、家まで送りますよとか言ってくれて、お世話になっていた手前断れなかったのです。
僕は自分のペースを崩されること、自分の中にあるプランを乱されることが本当にストレスだし、特に食事みたいな自分の生活リズムを形作っているものに勝手に介入して来られると本当にいらいらします。
例えば、僕は與那覇くんが大好きだし、彼にはとても感謝しているのですが、学生の時に家で一人で「あーゼミの準備するのダルいなー、でもやらなきゃなー、もうちょっとしたらやろうかなー」ってところに與那覇くんが「近所のステーキ屋がセール中で安いから食べに行こうぜ」って言われて、俺は正直ステーキなんて死ぬほどどうでも良かったのに強引に連れて行かれたことによって、なんか自分のリズムが乱されてすごくいらいらしたし、その結果ゼミの準備は出来ないところか、学校にも行けなくなったことがあります。
これ、敢えて與那覇くんの名前を出した理由はというと、俺は與那覇くんが大好きなのです、本当に心の底から愛しているのです、でも、そこまで好きな人間からの好意でさえも自分のストレスになり得ることがある、だからそこまで仲良くない人からの余計な好意なんか尚更ストレスになってしまうよということが言いたかったのです。(くわえて、與那覇くんなら俺がこんな話をしても笑い話にしてくれそうなので、敢えて名前を出しました。他の人なら出しません。)
そんな訳ですので、これからは自分のペースを乱してきそうな人に出会ったら全力で逃げようと思いますし、何が何でも自分のペースを守れるようにしたいです。
自分のペースを乱されることは生活リズムの崩壊に繋り、生活リズムの崩壊は今回のように仕事に行けないことに繋がり、そして仕事に行けないことは無職に繋がり、無職は貧困に繋がり、貧困は死に繋がりかねないので、これは死活問題なのです。