5/4(土)、シネ・ウインドで「誰がために憲法はある」を観てきました。
この日、上映初日には、井上淳一監督の舞台挨拶もありました。
予告はこんな感じです。
冒頭、女優の渡辺美佐子さんが「憲法くん」という一人舞台を演じているところから、映画は始まります。
「憲法くん」とは、芸人の松元ヒロさんが日本国憲法を擬人化し、日本国憲法が自分の考えを語るという一人舞台で、それを今回、この映画の公開に合わせて渡辺美佐子さんが演じたということです。
まず、この冒頭の時点で、純粋に渡辺美佐子さんの一人芝居「憲法くん」の力強さに引き込まれました。
渡辺美佐子さんの演技力の素晴らしさもさることながら、台詞の内容が非常に心に残りました。
個人的に一番ぐっときたのは、うろ覚えですが「最近、憲法は理想的すぎて現実的じゃないから変えようという声もあるが、理想が現実と遠かったら、理想を現実に近付けるのではなく、現実を理想に近付ける努力をするべきじゃないか」みたいな部分でした。
これは本当に、日本国憲法以外でもあらゆる物事において言えることだと思ったし、日本国憲法を考える上でもすごく大切にすべき考えだと思いました。
すると、舞台は変わって、今度は何人もの女優が原爆の悲劇を語り継ぐ朗読劇「夏の雲は忘れない」の映像が流れます。
これは、冒頭でも登場した渡辺美佐子さんが中心となって30年以上も続けている朗読劇らしいのですが、2019年を以て終了することが決定し、その最後の稽古に密着取材し、女優さん一人一人にこの朗読劇についてインタビューしていく様子が流れます。
その後、舞台は変わり、今度は渡辺美佐子さんに密着取材し、戦争体験や当時の初恋の思い出などが語られていくのですが、なんとその初恋の人が原爆で亡くなっていたことが発覚します。
映画の中では、渡辺美佐子さんが実際に広島の原爆の慰霊碑を訪れ、初恋の人の名前がそこにあることを見つける場面なども登場します。
そういう感じで、渡辺美佐子さんを中心に、彼女が演じた一人芝居「憲法くん」、彼女が中止となって行っている朗読劇「夏の雲は忘れない」、そして彼女の戦争体験、という3つが、淡々と語られていく、そういうドキュメンタリー映画です。
ドキュメンタリー映画とは基本的に事実を提示するだけの作品ですが、そこから観客一人一人が何を読み取っていくかにこそ大きな意味があるのではないかと僕は思っているので、僕がこの映画から何を思ったのかを最後に書いていこうと思います。
僕が一番感じたのは、すべてが繋がっている、ということでした。
それは、渡辺美佐子さんという一人の人間を中心としたドキュメンタリー映画なので当たり前のことかも知れませんが、例えば渡辺美佐子さんの初恋の人が原爆で亡くなっていた過去と、彼女が原爆の悲劇を語り継ぐために行っている「夏の雲は忘れない」の朗読劇も、原爆という大きな過去の悲劇で繋がっているわけです。
また、原爆投下が行われた太平洋戦争と、終戦後に作られた日本国憲法も、もちろん繋がっているわけです。
そして、もともとは松元ヒロさんが作った「憲法くん」は本来渡辺美佐子さんとは関係ないものかと主お行きや、この映画の中で渡辺美佐子さんが「憲法くん」を演じることでやっぱり一つに繋がったわけです。
この映画では、戦争や原爆といった歴史上の出来事、その結果作られた日本国憲法、そういう過去を受けて作られた「夏の雲は忘れない」「憲法くん」という二つの演劇、そして渡辺美佐子さんの人生、これらがすべて一つに繋がっているのです。
要するに、歴史や世の中の出来事、映画や演劇などの表現、そして人間の人生、これらが全部一つに繋がっている、そういう映画だったんじゃないかと僕は思うわけです。
あらゆる映画や演劇などの表現物は、その作品が作られた時代背景や、作者の気持ちなどを少なからず反映しているもので、どんな作品も必ずどこかで世界と地続きになっていると思います。
監督や製作者たちがまったく違う映画でも、例えば同じ戦争というテーマをそれぞれ違う視点から描いていたりする映画はたくさんあるわけで、そういう映画たちは、やっぱり繋がっているものなんだろうなと思います。
そして、そういう作品が世の中に放たれる時、その作り手の人生はもちろん、受け取り手の人生とも、少しずつどこかで繋がっていくものなんじゃないかと思います。
その結果、巡り巡って、色々な人の人生と世界を繋ぐ役割が、どんな映画や演劇にもあるのではないでしょうか。
そして、この映画はタイトルにもある通り、日本国憲法をテーマにしているので、日本に暮らすどんな人の人生も日本国憲法とは繋がっているんだな、と実感させられるものでもありました。
ただ、日本国憲法のテーマ以外にも、そういう映画や演劇には世界と人を繋ぐ力があることを伝えるようなドキュメンタリー映画でもあったのかな、と思いました。
そして、上映後は、井上淳一監督の舞台挨拶が行われましたが、この舞台挨拶が映画本編に匹敵するくらいの情報量と面白さだったんですよね。
僕が井上監督の舞台挨拶を観るのは、2016年の「大地を受け継ぐ」、2019年の「止められるか、俺たちを」に続き3回目なんですが、井上監督の舞台挨拶は毎回本当にめちゃくちゃ面白いです。
福島で被災した農家の方を取材したドキュメンタリー映画「大地を受け継ぐ」、師匠である若松孝二監督の青春を描いた「止められるか俺達を」(脚本で参加)、そして今回の「誰がために憲法はある」、井上淳一監督の関わる映画は、どれも映画への愛と平和への願いを強く感じるものです。
そして、お話がものすごく上手い方でもあって、映画製作の背景やそこに込めた気持ちなどを熱く語る舞台挨拶は、映画並みにドラマティックで本当に面白いです。
今回の舞台挨拶で一番印象に残ったのは、今の日本は憲法改正が審議されようとしている時代なのに、憲法をテーマにした映画が一つも作られていないのはおかしい、だからこそ作る必要があると思った、という言葉でした。
井上監督には、映画は社会と向き合う必要があるという気持ちがあるということで、今回の映画を観てからその言葉を聞くとすごく納得させられるものがありました。
アメリカや韓国ではそういう社会派な映画も作られているが、そいう映画があまり作られない日本の映画業界に対する想いも語っていて、井上監督の関わる映画が毎回すごく見応えがあるのはそういう気持ちがあるからなんだろうなと思いました。
そして、もし本当に改憲が起これば今年の5月3日は最後の憲法記念日になってしまう、だからこそ今年中に作る必要があると思った、という気持ちで、こういう限られた時間の中で世の中に届く映画を作ろうとしていたのは、昨年の「止められるか、俺たちを」に登場した井上監督の師匠である若松孝二監督を継承しているからなのかなとも思いました。
しかし、井上監督はこの映画に関して、「実は自分で作っておいて失敗したと思っている点が二か所ある、それは憲法というテーマの映画でありながら、日本の戦争の加害責任の問題と、沖縄の問題に言及できなかった」と言っていて、これは僕も言われるまでまったく思い至らなかったところでした。
確かに、その二つを描いていたらもっといい映画になったに違いない…と思うと井上監督の後悔が伝わってくるようでしたが、同時にやっぱりすごい向上心のある方なんだろうなと思いました。
色々話して最後に、シネ・ウインドで上映が決定いている「主戦争」や「記者たち」、そして「バイス」(この日の時点では上映が決定していなかったのに井上監督がバラした。笑)などの社会派で見応えのある映画をおすすめしていたことでした。
自分以外の映画も宣伝するなんて本当に映画というものを愛しているんだろうな…と思いましたが、さらにそのあとにシネ・ウインドに対する応援の言葉も述べられていて、本当に情熱的で素敵な方だなと思いました。
上映後に、井上監督と、シネ・ウインドの井上支配人のダブル井上による記念撮影!
パンフレットを購入してサインをしていただいた時に記念撮影をお願いしたら、めちゃくちゃフレンドリーに記念撮影をしていただいてしまった!
シネ・ウインドには井上監督のサインとともに、なんと「憲法くん」の作者である松元ヒロさんのサインも!シネ・ウインドに来ていたのか!
シネ・ウインドも満席、補助席でした! 感謝! 感激! pic.twitter.com/C9uOs0tI6D
— 井上淳一 (@gomikari) May 4, 2019
最後に、井上監督のツイートを見てみたら、たまたま僕が振り返ったタイミングで写真を撮られていて一人だけカメラ目線という「無罪モラトリアム」みたいになっていたのが面白かったので載せておきます。