ナマステ(コンニチハ)!
ネパールからやってきたRです。私は1年前に幸福の科学の信仰に出会いました。
以来毎日、友人に伝道しています。今、私のいる愛知県のT支部では、日本人の信者以外にも、ネパール人、モンゴル人、イラン人、ブラジル人、インド人など、70人を超える海外の仲間が集っています。
日本の信者の皆さんがいつも温かく接してくださるので、支部はまるでわが家のようです。
偉大な仏陀の力
ネパールの人々は、家族や仲間をとても大切にします。
日本で暮らすネパール人社会には、強いネットワークがあり、良い噂も悪い噂もすぐに広がっていきます。
その中で、幸福の科学の信仰が、今どんどん広がっていて、毎日毎日、誰かがどこかで目覚め、再誕の仏陀に帰依しています
私たちは日本の方からよくこんな質問をされます。
「どうして仏陀の再誕を信じることができたのですか?」と。でも逆に私は思うんです。「なぜ日本の方はなかなか信じようとはしないんですか」と。
大川先生は、すでに膨大な経典を編まれています。
それらはすべて、大川先生の説法がもとになっています。
何も原稿を見ず、天からの啓示でなされた説法が、そのまま経典になるなんて、とても普通の人間にできるはずもありません。これ一つをとってみても、偉大な仏陀の力の証明ではないかと思うのです。
家族の生活のために
私も数年前、仕事を求めて来日しました。父の定年で、長男の私が家族の生活を支えねばならなくなったのです。
当時は、妹もまだ大学生で、学費がかかる頃でした。ネパール国内では適当な仕事が見つかりません。寂しさもありましたが、祖国を離れる決意をしました。
もともと、日本に対しては良い印象を持っていました。
わが家では、長年ホームステイのホストファミリーをしていたのですが、日本人は誠実な方ばかりだったからです。
そして、知人の紹介で愛知県の機械メーカーで仕事を始めました。
仏陀のお寺へ
ある年の夏。部屋をシェアしていたAさんが持っていた一冊の本に目が留まりました。『釈迦の本心』というタイトルです。
聞けば、同僚のSさんという男性から献本され、勉強していると言います。
私は、仏教の信仰篤い両親のもとで育ちました。母に連れられて週に何度も近所の寺院に行き、家では仏陀を祭っているデウタ(祭壇)に礼拝していました。
仏陀は私にとって、とても身近な存在だったのです。
私はAさんから、「仏陀のお寺に行きませんか」と誘われました。着いた場所は中部正心館。御本尊の像が、ルンビニーの仏陀像にそっくりでした。驚いていると、講師の人が仏陀のお話をしてくださいました。
「ご存知でしたか。日本に仏陀が再誕されているんですよ。それが大川隆法総裁先生なんです」
「あのルンビニーで生まれられた仏陀が!」
ネパールでは転生輪廻が人々の間で深く信じられています。たとえば、今は父と息子であっても来世は逆になることもある、
家族で入れ替わったりする、という風に。大川先生のお写真を拝見させていただいた私は、尊さに思わず合掌していました。
「私は仏陀に帰依します。私は法に帰依します。私は僧に帰依します」
再誕の仏陀のもとで三帰誓願(※)ができた感激は、今でも忘れられません。
例えようもない嬉しさに満たされて、私は伝道を始めました。毎日、仕事が終わると日本中にいるネパールの友人たちに電話を掛けます。
「2600年前、ルンビニーで生まれた仏陀が、今、日本で再誕されているんだ!」
私の周りで一人、また一人とネパール人の仏弟子が誕生していきました。
幸福の科学の基本教義には、「RIGHT MIND」(正しき心の探究)と「愛」「知」「反省」「発展」があります。
特にこの「発展」の教えこそ、アジアの最貧国として苦しむネパールに必要だと心底感じています。この教えがあればネパールは生まれ変わることができる、そう信じています。
祖国ネパールの役に立ちたい
来日した当初は、自分の家族の幸せを考えるだけで精一杯の私でしたが、今は祖国の役に立つ人間になりたい、と強く願うようになりました。
かつてNGOで働いていたとき、貧しいネパールの人々の将来を憂え、自らもまた不安を抱えていました。
そして、生活のために祖国を離れ、将来への希望さえ失いかけていた自分の心に、ついに仏の光が差し込んできたのです。
今、私には、ネパールに仏の光を広げるという大きな目標があります。夢はネパールに幸福の科学の支部をつくることです。
祖国のすみずみにまで仏の光がゆき渡り、悲願の平和がもたされますように。毎日そう願いながら、今日も伝道を続けています。