ユネスコ記憶遺産 中国による「歴史ねつ造」追及 第3弾
南京戦の生存者が訴え
「第六師団を貶める記憶遺産への登録をやめてほしい」
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9823
元第六師団・城光宣さん。
「谷中将は何にもしとらん。南京大虐殺などできるはずがなか!」――。
1937年の南京戦に参加し、攻略後、南京に入った元第六師団歩兵第四十七連隊の獣医務曹長、城光宣(99歳)さんはこう訴えた。
城さんが憤るのは、中国が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産として、登録申請している「南京大虐殺」資料の中に、城さんの上官であった谷寿夫中将が戦後、中国国民党に裁かれた裁判資料が含まれているためだ。この裁判で谷中将は、「大虐殺」の首謀者の一人として死刑判決を受けた。
これまで本誌では、中国が登録申請している「南京大虐殺」「従軍慰安婦」資料のずさんな点を指摘してきた(注)。このほど幸福実現党の調査で、「南京」資料の大半が、谷中将をはじめとする裁判資料であることが明らかになった。
その事実を知った城さんは、日本軍随一の部隊と評された第六師団の名誉を貶める中国の申請に憤りを隠さない。
"なかった"南京大虐殺を蒸し返す中国
城さんが撮影した、水車をこぐ日本兵と中国人(城さん提供)。 現地住民とは仲良くしていたという。
21歳当時の城さん(同)。
城さんが所属した第六師団は、「日中戦争」の勃発を受け、1937年11月に上海の南にある杭州湾に上陸。同年12月、国民党が防衛する南京を攻略した。
しかし戦後、"戦勝国"となった国民党は、「南京大虐殺」をでっち上げ、谷中将を起訴。無罪を主張し続けた谷中将だったが、反対尋問などを許さない一方的な裁判の結果、死刑に処された。
城さんは当時の南京について、「私は、陥落した13日に南京に入りましたが、城内は空っぽだった。その後、一日がかりで通行を遮る中華門内の土嚢を撤去したけん、部隊が入れたのは14日です。翌日には、部隊は蕪湖(現・安徽省)に行きました」と語る。
つまり、第六師団は物理的に「大虐殺」を行うことは不可能だったのだ。
「大虐殺」を否定する城さんは谷中将についても、「人格円満だった。(死刑になって)かわいそかです。70年以上も前の"なかった"大虐殺を蒸し返す中国は、困ったものです」と述べる。
戦後70年を迎える今、すでに城さんの周りには戦友はいなくなったという。生き残った城さんは、「大虐殺」の汚名を着せられた戦友の無念さを独り感じ続けている。
最後に城さんは、こう訴える。
「中国の世界記憶遺産への登録はやめてほしい。正しい歴史観が広まることが、戦友への手向けになりましょう」
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