写真を整理し始めた。
大部分は父母が所持していた写真だ。記念写真には全く面識のない人々が写っている。
父母にとっては記憶にある人々であろうが、分からない。
写した時期も、どのような集合であったかもわからないが、恐ろしくまじめな顔で写っている。
父の遺品には戦友との写真も多い。多分父と思われる若者が戦友と写っている。
この人たちの両親にとっては貴重な一葉であろうが、兵たちの眼差しは遠くを見ている。
そして彼らの名前も故郷も分からない。
戦後の写真は私の入学から始まっている。
雪の朝の写真からだ。確か二眼レフの写真機で父は勤務先の息子から借りてきた。
貴重なフイルムを惜しげもなく消費して、学芸会の写真もあった。
段ボール箱に入っていた古写真は変色し、塊りになっていた。
庶民の記録はこうして処分される。
この次は私の工作を処分する予定だ。
小学校からの絵や絵日記も残っている。残していても、子供たちが迷惑するだけであろうから処分する。
70年ほどの人生も蜜柑箱数個にまとめられ、煙となる。