もちろん皆さん『それは分かるよ〰』って感じですよね。
今回はほぼその通りの事を書きます(^○^)
私のメモ書きはとっても汚い(苦笑)
後から見ても自分でも読めないこともあるぐらいですから、無責任なぐらい汚い、、。
しかし私にとってのメモ書きは、後で見直す為の物と、その時記憶してしてしまう為の二種類があるのです。
私は幸か不幸か分かりませんが、受験勉強というものをしたことがない人生を送ってきました。
そんな中でも、試験勉強はガッチリやりました。
自分ならに、ですけれど(^○^)
私の記憶方法は、色々と試して見た結果、たどり着いたのは、書いて覚えること。
書いて覚える時に書く文字は、文字のようなものでよいのです。
それは第三者に伝えるツールではないからです。
例えば『熱帯性低気圧』を覚えるのに私が書いた文字のようなものを第三者から見た時、『海底火山爆発』でも『仮面ライダー降臨』でも『ありをりはべりいまそかり』でも良いのです。
私がその時『熱帯性低気圧』を覚える為に使った行為の痕跡なので、そのゴミを拾い出して見ても私にすら読めない事も多いのです。
もう一つのメモ書きは、後から見直す為の物なので、そこそこ汚くても良いけれど、最低限私が読めなければなりません。
それが先に述べた、記憶する為のメモ書きと違う点です。
しかし、後から見直す為のメモ書きなのに、時々記憶する為のメモ書き書体を使ってしまう事です。
忙しいと無意識にそうなってしまう事が多くなってきました、、、、。
『読めん、、、』
清書は?と言えば、これはもう硬筆指導の時に書くぐらいです。
ついでに書いちゃいますが、硬筆が上手になるポイントは指先の柔軟性を使って書く事です。
子供は全て柔軟性があるので、柔らかい鉛筆を使えば柔軟性の使い方を身につけ、字の構造を観察する事が出来れば皆上手になります。
大人は観察できても、柔軟性がない方もいらっしゃるので、そこはひたすら書いて書いて書きまくって、柔軟性を身につける必要があります。
突然ですが、硬筆を書道と言わないのは何故でしょうか?
毛筆の書に比べて、美しさの度合いが少ないからでしょうね。
上手な硬筆はあっても、美しい硬筆と表現する事はあまり聞きません。
筆ペンレベルでも、それは毛筆の美しさに近づくのが精一杯でしょうし。
筆ペンがテクノロジーの進化で毛筆と違わない美しさを出せる日が来るのも、遠い話ではなさそうではありますけれど。
美しいものを見て美しいと感じる心を養える、子供の習い事は書道と音楽や絵画教室ぐらいでしょう。
筆文字の美しさを知った子供たちが、筆を鉛筆に持ち替えて書いた硬筆には、そこに美しさを反映させようとする気持ちがこもっている事があります。
嬉しいですね。
そんな子供たちなら、ランドセルや本棚、机上や引き出しの中も、清書のように綺麗に整えてられている事でしょう。
書道は生き方の方向性を学び、整える方法のひとつなのです。