悠翠徒然

画像中心

血の池地獄〰

2019-05-18 18:36:00 | Weblog


今日はずっとすっていました〰

スナップ使えないから、鍛えてきたリストを活かすことができないのであります(^○^)


二輪、つまり単車に乗りたい一心で

2019-05-18 12:31:08 | Weblog
単車の合字を作ってしまいました!



うーむ、これじゃ『半車』か〰(^○^)

これでどうだ〰っ!



こっちの方がしっくりですよね。

単車は側車、つまりサイドカーに対しての二輪車を指しています。

側車は三輪ですが、側車付二輪車なので、三輪車ではありません。

少しややこしいですね(^○^)

でもね、単車、側車付二輪車、そして三輪車は、どれも運転技術は違う物なのです。

一時期サイドカーを所有していましたが、舟、つまりサイドカーが重いと、それなりの技術が必要になってくるものなのです。

私は乗りこなせませんでした〰

懐かしいなぁ、、、、


やばい雑誌を買ってしまった!

2019-05-18 12:08:43 | Weblog


バイクに乗りた〰い!

夏は暑いから乗りたくないけれど(オヤジなので)、秋には乗りたい!

冬は寒いから乗りたくないけれど(オヤジなので)、春には乗りたい!

というわけで、梅雨間近の現在、秋に向かって物色の『心の旅』に出かける気持ち満々でございます〰

映画のエンドロール

2019-05-18 07:01:57 | Weblog
私は最後までじっくりと観るのですが、その見方にも二種類あります。

感動して、ボーっとなっている状態で、エンドロールの音楽とロールアップのテンポに酔いしれている時。

そして、どんな人が作ったのかな?と思いながら冷静に、でも漠然とエンドロールを見ている時。

もちろん前者の方が幸せです。

エンターテイナー作品とサスペンス物が好きなので、中々感動することは無いのですが(^○^)、いつかきっと『七人の侍』や『ダーティーハリー1』、『そして誰もいなくなった』を超える作品に出会える事を願っています。


『阿吽』

2019-05-18 06:31:45 | Weblog
依頼されて書いた『阿吽』






書体が違うように感じるのは、『吽』の筆遣いを変えてあるからです。

初めは『阿』に合わせて、こんな『吽』を書いたのですが、どうもしっくりこない。



最終画が似ていてあざとい、、、。

『阿吽』始まりと終わりなわけですから、途中があるわけです。

『因果』みたいな物、と言ったらお坊さんにに叱られるかな(^○^)

でも原因がなければ結果は生まれないし、結果には原因が必ずあるわけです。

ということは『阿吽』も、阿は吽を目指し、吽には阿があるってことじゃないかな。

そして、『因果』にも『阿吽』にも、途中があります。

道程と言っても良いでしょう。

人はどこからきてどこへ行くのか、的な。

だとすれば途中で学びがあるはずです。

学べば変わる。

爆発的なエネルギーを持った『阿』が、経験や学びで変化した最終形が『吽』と考えると、筆遣いを変える必要があると考えたわけです。

ではどう変わった事を表現したかったのか。

それは何があってもやんわりと受け止めて包み込んでしまうような
『心のたおやかさ』です。

そんな心を持てるようになりたいものですね。

まだまだ青いからなぁ〰(^○^)