依頼されて書いた『阿吽』
書体が違うように感じるのは、『吽』の筆遣いを変えてあるからです。
初めは『阿』に合わせて、こんな『吽』を書いたのですが、どうもしっくりこない。
最終画が似ていてあざとい、、、。
『阿吽』始まりと終わりなわけですから、途中があるわけです。
『因果』みたいな物、と言ったらお坊さんにに叱られるかな(^○^)
でも原因がなければ結果は生まれないし、結果には原因が必ずあるわけです。
ということは『阿吽』も、阿は吽を目指し、吽には阿があるってことじゃないかな。
そして、『因果』にも『阿吽』にも、途中があります。
道程と言っても良いでしょう。
人はどこからきてどこへ行くのか、的な。
だとすれば途中で学びがあるはずです。
学べば変わる。
爆発的なエネルギーを持った『阿』が、経験や学びで変化した最終形が『吽』と考えると、筆遣いを変える必要があると考えたわけです。
ではどう変わった事を表現したかったのか。
それは何があってもやんわりと受け止めて包み込んでしまうような
『心のたおやかさ』です。
そんな心を持てるようになりたいものですね。
まだまだ青いからなぁ〰(^○^)