悠翠徒然

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w124車検見積もり

2016-10-28 21:00:16 | Weblog
悪いところはほとんどないそうです。

リアガラスのウィンドウォッシャー液がモーター故障によって出ないそうです。

使った事がないので直さなくてもよいと思ったのですが、壊れていると車検に通らないそうなのです。

知りませんでした。

リアワイパー付いていない車もあるのにねぇ(笑)




『ジェイソンボーン』

2016-10-28 19:04:26 | Weblog
評判がよいので、明日観に行くことにしました。

1.2.3作は全て面白かったので期待大です。

今晩中に風邪を治して、明日ジェイソンに会ってきます〜








臨書のある終着点

2016-10-28 07:43:24 | Weblog
分けあって、高橋先生のお手本を片っ端から臨書しています。

粛粛とやらねば時間ばかりかかってしまうので、半ば自動化しながらやっていた時に感じたある感覚は少し特殊なものでした。

臨書は書き手の追体験をする事ができるので、そこが魅力のひとつなのですが、その書き手が乗り移ったかのような状態になる瞬間があるのです。

それは静かにやってきて、その瞬間は変わらず冷静でいられます。

ただし、音は何も聞こえません。

集中力が増しているんでしょうね。

昔から集中すると周りの音が全く聞こえなくなる事には慣れていますから、不思議なことではないのですが、乗り移られた感覚は書き終わったあとに少し異常感ありです。

それでも怖いとかではないので、多分自己催眠というかマインドコントロールというか、そんな類いの状態なのだと思います。

これも臨書の行き着くところの一つだと思います。

信じるか信じないかはあなた次第(笑)








今月は今日明日でお稽古終了です

2016-10-27 08:50:57 | Weblog


小学生に書いてもらったポップです。

とても分かりやすくて、よくかけていますね!

土曜日は休みなので、一人で行くのは寂しいけれど、評判のいいジェイソンボーンの最新作見てこようかな〜

土曜日に遊んでくれる人募集中です〜






印が届きました

2016-10-27 07:59:00 | Weblog
池田先生に刻していただいた印のセットが届きました。



袴を付けた状態でケース入り。

印譜も同封されていました。



上から

姓名印
雅号印
冠帽印

です。

冠帽印は『玄又玄』と刻していただきました。

老子の言うところでは、『森羅万象の生まれ出ずる処』を『玄』と言い、その『玄』のさらに奥にある『玄』に、全てのものを次々と生み出すエネルギーがあるとしています。

『玄』は『漆黒』や『ブラックホール』をわたしにイメージさせてくれます。

そしてそれはそのまま『墨』につながり、書の求める『道』のたどり着くところが『玄のさらに奥にある玄』のような気がしてならないのです。

20年以上前に、早稲田大学の書道講座でこの言葉に出会った時の衝撃は今でも忘れることはできません。

老子の言葉は難解です。

なので、実践に当てはめて身をもって体験する事にしたのです。

書を志し、経営を志すところに、日々この言葉を頭に思い浮かべながら体験しながら生きてきました。

文言だけでは難解であっても、それぞれの立場に置き換えて体験すれば、『あ、、』となる事もしばしばあるものです。

それが老子の言うところと多少違ってはいても、目指すところさえ間違わなければなんとかなるのではないでしょうか(笑)

私、楽観的なのです。

昔の私は、辿り着くべき目的地は、山の頂上にあると考えていました。

最近では違うように思えてきました。

山に登るには苦難が伴います。

それは修行にも似ています。

辿り着くのに特別な修行が必要なら、全ての人が救われることなんてできません。

それは大乗仏教とは違うように思うのです。

例えば、奈良の大仏をご覧になったことはありますか?

そう、東大寺にある奈良の大仏です。



その大仏がいらっしゃる建物が大仏殿です。

入口の門を入るとまず見えるのがこの景色です。



立派な大仏殿が見えます。

歩けばすぐに行けそうに思うのですが、道幅も大きく以外に距離があるのです。

真っ直ぐに歩いて行けばよいものを、なんとなくダラダラと蛇行して歩きたくなる感じ(笑)

これが人生なのではないでしょうか。

大仏殿が見え、その中に大仏がいらっしゃることは知っているし、一目見たくて歩いているのだけれど、色々と楽しい事もあって(笑)、右に左に寄り道をしながら歩くことになる。

それでも歩いていれば前には進むし、目的地に辿り着ける。

生きていることが修行であるとすれば、生きとし生けるものはすべからく目的地に辿り着くことができると思うのです。

特別な修行は要らず、楽しく日々生きていれば、その終焉の時に必ずたどり着けるシステムが、私の考える大乗仏教です。

なんちゃってシステムです(笑)

ですから人はそれぞれが思うままに好きなことをやって生きるのが自然なことであって、知らず識らずのうちにその流れに乗って、生まれ出ずる『玄』のまた奥の『玄』に辿り着くことができるように思えるのです。

だとしたら大いなる楽しみが残っていることになりますね〜

死がその入口だとすれば、それが来るまでは自由に楽しく好きなことをして命を全うするように生きればよいのです。

我慢なんてする必要はないのです。

若い人に言いたいのは、

楽しめる事を見つけなさい。
楽しい事を見つけたら、それを生業としなさい。
そうすれば一生幸せでいられますよ。

それが『玄又玄』の真理に辿り着く楽しい修行なのです。

生活も仕事も修行も、楽しくなくっちゃいけませんよ。

日々楽しんで生きましょう!














『室』

2016-10-26 17:53:34 | Weblog
子供のお手本を書いていてふと疑問が。

『兄弟の室』と書いて、『兄弟のへや』と読ませて良いのかどうかと言う疑問。

『へや』は『部屋』じゃないのかなぁ〜

調べて見ると『室』は訓読みで『へや』とも読むとのこと。

よかった〜

無駄にならなかった〜(笑)

さらに『室』は訓読みで『いえ』とも読むとの事。

使った事ないけど、知ってしまった以上どこかで使ってみたい〜(笑)

『都知事室』
『都知事の室』(とちじのへや)を(とちじのいえ)と読む人は、さすがに居ないでしょうけれどね(笑)


近所のオリジン弁当が閉店したので

2016-10-26 14:04:38 | Weblog
サンジェルマンのパンを買うことが多くなりました。
今日は『ごぼうパン』

シャキシャキ感が◯

きんぴらより歯ごたえがあるのがとにかくいいですね。

しばらくこの『ごぼうパン』にはまりそうです。

あ、写真撮る前に食べちゃった!


プリン

2016-10-26 13:52:03 | Weblog
プリン大好きな私としては、東急ストア前に出店していたプラン舎さんを見逃すわけにはいきませんでした!



『行列の出来る』ってコピーも、『テレビで紹介された』というコピーも、私にとってはマイナスポイントですが、冷蔵ショーケースに並べられたプリンの誘惑に負け、三つ買ってしまいました。

杏仁プリン
かぼちゃプリン
健康美人プリン

事務所の女性スタッフに杏仁とかぼちゃプリンをあげて、私は健康美人プリンに挑ました。



何が健康なのかな?

よく見ると酒粕が入っているようです。

甘酒はそこそこ好きなのですが、酒粕には嫌な思い出があるのです。

十年以上前、仕事で京都に行った時美味しいラーメンとして紹介されていたラーメン店一押しのラーメンが『酒粕ラーメン』

まずかったのです、、、

ラーメンは冷めてるし、酒粕の匂いと味が強くて強くて、、、、

それ以来酒粕入りの食べ物は苦手なのです。

今回はそんなトラウマを払拭するいい機会!

いただきまーす!






やっぱり、マズイ、、、、

行列できるの?

わたしの味覚が特殊なのか、世間様の味覚が優れているのか、、、、

セブンイレブンで売っているプリンの方が百倍美味いです!

お稽古の前に買ってしまいそうです〜(笑)

車検

2016-10-26 12:52:24 | Weblog
早いもので、前回の車検からもう2年が経ちました。



1995年製なので、もうおじいちゃんです(笑)

これからも大切に乗っていきたいので、ディーラーに出してしっかりみてもらう事にしています。

何事も無く帰ってきてくれる事を願っているのです。


『共同体』

2016-10-26 08:30:47 | Weblog
人間は多くの共同体に属しています。

夫婦
家族
親戚
地域
学校
クラブ
会社
サークル
先祖を含む家
国家
地球
宇宙

一応小さな共同体から順にあげて見ましたが、ざっくりなので順番が違う場合や抜けているものもありますし、余計なものもあるかもしれません。

また、年齢や生まれた地域などによって帰属する組織が変化するものでもありますから、そこはそれぞれに当てはめて考えて見てください。

実感の無いものもありますね〜(笑)

人間はそれぞれ悩みを持っています。

ある心理学者は、『悩んだ時にはより大きな共同体の意見を聞け』と言っています。

人はそれぞれにいろんな共同体に属しています。
そしてそれを意識する事で、今抱えている悩みを解決する方法を見つけることが可能だというのです。

電通社員が自殺した事件はとても痛ましく、本人がどれほど悩んでいたのかと考えると、複雑な気持ちになってしまいます。

本人が抱えていた悩みを、より大きな共同体に聞く事で、結果は別なものになっていたのかもしれません。

SNSで発信することで、彼女はより大きな共同体に相談していたのかもしれません。

しかしそれは彼女の属する、会社以外の共同体には届かなかったのかもしれません。

その声を聞いて、親兄弟や友人、恩師などが、直接体温感じる状況で、本人の悩みを聞いてあげることにつながったのかどうか、、、。

SNSを過信しすぎていたのかもしれません。

多くの仲間としっかりつながっているような錯覚、、、。

近況を把握するには便利ですが、やっぱり会って体温感じる距離で顔を見合わせて会話しないと、わからないことは多いのかもしれませんね。



人間それぞれが経験するトラブルの原因は、『他人の課題に土足で踏み込むところにある』と、その心理学者は言っています。

つまり、他人自身が解決しなければいけない課題なのに、アドバイスを越え他人の介入をしたところにトラブルの原因があるというのです。

悩みを抱えている人と、お互いの体温を感じられるような距離で会話をし、相手の悩みを聞いてアドバイスするのは結構なことだが、相手を自分の意のままに動かそうとすれば、そこに新たなトラブルが発生する、という事でしょうか。

悩みを聞いてあげるだけで、悩みを抱えた本人の気持ちの整理をつけることができる。
ならば、軽いアドバイス以上の事は必要ないという事でしょうね。

なぜならば、悩みやトラブルは本人が解決しようと動き出さない限り、解決には向かわないから。

本人にとっては突き放された感じでしょうが、動き出すには痛みも伴うし、それを覚悟する事が必要ともその心理学者は言っています。

亡くなった元電通社員の方の自殺の原因はわかりません。

しかし彼女の属した共同体は、彼女に合わない共同体だった事ははっきりしています。

私だってごめんです。

そして彼女だけでなく多くの人にとっても、合わない共同体だったことも明確です。

高度経済成長時代のやり方でそのまま現代までいこ残ってきた、弱肉強食が当たり前の恐竜が王者として君臨する世界だったように思います。

馬力と体力ある恐竜のような強い者だけが、運があれば定年まで生きのこっていられる会社。

いきのこっていても、心身共にボロボロになる仕事。

それは共同体として正しくなく、仕事としても正しいとは思えません。

能力あるものがその能力をそれぞれに発揮できれば、その共同体で承認され、それがうまく機能することで、人間本来の持つ優越性の欲求、つまり人間性の向上を目指す欲求にエネルギーを与える事ができると思うのです。

不幸にも亡くなってしまった元電通社員の方のご冥福をお祈りいたします。

そしてこんな不幸な事が起こらない事を願います。

『悩んでいたらより大きな共同体の意見を聞け』

共同体を維持管理する者として色々考えさせられます。


書道や音楽をする事が、自分で答えを出せるきっかけになると思います。

そしてそこで出会った仲間は、体温を感じられる共同体の仲間です。

仲間は宝!

宝を大切にしていきましょうね。