映画 「ある子供」を先週観ました。
主人公の青年は定職に就こうともせず、その日ぐらしで物乞いやひったくりをしながら生活しています。
子供が生まれてもその生活は変わらず、しまいにはわが子まで売り飛ばそうとします。
一緒に観た友人は、「働くチャンスがあっても自ら放棄している、ただ愚かなだけじゃない」と言って不満気でした。
しかし、まじめに働いても正当な評価を得られない社会は、労働に対する意欲を失わせていきます。
労働することに希望を見出せないのは、個人だけの問題なのでしょうか。
たとえば、最低賃金法で定められた時給で働いても、健康で文化的な生活などできないに等しいと思われます。
サービス残業などによって最賃以下で、酷使されている人だっています。
貧しいからといって犯罪を犯していい事にはなりませんが、政府の役割って何でしょうか?
この映画の監督が「社会の底辺にいる人とむきあうことは、自分の良心とむきあうことだ」というようなことをNHKのインタビューで言っていたのが、胸にささりました。
(コミー)
主人公の青年は定職に就こうともせず、その日ぐらしで物乞いやひったくりをしながら生活しています。
子供が生まれてもその生活は変わらず、しまいにはわが子まで売り飛ばそうとします。
一緒に観た友人は、「働くチャンスがあっても自ら放棄している、ただ愚かなだけじゃない」と言って不満気でした。
しかし、まじめに働いても正当な評価を得られない社会は、労働に対する意欲を失わせていきます。
労働することに希望を見出せないのは、個人だけの問題なのでしょうか。
たとえば、最低賃金法で定められた時給で働いても、健康で文化的な生活などできないに等しいと思われます。
サービス残業などによって最賃以下で、酷使されている人だっています。
貧しいからといって犯罪を犯していい事にはなりませんが、政府の役割って何でしょうか?
この映画の監督が「社会の底辺にいる人とむきあうことは、自分の良心とむきあうことだ」というようなことをNHKのインタビューで言っていたのが、胸にささりました。
(コミー)
本当にそうですね。
先日も朝日新聞でタクシー運転手が手取りが低すぎて「家賃」を払えないから会社倉庫で寝泊りしているという記事を見ました。
正社員のホームレス化が現実にあることを知り衝撃を受けました。
一方で豪邸紹介などを垂れ流すテレビやそれをボーッと観てる自分自身が嫌になります。
規制緩和で利益を上げるほんの一握りの人々がいる一方で、まじめに働いてきた多くの労働者は、規制緩和のいけにえとなりました。
セレブの生活を紹介するといった、品性下劣なテレビ番組にも、観てしまう度に顔面がゆがみます。