蔵書目録

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「日本芸術の印象」 アンナ・パヴロワ (1922.11)

2011年06月11日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 

 

   日本芸術の印象 
            アンナ・パヴロワ

 あたしが、お国を訪ふと、もう、月のひとつを閲しました、まことに早いものです。さうして、あたしは、この帝国ホテルにー慕はしい大東京にもー別れねばならぬ、寂しき日が、あたしに近よつてゐるのです。
  おもへば、碧い波の上から丹麗な富士山の姿に迎へられて、港にきたあの朝から、いろゝな日本の印象が、あたしの踊る尖頭旋回 シユル・レ・ホアン のやうに、めまぐるしいやうに、あたしの感覚に触れ溢れてゐるのでございます。
 エンプレツス・オブ・カナダの甲板で、あたしは、いつも、どこの国に行つても、されるやうに、お国の新聞記者の方に逢ひました、そして写真を撮影させられました。それは、なんでもないことですが、お国の芸術を解せらるゝ知識のある女性にお逢ひしたことが、いちばん、あたしを驚かしたのです、あたしは、お国の女性を人形のやうな女性だとばかり思ふてゐたのでございます、白い顔に夢を見てゐるやうな黒い細い眼をもつた、行儀作法のゆきとゞいた静かな女性で、言葉すらもあまり言はれぬ、はにかみがちな、そんな女性だと思つてゐたのでございます、その女性のすがたは思ひがけないあたしの意表にでた女性でございました、流暢な英語をかたりました、握手を、いきほひよくしました、さうして社交的な礼儀を程よくもつた女性でした、-あたしは欧米で日本の女性によく逢ひました、友もありますーしかしそれは海の外に出た女性ー代表的な分子の女性であつて、進取的な頭脳の所持者であるからこそ、あゝでもあつたのだとーかうばかり思ひこんでゐたのでございますーが、あたしの思想の乏しいものをお笑ひくだされますなー欧米の女性は、まだまだ日本の女性のことは、あたしの知識のやうな方が多いのであることをあたしはお国の女性に告げたく思ふのでございます。
 お国の女性はーあたしの接した、はじめの印象の女性はーかほどに、あたしの夢をさましてくれました、決して錦絵のなかのやうな女性ではなかつたのですーあたしは、それであればよいと思ふのですーしかしお国の女性は、錦絵の女であるべく耐忍は、できかぬることであらうと思ふのですーそれは日本に上陸してほど経て、あたしが日本の生活といふものに触れた時、つくゞさう思ふたのですー夢の日本は、遠のむかしに消えてゐると思ひましたー日本は近世のコンマア・シヤリヅムの大きな渦のなかに、くるしく、もがいてゐるやうな姿です。
 あくまでも物の価が高うございます、こゝろみに倫敦でもとめる絹のハンカチーフ或ひは絹くつしたのやうなもの、それがことゞくお国のはうが高値をもつてゐるのです、この、あたしが、とまつてゐるホテルとてもさうです、このやうなホテルの料金は紐育の一流のところでございますーあたしが日本が悪い商業主義 コンマーシヤリズム の渦のなかにあるとまおすのは、これのことでございます、かくの如き日本の現状に女性ばかりが錦絵のやうな夢をむさぼつて居られるわけのものではなかつたのです、日本の現状の女性の生活ほどむづかしいものはないとあたしは思ふやうになりました、世界に於て日本の女性こそ目醒むれば目醒むるほど、むづかしい、いろゝな問題に蓬着する女性はないだらうと思ふのです、人生の根本である衣食住の大問題がそこに横はつてゐるのです、世界共通の問題ではなくて日本独自の衣食住を解決してかゝつてからー
 日本人の生活が世界共通になるべきかー或ひはその古来からの型を踏襲してゆくべきかー実におほきな問題があります、それをどうしてゆくべきかー日本の女性はその改造に勇ましく進まねばならぬのです、そこに悲痛な闘争もありませう、しかしそこを、あたしが踊るやうなバッキャナルのやうな生活の力の豊悦をもつと、つきすゝむべきではありませんか。
   
 あたしが舞台で踊るのは、ひとつは人生の悲痛を癒すべき任務だとして踊るのですー人類のための芸術です。

 あたしは日本に上陸してからこのかた、いろゝな社会組織のなかに迎へられました、東洋と西洋の差が実によくわかりました。  
 東洋の絵画と西洋の絵画の相違がそこにあります。
 三味線音楽 スリー・スツリング・ミユジツク とヴァイオリン音楽の相違がそこにあります。
 あたしは藤蔭会に招かれて日本の新らしい舞踊を見ました、さうして“The Dance of the Fn Leavealles’(落葉の踊)を興味をもつて見たのです、あたしの為に、特に刷つて下すつたプログラムには、かう書いてあります。
 This is the impresion coaveyed by the fallen leaves as they are lossed up and down and to and fro on the ground by the wind toward the end of autumn.”
 あたしが帝国劇場で踊つた秋の落葉』と同じ趣をこのダンスがもつてゐるので、あたしは甚大な比較興味をもつたことは、だれしもかゝる場合にあへば、かうあるであらうと思ふのでございます、コト・ミユジツクにつれて静かにミス・シヅエは踊りました、そして可憐な二人のダンサアは落葉のひとつのつとめを完全にはたしました、踊のテクニツクは、実にあたしらもよくわかつたのです、言葉で表現できぬほど、心から心にミス・シズエのテクニツクはわかりました。この踊りで東洋と西洋の相違が実によくわかりました。
 おなじ芸術表現で、こんなに表現がちがふのです。
 あたしの落葉は生の悩みそのまゝを表現したつもりです。
 ミス・シズエの落葉には東洋の静的の瞑想した姿しか見られません。
 コト・ミユジツクは、やつぱり印度仏教の響です、亜細亜の光りに照らされた蓮の花のやうな沈黙のなかの悲しいすゝり泣きです。

 あたしは芝のシユラインにゆきました、東洋の匂ひです、荘厳でした、マダム・バツタァフライにでる鳥居の大きな門がありました、美くしい塔がありました、神聖の地としての絶好の樹木があたしを慰めました、その門の前を近世の自動車が走りました、褐色の市街電車が埃をあげてゆきました、すべてが、サンダルを穿いた希臘人が靴を見て驚くやうな姿態をこの東京はもつてゐるらしく思はれるのです。

 ある日、あたしは能プレーを見ました、立派なパントマイムです、心の芸術です、ところゞ不可知な動作に逢ふのです、しかし意味は囚へ得ました、あたしは能プレーに対して、すこしの知識をもつてゐません、能プレーは簡素であるべきものです、布臘の古代人のマスクの演劇が其処にあります、あのマスクは口を大きくあいて悲劇の物語をしました、この能プレーのマスクは、ひとつも口をあいてゐません、みんな結んでゐます、永久に結んでゐるらしく見えます、そこに心の芸術を見せるものがでたのであらうと思ひます。

 ある日帝国劇場の劇を見ました、あたしは其の背景の進歩してゐるに驚きました、その時の劇のテーマは池 ポンド でした、一人の儈とて女の恋の物語は話のやうに思はれました、わからないながらわかりました、あの背景は、まつと広い視野に見せる必要がなかつたでせうかーういらうは興味がありました、あの踊りにも日本の絵の気分がよく描かれて居ります、ういらうのキモノの色彩は、だれの考案でせうか、すぐれたものに思ひます。
 日本の劇を見る人々は服装が乱れてゐると思ひました、礼服は日本では、劇を見るにきないのですか、ハオリ、ハカマは、いつ着るのですか。

 ある日ゲイシャ・ガールのパアティと呼ばれました、日本の錦絵の姿は、この階級にばかりのこつてゐると思つて愛慕の情をもつて見ました、あたしに、はなしかける女性がひとりもゐなかつたのは寂しうございました、日本のナイフ・アンド・フォクのハシは、なかゝむづかしいものです、あれは一度つかへばすてるときゝました、国民性のひとつが現はれてゐます、日本の下駄もはきにくいものです、あたしの踊り相手のミスタァ・ヴォリイニンに慰めの靴 コンフオタブル・シユーウス だと言つてひました、どうしてゝ慰さめでありませう、ヴオリイニン氏のアイロニイです、箸と言ひ下駄と言ひ、実にむづかしいものを日本の人々はつかふものです。

 ある日美術学校を訪ひました、英作和田はいろゝな東洋仏教の絵を見せてくれました、仏像も見えました、あたしは古重襴のカケモノのキレも絵よりも深く愛しました、日本人の祖先の物をつくる魂のこもつたものが見られるからでした渋味のあるあの重襴の色彩は、われゝの生活のうへにも応用ができると思ひます。

 ある日ミツコシにゆきました、日本の純なキモノがなくて欧米にゆくキモノがレディ・メードにどつさりありました、そのキモノは心ある女性なら、すぐそのまゝ受けいれかねる安価な色彩と模様がありました、どこに多くゆくのでせうか日本のキモノなら、まだ、なんでもよいと思ふ気軽な女性がまだ欧米に多いのでせう。
 あたしどもは、いかなるときでも美の高上を願はぬ時はないのです。
 草の葉のひとつでも美であることをあたしは望みます。
 世界は美であらねばならぬのです。
 世界は美の宗教に支配さるべきものです。
 それならば、だれがこの美の宗教を司さどるべきなのでせう、われゝ芸術にたづさはるものが、その大任務をはたすべきなのです、通常の人が雪烟過眼する万象のなかに美の理想をとらへてこれをその芸術に現はして、美趣をこゝにありと教へるのです。
 この理想を発揮して、永遠の常住相をもつて心を感化するのでなければ芸術といふものは成立せぬであらうと思ふのです。

 あたしは、極めていそがしい身で、舞台から睡眠それから稽古といふわけで、日本の女性の方々としみゞ物語をするチヤンスがなくて過ぎたことを実に残念に思ふのでございます、あたしは世界の国々を、かうして急がしく旅するのでございます、しみゞと物を思ひ且つ考へることは、まれなのです、疲れた思想は、よくありません、ですからこゝに、あたしが書いた断片は瞥見 グリンプス にすぎないのでございます、グリンプスは、おほしくフレツシユなものです、しかし物の心核は、つかむときを、さうでないときがあるものです。
 あたしは、まだ多くの溢れたやうなものがあるのです、しかしそれをまとめる勇気がないのです、日本の暑気は随分強いこともそのひとつです、稽古が日本の舞踊の稽古のためにー割におほくの時をさくのですーそれがために敬愛する日本の女性のためになにごとかのこしたい言葉を、つひやしたく思ふのですが、それがかなはぬのです。
 あたしは、あまりペンをとることがありません、言葉がすぐ文字になるのに慣れてをらないのです、ですから、あたしの文意はきつと断片的です、まとまつたものがありません、これは心から深く日本の女性に詫びねばなりません、思想の深味もなく、まして啓発すべき言辞もないのです、ひとりのダンサァが思ひうかべたまゝのかざらぬ印象だと思つてくださればよいのです。

 あたしは Virina Reconstruo 〔Virina Rekonstruo 女性改造〕 のために、めづらしくも印象をのべました(あたしには長く感想をのべることがあまりないのです)あたしは有力な、あなたの雑誌を通じて、日本の女性の為に、あたしの日本滞在中の深甚な同情をうけたことを感謝します、さうして永遠にこの地上をすみよからしむることが女性の義務であるべきことを、お互ひに胸ふかく刻みこんで、地上楽園のために、勇ましく闘ふと言ふことを盟ふものであります。 (於一九二二・九・二九東京・帝国ホテル)

上の文は、大正十一年十一月一日発行の雑誌 『女性改造』 十一月号 (第一巻 第二号) に掲載されたものである。

 なお、『漠のパンフレット』 第四輯 に、下の文がある。

 ・世界の顔          アンナ・パヴロヴァ

 

 舞臺と觀客席との間を電気に例へれば磁場 じじやう のやうなものだと、私は何時 いつ も考へる。
 私は觀客に呼びかける。私は心から訴へる。さうすると私は、彼等が私に對して抱く關心が、何 ど んな形のものかを、木の葉のやうにデリケートな敏感さで、すぐに知つてしまふ。私が舞臺に立てば、觀客と私の間に電気の回路 サーキット が結ばれるのだ。
 私は古いロシアを想ひ出すことがある。其の頃のロシア人は、舞臺に踊る私の言葉を其のまゝに受けて、私と一緒に、狂的に心を躍らせるのだった。古いロシア人は踊 をどり に熱情を感じた。狂的に踊を好んだ。然し新しいロシア人は‥‥‥あゝ私は本當に何んな踊を彼等に見せてよいのか!所詮私はアリストクラットだ。そして彼等は、私とは別な存在なのだ。
 私は又東洋人の舞臺で踊ったことがある。彼等は西洋の踊を知らない。私の訴へを彼等は何 なん と受けるだらうー私は寧ろ其處に興味を感じた。
 日本のトキオ‥‥‥私は帝國劇場 インピリアル・シアター の舞臺に立つたー思へば既に十年近い昔だがー私は異常に眞劍な眼が、私の心臓を刺すやうに注がれて居るのを感じた。彼等は私の踊を享楽しやうとは思はない。私を知らうとする。私の踊を学ばうとする。じつと哲学的な凝視を注いで、彼等は靜座する。私は踊つて踊り抜いた。私は熱狂した。
 踊りを終つてホツとして、ディヴァンに身を沈めた私だつたが、何時迄も昂奮が消へなかつた。そして考へた。彼等は私の踊を解剖した。然し全體的に私を知つてくれただらうかーかくて私はトキオを去つた。アリガト‥‥‥日本の皆様、兎に角私は眞劍な皆様に心から感謝するのです。
 海を渡れば支那。ミステーリアス・チャイナ!本當に支那の皆様は辨髪 ピッグ・テール のやうに不思議だ。彼等は客席に、石のやうな無感覚さで座る。彼等は劇場に何をしに來たのか、何を見に來たのか?多分阿片 オピアム の殘夢を追って、時間を浪費する爲に來たのだらうー。
 で、私は、伯林 ベルリン のステーヂに立つ。私の前には無數の化學者と物理學者と數学者が並んでゐる。ドイツ人はドイツ人意識で私の踊を分析しやうとする。伯林人は私の踊を熱心に計算する。私は手術臺に上 のぼ った病人のやうな不気味さを感じる。あゝ彼等は私の踊を通して哲人石を発見し、相對主義の理論を確立しやうとしてゐるのだ!決して踊を見に來たのではない。
 そこで私は、逃れの街パリ―へ走るー
 私はパリ―で受けた程の好評を嘗て經験した事がない。だけど彼等は實際に私の踊を喜んでくれたのか知ら?私にはチャンと解 わか る。フランス人は世界で一番親切な國民だ。彼等は私をなぐさめる爲に拍手する。よしんば私が經業師であっても象使ひであっても、矢張同じことだ。彼等はいゝ気持で滅茶苦茶に拍手する。彼等は拍手する爲に劇場に集まる。
 私は素朴な魂を求めてアメリカへ行った。アメリカ人は赤裸々だ。嫌ひなものは嫌ひだ。好きなものは好きだ。アメリカ人は知ったかぶりをしない。アメリカ人は本當に踊を喜び踊に酔ふ事を知ってゐる。だから私はアメリカ人が好きだ。
 さて私は今度何處へ行かふ。も一度オリエントに行って見やうか知ら。それともいっそ南極へ行って、黒いペンギン鳥の中に混って「瀕死の白鳥」を踊らうか知ら‥‥‥。(エンリコ・ロシー譯)



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