昭和の全日本プロレス

全日の旗揚げからG馬場三回忌追悼興行までの記録です。当ブログの記事や画像を、ブログ等にそのまま転載する行為は禁止します。

全日離脱選手情報

2015年07月05日 20時00分48秒 | 全日本プロレス史
谷津嘉章(3月に全日との契約を更新)
7月10日全日本プロレス事務所に辞表を持っていったが、シリーズ中で責任者が不在で受け取りを拒否された為、後日辞表を郵送。
谷津の話「やっぱりウイリアムスとの試合でケガした事に尽きるよ。ケガしてから馬場さんとコミュニケーション取れなかったし、様子を見ようかなと思った時にタイトルマッチとかいっぱい入っちゃって、ヤバいなと思ったもんね。これでケガしたら、もう立ち上がれない。それこそプロレス界とバイバイ、このままイエスでやったら体壊して終わりだなと思ったよ。契約を破棄した事は社会人として反省してるよね。でも体が動かないんだから仕方ないじゃない。どこまで保証してくれるとか一切言ってくれないんだもん。入院費も自前だったしね。」(週刊ゴング1990年8/23号より)
※入院費用について
馬場代表の話「入院費を払ってくれないから辞めるって?ウチだってその程度の保証はしてますよ。契約書にも書いてありますよ。ウチは、治療費に関する請求書なり領収書を持ってきさえすれば、すべてその費用は会社が負担しているんだから。」(週刊プロレス1990年8/21号より)

ザ・グレート・カブキ(シリーズ前に契約の話し合いを行い2年契約で合意、契約金を受け取ったものの契約書にサインはせず。)
7月30日全日本プロレス事務所を訪れ馬場社長と会談、世界タッグ王座の返上を申し入れ、合わせて辞表を提出。
カブキの話「(退団を)決断したのは、シリーズが終わる2日前ぐらいですね。その時に、何か自分で足りないようなものがあったんですよね。それは何かと考えたら、やっぱりそこに天龍がいなかったんです。だから、こんな所でやってたって、しょうがないと思ったから。」(8/16SWS入団会見より)

その他、米沢良蔵取締役渉外部長が7月5日に退社。

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