蜂起とは占拠である。日常業務を放棄して要地を占拠することは、水戸では民衆蜂起のスタイルとして定着していた。水戸藩とスローガンを共にする抗議行動なのだ。井伊直弼から見れば水戸陰謀の大衆的表れ以外の何物でもない。幕府に対する藩をあげての水戸の叛乱である
ところで水戸街道にあふれでた民衆は長期の占拠中何をしていたのだろう
長期占拠となれば内部秩序が要請される。農民などは仔細わからず出立してきた者が過半数なので「何のためにこうして押出して来たのか訳がわからぬ」と囁き合う
藩士も退屈で宿で剣術をしたり、囲碁や将棋で暇を過ごす。中には酒食遊興にひたる者、賭け事をする者さえでてくる
誰もが日数が経過すると拍子が抜け、気力も減少し、病人が出て死亡者も出てくる
一方神官は蜂起の初めから終いまで占拠を続けた者たちだ
■神官の活動概要
【滞留1ヶ月後6月16日に1日限りで出歩く許可が出た
※間道を抜けて江戸に潜行。激派の関鉄之助と密談
※船で横浜に出て異人たちを見物
※代表25人を選んで江戸へ潜行、水戸藩に干渉している高松藩主邸に押しかけて勅書回達・藩主父子の無実の罪を嘆願
※八幡宿まで行き気勢を上げる
水戸城下には10月6日に帰った】