水戸藩への勅書は、【勅許を得ずに通商条約に調印した幕府への不満や泣き言をつらねたもの】だが、水戸藩はただ聖なる勅書をたまわった栄光に酔い、感激のあまり、その政治的意味や影響を考える冷静さに欠いていた
★密談
水野忠央土州守
「これは水戸の手入れにより無理に出させたものであり、勅書をかさに着て現幕府を排除する策謀だ。天下の政事を取ろうとするものに外ならず、決して屈してはならない」
井伊直弼
「どこまでも押し抜くつもりだ。天皇への忠誠、自分に勝る者はいない」
水野
「水戸など厳重処罰せよ。そうすれば奴らは武器をとる。しかし水戸に同調する藩は二、三であり、朝飯前の仕事で片がつく。新将軍宣下さえ無事に済ませばこっちのものだ」
井伊
「どこまでも張り込むつもりだ」
8月29日ついに閣議は【勅書伝達を禁ずる】決定を下した
「水戸への勅書降下は古例無きことで争乱のもとにもなる。よって伝達差し止めを朝廷に通達する」と水戸藩に通告。同時に藩への直接の圧迫に乗り出してきた
水戸藩への勅書降下によって天皇とつながった糸は、逆に幕府から藩に対する圧迫につながった