るるの日記

なんでも書きます

水戸藩・会沢文書・今日のリアルが明日もリアルかどうかは解らない

2021-04-05 13:53:55 | 日記
■会沢正志斎は、斉昭の家臣ではなく、水戸学の学者にして弘道館の指導者であり、その高名は全国の尊王の志士たちに知れ渡っている。その会沢の意見書が以上だ。藩主だけでなく、藩論全体に与える影響力は圧倒的であった
この文書は危機に臨んで発せられる政治文書なのである

■政治文書とは内外の危機に直面した際に集団が、あるいは集団内の一派が発する文書である

※自分たちが誰であるか
※危機の情勢をどう受けとっているか
※この危機にどう対処すべきか(すべきでないか)
を訴える文書である

■危機に直面すればそのストレスが集団内部の異論を呼び覚まし、内部諸勢力への批判と、党派闘争の呼びかけとなる
会沢文書は、集団内部に呼びかけた政治文書の構造を持つ

※初めにいきなり、【内部の敵・高橋多一郎】を名指しして非難を浴びせている

※それから自ずから我らは誰かの表明になっている→【断固鎮派の勢力を背にしている】

※危機に反射的・盲目的に跳ね上がろうとしている【激派】がこれに対置されている

※♦️敵は幕府ではなく、内にいると、内なる敵に転化している

※彼らを批判する論拠として、危機と情勢の評価が冷静を装って展開される
「彼らは叡慮を読み違えてかえって危機を作りだそうとしている」
「彼らは公武合体・国内治平の害である」
「彼らは幻想を見ている」
「この太平の世に好んで攘夷に立ち上がる根性などあるものか」
「逆に攘夷の敵を冷静に見れば、すぐに敵対不可能なことは明白である。戦えば負ける」

以上が、主体と客体の情勢分析。客観的かつ党派的な結論に結び付く分析である

■では、何をすべきか
これが情勢認識に基づく行動方針の提起になる

※端的に【幕府の方針に従わねばならない】である。が、こう断言することは挑発的で危ない。「尊王攘夷はどこへやったのか!」と反発が内外から一斉に返ってくる

会沢文書では、問題が尊王か佐幕かかの思想対立だという論争の次元を断固回避しようとする。回避できるか、その正否に政治文書の効果がかかっている

政治体としての利害得失の政治次元に問題を移さなければならない
「慌てて百犬が吠えたてる軽挙妄動こそが集団を危うくする。集団を討幕挙兵の道へと引きずりこんでいく」
「今はまげて、幕府の処置に従うべきである」

■だが、激派の若者は【観念】に動かされて軽挙妄動しているのだ。観念の逆が【現実・リアル】

だが今日のリアルが明日もリアルかどうか、測り難いのが危機の時代であり、集団の運命である

■危機に対応した政治体自体の変革【再団結と飛躍】こそが【当面の行動方針の提起】の先に提示されなくてはならない。分裂状態を再び人心居合に導くべく、水戸藩をどう変えていくか。「しばらく待つこと」という慎重論だけではだめなのだ。会沢文書にはそれが欠けている




水戸藩・会沢意見書・とにもかくにも反幕の行動(勅書伝達)はダメ🆖

2021-04-05 12:31:13 | 日記
■水戸藩代々の幕府への忠孝

【水戸藩は威義二公より、天朝と幕府を尊敬することが御家柄である。その遺志を重んじられて、この度は幕府から御慎みを仰せ付けられても、諸侯の模範となるように、君上は格別に深く御慎み遊ばされておられる

この謹慎をも破って伝達なさるのであれば、幕府に手向かう勢いになる。深い御慎みもむなしくなろう

幕府へ謀反の姿勢にもなり、これでは、これまでの忠誠も水の泡となってしまう。残念も限りなしと存ずる次第だ】

水戸藩・会沢意見書・時を構わずは軽率、時を待つのは臨機応変

2021-04-05 12:16:34 | 日記
■勅書は世間知らずな朝廷の軽率

【勅書を頂戴したことは光栄の至りとはいえ、朝廷の御処置は下情に通じず、古今の大勢をご明察なさっていないので、その政策はいかがなものかと思わせる

昔から天下の政令は一本に出なくては治平はかなわないことである。諸侯への号令なども幕府より一本に出るのでなければ、政令ばらばらとなり天下は治まらない

それゆえ勅書も幕府に下すのが当然であり、御三家に下すというのは権道である

それでも勅書をお受けしたのは避け難い処理だったと思うが、しばらくは時を待つこともまた臨機応変、やむをえない次第と言うべきである

そうではなく、時かまわず軽率に伝達することは朝廷より戦端を開くことにもなり、しばらくは時を待ち幕府の方針が一変した上で幕府より発するようにすべく、御熟談なさることが肝要と存ずる。慎重に待つことが幕府に忠誠を尽くすことかと思われる】

■勅書の水戸藩への降下は下情に通じぬ朝廷の軽率だというのが会沢の判断である。その上で幕府による政令一統の原則を破るなと警告する

朝廷からの政令一統を求める向き(後の王政復古)には承認できない見解なる

これに対して会沢は、幕府の方針自体が一変する可能性をほのめかしている。この時期は井伊大老・老中太田・老中間部との間にすら亀裂が生じていた。井伊による大獄が公卿たちまで及んだことがきっかけだった

水戸藩・会沢意見書・藩のとるべき方針提起「封建制の大義名分・藩は幕府に従うべき」

2021-04-05 11:42:21 | 日記
■まげて関東の御処置に従われよ

【治世に兵革を好む者はいないから、勅書を伝達しても格別の悪害もなかろうと論じる者もいる

幕府よりの伝達は当然としても、それすら間部詮勝などが上京工作し粉骨を尽くして、うやむやにしてしまっている

こうした中で強いて水戸藩から伝達しては、幕府にとっては大きな手違いとなり、天下に対しても相すまぬことになろう

そうなれば水戸藩へ今一段と重い制裁を加えるのは必定であり、藩内に幕府を敵として、やり立つ者が必ず出る

そうなれば水戸藩としても幕府に敵対する形になり、諸侯の援助もなく孤立したまま天下の兵を動かすことになり、国家の傾覆は危うきに立ち至るだろう

恐れながら、叡慮には沿わぬことになろうが、主上(斉昭)は、この節はまげて関東の処置に従われることが、みだりに民命を損なわず、御仁心のたまものと感謝されることになりましょう

そうでなく御家が禍乱の手始めとなり、有志の士民を残らず殺し、その禍が天下の民まで及ぶようになっては、かえって主上の御仁心に背き、国内治平をとの叡慮と雲泥の違いになると申し上げたい

昨年伝達の件が持ち上がった折、吉凶を占ったところ凶と出たので、その指示に従う処置をして吉凶を免れたかと安堵していたところに、またまた伝達などされては、この上いかなる凶兆にいたるかと、実に憂慮この上ないことである】

■ここから現状分析を踏まえての勅書問題への方針提起になる。藩のとるべき方針である

会沢は藩の重臣ではない。臣下の大派閥の首領でもなく、組織を代表しての発言ではない

だから個人の発言として実効性を伴うためには斉昭を動かすしかないのである
【封建制の大義名分に従うべきだ】これは会沢の原則だが、ここでは名分論からではなく、もっぱら実利的判断を強調している。政治文書たるゆえんである

水戸藩・会沢意見書・革命を馬鹿にする老知識人

2021-04-05 10:27:58 | 日記
■百犬吠えるだけの、尊王攘夷志士たち

【「天下の有志は勅書伝達を渇望している」と論を立てる者がいる。だが、他国では真気の者は少く客気ばかり、お義理で伝達を愉快と思う者たちだ

夷狄(外国人)と関わる気などなく、脇で高見の見物だから上の空。勅書を伝達されても浅薄に論じて、身に引き受けてこれを深刻に思慮する者はいない

ただひととおり読み過ごすだけで、その趣意までも深く考えず、百犬の吠えるがごとく、何の思慮もなく伝達せよと唱えるだけのこと

この者たちは大抵、高橋多一郎と同意の者であるが、その他大勢は意見がばらばらに見えるのだから有志の士といっても取るに足りない

伝達を主張する者の中には、伝達して直ちに挙兵上京する、などと申す者もいる。ある人がこれを評して、「空中を飛行して上京する気か」と嘲笑している。客気の者たちは多分にこの類の空論を弄している】

■幕末志士たちは上京して交流しあっていた。現に薩摩有志と高橋多一郎らとの密会が続けられていた

会沢は有志の士といっても客気、お義理、高見の見物、その他大勢で空論「百犬の声に吠える」に過ぎないと、志士風情を馬鹿にしている

どんな革命の場合だって、老知識人には少壮客気の者たちはこんな風に見えるし、事実そのとおりなのである

これら大衆的発狂沙汰を、正気の政治的側ではどうするのか。会沢ら鎮派は藩のことなかれ主義中間派と繋がっているのであり、ただ激派排除を唱えることを越える方略が会沢にはなかったのか

それに百犬の吠えるがごとき者たちが、幕藩体制をひっくり返すのも、あと数年のうちなのである。会沢の情報分析に、長期展望が欠けていなかったかどうか。。