■会沢正志斎は、斉昭の家臣ではなく、水戸学の学者にして弘道館の指導者であり、その高名は全国の尊王の志士たちに知れ渡っている。その会沢の意見書が以上だ。藩主だけでなく、藩論全体に与える影響力は圧倒的であった
この文書は危機に臨んで発せられる政治文書なのである
■政治文書とは内外の危機に直面した際に集団が、あるいは集団内の一派が発する文書である
※自分たちが誰であるか
※危機の情勢をどう受けとっているか
※この危機にどう対処すべきか(すべきでないか)
を訴える文書である
■危機に直面すればそのストレスが集団内部の異論を呼び覚まし、内部諸勢力への批判と、党派闘争の呼びかけとなる
会沢文書は、集団内部に呼びかけた政治文書の構造を持つ
※初めにいきなり、【内部の敵・高橋多一郎】を名指しして非難を浴びせている
※それから自ずから我らは誰かの表明になっている→【断固鎮派の勢力を背にしている】
※危機に反射的・盲目的に跳ね上がろうとしている【激派】がこれに対置されている
※♦️敵は幕府ではなく、内にいると、内なる敵に転化している
※彼らを批判する論拠として、危機と情勢の評価が冷静を装って展開される
「彼らは叡慮を読み違えてかえって危機を作りだそうとしている」
「彼らは公武合体・国内治平の害である」
「彼らは幻想を見ている」
「この太平の世に好んで攘夷に立ち上がる根性などあるものか」
「逆に攘夷の敵を冷静に見れば、すぐに敵対不可能なことは明白である。戦えば負ける」
以上が、主体と客体の情勢分析。客観的かつ党派的な結論に結び付く分析である
■では、何をすべきか
これが情勢認識に基づく行動方針の提起になる
※端的に【幕府の方針に従わねばならない】である。が、こう断言することは挑発的で危ない。「尊王攘夷はどこへやったのか!」と反発が内外から一斉に返ってくる
会沢文書では、問題が尊王か佐幕かかの思想対立だという論争の次元を断固回避しようとする。回避できるか、その正否に政治文書の効果がかかっている
政治体としての利害得失の政治次元に問題を移さなければならない
「慌てて百犬が吠えたてる軽挙妄動こそが集団を危うくする。集団を討幕挙兵の道へと引きずりこんでいく」
「今はまげて、幕府の処置に従うべきである」
■だが、激派の若者は【観念】に動かされて軽挙妄動しているのだ。観念の逆が【現実・リアル】
だが今日のリアルが明日もリアルかどうか、測り難いのが危機の時代であり、集団の運命である
■危機に対応した政治体自体の変革【再団結と飛躍】こそが【当面の行動方針の提起】の先に提示されなくてはならない。分裂状態を再び人心居合に導くべく、水戸藩をどう変えていくか。「しばらく待つこと」という慎重論だけではだめなのだ。会沢文書にはそれが欠けている