るるの日記

なんでも書きます

水戸学・罪な男会沢正志斎

2021-04-08 12:45:26 | 日記
■会沢正志斎にとっては、尊王も攘夷も国家統一と強化のための手段だった
国家とは『新論』の時期には幕藩体制。時移れば公武合体体制である。何よりもこれを強化(富国強兵)することが急務であり、そのためには攘夷、尊王の士風を臨機応変に鼓舞するのが有益な手立てとなる

【強を養うは、一時の便宜にして必ずしも永制となさず】と会沢は書いた。統治者たるもの一律の杓子定規はいけない
会沢新論の尊王攘夷はこれである

■とはいえ、『新論』では、尊王も攘夷も激して説いている。それは統治者の便宜手段というにはそぐわない

何よりも、これを真に受けて行動に走った若者がいた。幕府に敵対して藩をあげての叛乱までもたらした。藩論は紛糾し分裂状態に至ったのだ

観念を真に受けて走った若者たちに「それは誤解だ、はき違いであることが分からないのか」と会沢が批難し攻撃する

■薩長のごとく、尊王攘夷を手段として操るマキャベリズム(どんな手段や非道徳的な行為であっても、結果的に国家利益を増進させたなら許される)にまで会沢の言動は達してはいなかった

水戸藩は統治操作する政治体として、自己を対象化(自己を客観的に見る)できなかった

尊王攘夷のジレンマは国体論(トップが2つ天皇と東照宮)そのものが、抱え持っていたことだ

水戸学名分論・教育勅語、五ヶ条の御誓文、大日本帝国憲法、日本国憲法、の大切さが身に染みる

2021-04-08 11:55:06 | 日記
日本を外国が狙っている今日の尊王攘夷について

■国体論(水戸学)
尊王と攘夷が一体化したスローガンは自然だ

■政治
尊王と攘夷は別物
攘夷は藩政改革を要求する。そして幕政改革へ拡張されねばならない

■名分論(水戸学)
※水戸藩は幕府を越えて、幕府を差し置いて攘夷を実行してはならない
※尊王に幕命を無視して直参してはならない。倒幕など論外

■水戸学国体論は天照大神(天皇)と東照宮(徳川家)を忠誠の対象として並べ立てていた。これが水戸藩を鼓舞し、一方で尊王攘夷のジレンマとして苦しめる

ジレンマは後に
※天狗党の筑波山挙兵
※諸生門閥派の蜂起
として水戸の過激派同士の内戦をもたらす

水戸学名分論・眼前の主を差し置いてさらにその上に忠は届けるな。秩序が乱れる

2021-04-08 11:25:03 | 日記
名分論のもともとの論理は
「民の尊王攘夷運動を禁圧する」
だった

斉昭も命じている
「人々、東照宮の恩に報いんとて悪しく心得違い、眼前の君父を差し置き、直ちに天皇に忠を尽くさんと思わば、かえって僭乱(分を越えて秩序を乱す)の罪のがれまじく候。されば忠もその身分により次第これあること」

尊王の理念は
【天(天神・天皇)人(民)合体】
【天皇への直参】を合意している

しかし真上の身分を差し置いて、さらにその上の身分にまで忠を届けようとしてはならない

眼前の君主を差し置いて、幕府に、朝廷に攘夷実行を強要するなどあってはならない
名分は天祖・天皇・幕府・臣民の全体秩序である、と共に実際は藩内部の君臣関係に忠を束縛する性格のものだった

水戸藩勅書をめぐる対立は、名分論のこの論理に拘束されていた。尊王の名分から、幕府を越えてはいけないという論理に、ずるずると引きずられていった

他方で尊王攘夷激派は、尊王への名分論である尊王直結の論理によって、下から藩・幕府を越えて行こうと苦しんだ

天皇の勅書降下による上から下への直結は、名分論のタブー下から上へ突き抜けて進むことを水戸藩士民に強要した

思えば朝廷はとんでもないことをしてくれたものだ。尊王攘夷のスローガンは藩の壁を越えて拡散し、朝廷の動向が逆流してくる状況が生まれていた

水戸学名分論・武士にとって天皇は名のみの遠い存在だったのに、、

2021-04-08 10:39:13 | 日記
実際、天皇勅書降下をきっかけにした水戸の叛乱の士民こそ、名分論の逆転【幕府を通さず、士民から天皇へ直結する忠の力】を生きる者となった

勅書が中間に介在する幕府を通さず、直接に水戸藩に天下った。勅書を受けて奉勅の念が沸騰して士民は直に天皇に馳せ参じる思いに駆られた。天皇は悪気なく水戸藩士をそのように追い込んでしまった

たしかに水戸藩にとっては、勅書はありがた迷惑であり、一片の紙切れの「護持か返納か」と不毛な分裂に至った。だがもしかしたら根はもっと深いものだったのかもしれない

会沢が何としてでも阻止しなければならなかったのも、まさしく天皇と民との上下直結の叛乱だった
会沢は幕府補佐一辺倒の論を張ったが、これは会沢自身の国体論・名分論のジレンマを強いて抑え込もうとする無意識の所産である

そもそも天皇といわれても諸藩の武士たちには観念でしかありえない。名のみの遠い存在である
水戸学はこの距離を無にするために、遠くを近くとする思想を作り上げていた。この効果が奉勅を求める水戸の叛乱と出た



水戸学名分論・やばい、私、名分論に洗脳されそう

2021-04-08 09:53:35 | 日記
名分論は上下の別を厳しく立て、士民を秩序に縛り付けるかに見えて、民を天皇という頂点へ直参させる論理にも転じる契機ともなる

忠という思いとすれば力の方向は
民から武士
武士から諸侯
諸侯から幕府
幕府から天皇
と直ちに逆転することができる
臣下が上を尊べばこの名分は、はるかに高く天皇、上天への崇敬へと直結する

名分論は天皇や天照大神と民との距離を無にしてしまう

こうなれば、名分論がかえって天皇の精神によって封建身分制を突き崩すことがある