るるの日記

なんでも書きます

見抜く力をつける

2021-06-22 10:56:58 | 日記
認識は曖昧だ
それが[物]から
[事]や[働き]の認識となると
いっそう深刻になる

なぜなら

物より、事や働きの認識には
いっそう強い感性の働きが必要だからだ

■物
ちょっと見ればわかる
刺激によって直接感じることができる
分析やデーターによって捉えられる
識別はAはA、AはBではないと理性的に区分できる

■事
ちょっと見ただけではわからない
刺激によって直接感じることはできない
分析やデータだけでは捉えられない
識別は価値、意味、善悪による高度に感性的な分別をする


♦️事を捉えるためには
「見る」だけではなく
「見抜く」力が必要
洞察、看破

■見抜くとは
★物事を深く見ること
表、中、裏にあるものを捉えること

★事の中に潜在する因果関【直接の因果関係でなく、間接的に、もって回っての、隠された因果関係】を捉えること

★事を全体との関連で捉え直すこと

★事の意味を捉え、問題の所在を明らかにすること

♦️見抜く力は感性の力
見抜くためには、想像や推理が必要
想像や推理は理性的計算や原理からの想像や推理ではなく、感性的な推測という形になる

見直し不十分により曖昧な生き方に、客観化不十分により独りよがりな生き方になる

2021-06-22 10:24:33 | 日記
感性の中で、認識を確かにするためには、【見直し】と【客観化】の2つが何度も繰り返されなければならない。そこに【理性の力】が加わる。
見直しと客観化が十分になされていなくても理性はそれなりの手伝いはするが、、、

★見直し不十分な認識は
曖昧な認識が、理性により合理化されるだけ
まともな認識ではない

★客観化不十分な主観的認識は
理性により、独りよがりな自己合理化され
まともな認識ではない

♦️合理化かあ。。🤔♦️

感性→司令官
理性→参謀
参謀がいかに優秀でも、司令官が愚図では戦は勝てない。愚図な司令官を差し置いて参謀が独走するのも軍律違反であるだけでなく、軍としての作戦を乱してしまい禁忌すこと

感性と理性の関係は
きわどい形で成り立っている
感性には愚図が多く、認識活動では、理性が独走し、感性が理性に引きずり回されることが多い

認識を確かにするためには、理性より感性をまずしっかりさせることが先決。そのためには見直し、客観化を繰り返すことだ



直感とは自分の中の第1の感性・直観とは自分の中のもう1人の自分の感性

2021-06-22 09:55:54 | 日記
人間の感性の働きには
【直感】と【直観】がある

直感とは
自分の中の第1の感性の働き

直観とは
自分の中のもう1人の自分の感性の働き

主観の客観化とは
感性の中での、主観の自覚・反省・批判という形で起こる。それ以上でもそれ以下でもない
認識を確かにするためには、主観の客観化が必要


初めて霊を見た時の捉え方

2021-06-22 09:38:16 | 日記
■主観の客観化とは
見た物事を、直感でとらえ直し、それを感性の中で改めてとらえ直すこと

★[例えば]
1
今まで見たこともない霊を初めて見た

2
直感として「あれっ?」「何?」「恐い」と感じる
これは認識ではない
働きが粗雑すぎる直感だからだ

3
直感を、もう一度とらえ直し、認識に導く
【どこがどうおかしいかハッキリさせるため、目の前に現れているものが何であるか、改めて見直す(始めの直感に対して自覚の念、見方への反省の念、批判の念が働く)

4
目の前に表れた霊を、もう一度見直す

♦️これが客観化で、動物にはない。動物は客観化せずとも、直感そのもので通用する
人間は感性の働きが気まぐれなので直感だけではあてにならない。あてになる直感にするために、客観化が必要
人間の感性には2つある。もう一人の自分の第2感性が、直感(主観)の客観化の働きをする(後に詳しく述べる)

※客観化は、見たこともないものが現れた時だけでなく、一般に私たちの認識で、暗黙になされている


勘が働かないのは、真剣に生きていないから

2021-06-22 09:02:59 | 日記
■認識は全て、【感性によって直接とらえたものしか認識できない】という、宿命的弱点がある
これは動物も人間も変わらない

認識とは錯覚だが、認識とは錯覚以外ないものだ
だから、ねたみ、恨み、やっかみ、嫉妬心などの原因の1つとなる
よって認識はあてにならない

■このような認識であっても、私たちは物事を意外と的確に認識し、ひどい錯覚に陥らないですんでいる
それは、「見る」ことの中に、錯覚修正の働きが組み込まれているからだ

★【見直し】
認識の裏に、見直しの働きが暗黙になされている
見方をいろいろ変え何度も見直すことで、今まで見えなかったことが見えるようになる

一方的、一面的、場当たり的なものから、より物事の実相に近づき、認識が確かになっていく

見直しは無意識になされることもある
または、同じ物事を睨み続けていると、「何かがおかしい・違和感がある」といった【ひょいとしたきっかけ】に気づいて見方が大きく変えさせられる
【ひょいとした気】が起きることを、勘・知覚・第六感という
勘・知覚・第六感は、見る働きに今まで押さえつけられていた、他の感覚の反逆という形で起こる

■認識のために働く感覚は、部分的でバラバラ、すべて同時に、フルに働いていない。ある感覚が働いているときには、他の感覚は休んでいる

その感覚の稼働と休止が自然にスムーズになされている場合ならいいが、無理に不自然になされている場合は、働いている感覚も、休止させられている感覚も不満を生じる

★目でなく、他の感覚を働かせた方がいい場合に、目が出しゃばると、他の感覚が欲求不満になる。その欲求不満が、目の働きに無理が生じた場合に、たちまち現れ、目の働きに警告やストップをかけたりするようになる
こうして反逆する
それが勘・知覚・第六感・ひらめき、というものだ

見るは、単なる目の感覚
勘・知覚・第六感はいくつかの感覚の複合

だから勘・知覚・第六感が頑固な見方をも覆すほどの、強い力を持つ

♦️勘・知覚・第六感の働きは誰にでもある。それが起きる、起きないの違いは【見直しが真剣であるか、そうでないか】だ。ぼんやり見直していたのでは起こらない。真剣に見ていると、自然に勘が働くようになる