るるの日記

なんでも書きます

人生という一人旅での「真の寄り添い」

2021-07-06 07:56:55 | 日記
人はヘソの緒で母親とつながりこの世に出現した。一人で放り出されては生きていけない不完全な生きものとして生まれ落ちた。親との絆はそのような危なっかしい正真正銘の命綱だった。そして様々な支え合いを条件として人は成長する

絆はときどき柵(しがらみ)となって窮屈な世界へ引きずられたりする。ひとえにこちら側の受けとめ方次第。絆も柵(しがらみ)もまた仮のものである。だからこそ絆にほだされず、柵をものともせず、自在に生きる

人生という一人旅は心細い
誰も私に代わって、私の生老病死を生きてはくれない。そのような人生での「真の寄り添い」とはどのようなものなのか?

私一人のために私の命から、惜しみない采配がある。私が私に寄り添うことができたとき、他者に寄り添い、自然に寄り添い、老いに寄り添い、病に寄り添い、死に寄り添い、寛容に生を全うしきることができる

私が私に寄り添いながらの人生の一人旅。他者や自然との出会いの眼差しは、「共にこの世にあり、切れながらも繋がっている絶対的な命。共に生老病死の一人旅」という切なくも嬉しい共鳴を見る

命は全うしている。私も全うに生ききりたい

2021-07-06 07:01:57 | 日記

人生の問題とは
答えそのものとの自問自答
既に「その時々の完成した命」を生かされている

人間は眼耳鼻舌身意を持つ「命の反応体」
音は私が分別する前に耳に入る
ものは私が意味付けする前に眼に見えている。五感は私の分別、意味付け、見識、意見、理屈、好悪、選択、着色以前に反応する

その「分別」以前の「命の実物」を第一義として、「全うに生ききりたい」

ものを見聞きするにつけて人間は事実そのものを真っ直ぐ受け入れようとしない。私という屈折を経て、何かにつけて線引きする。けど、すべての自象は私の思いに関わりなく事実として成り立っている
通じている

花には力を抜いて光に身をまかせているものの美しさがある。絶妙なる世界と通じている美しさである