るるの日記

なんでも書きます

仏法研究・法華経題目抄・妙は閉じた門を開く鍵

2021-07-16 12:37:10 | 日記
■問う
妙法蓮華経の五字には
いくばくの功徳をおさめたるや

答う
大海は衆流を納めたり
大地は有情非情を持てり
如意宝珠は万財をふらし
梵王は三界を領す

妙法蓮華経の五字
またかくの如し
一切の九界の衆生並に仏界を納む
十界を納むれば亦十界の依報の国土を修む

■妙法蓮華経の五字に
一切の法を納むる事
いわば経の一字は
諸経の中の王なり
一切の群経を納む
諸経は法華経眷属の修多羅(仏の説いたもの)なり

妙楽大師の釈いわく
「已今当説最為第一」

経の一字の中に
十方法界の一切の経を納めたり
譬えば如意宝珠の一切の財を納め
虚空の万像を含めるが如し

妙法蓮華の四字も又
八万法蔵に越過するなり

■妙とは
法華経にいわく
「方便の門を開いて
真実の相を示す」

章安大師いわく
「秘密の奥蔵を発(ひら)く
之を称して妙と為す」

妙楽大師此の文を受けていわく
「発とは開なり」

★妙と申す事は
開と云う事なり
財を積める蔵に鍵なければ
開く事難し
開かざれば蔵の内の財を見ず

★華厳経は仏説き給いたりしかども
経を開く鍵をば仏説き給わず
阿含・方等・般若・観経等
四十余年の経経も仏説き給いたり
しかども経経の意をば開き給わず
門を閉じて置かせ給いたり
しかば人かの経経を覚る者なかりき
たとえ覚れりと思いしも僻見
(へきけん・偏った見方)にてありしなり

★仏・法華経を説かせ給いて
諸経の蔵を開かせ給いき
此の時九界の衆生始めて諸経の
蔵の内の財をば見知りたりけり
眼の開くべき縁を結ぶ
是れ妙の一字の徳なり

★妙とは具の義なり
具とは円満の義なり
法華経の十一の文字一字一字に
余の六万九千三百八十四を納めたり

大海の一滴の水に
一切の川の水を納め
一の如意宝珠の芥子になり
一切の如意宝珠の財をふらすが如し

秋冬枯れたる草木の
春夏にあうて枝葉、華果
出来るが如し
秋冬の草木の如くなる九界の衆生
法華経の妙の一字の春夏の日輪に
あい奉りて菩提心の華咲き
成仏往生の果なる

★竜樹菩薩の大論にいわく
「譬えば大薬師のよく毒をもって薬と為すが如し」
此の文は大論に法華経の妙を釈す文

★妙楽大師の釈にいわく
「治し難きをよく治すゆえに妙と称す」

★総じて成仏往生のなりがたき者四人あり。第一には決定性の二乗
第二には一闡提人
第三には空心の者
第四に謗法の者
これらを法華経において仏になさせ給ふ故に法華経を妙というなり






仏法研究・法華経題目抄・経の受持、護持の要は題目を唱えるにあり。法華経に護持されるという要有り

2021-07-16 10:56:35 | 日記
問う
題目ばかりを唱うる証文これありや

答う
法華経第八にいわく
「法華の名を受持する者
福量る可からず」

正法華経にいわく
「この経を聞いて名号を宣持せば
徳量る可からず」

添品法華経にいわく
「法華の名を受持する者
福量る可からず」

此等の文は題目ばかりを唱うる
計るべからずと見えぬ

二十八品を受持読誦し
随喜護持等するは広なり

方便品、寿量品等を
受持乃至護持するは略なり

但十四句偈、乃至
題目ばかりを
唱えなうる者を護持するは要なり
広略要の中には
題目の要の内なり



仏法研究・法華経題目抄・三千年に一度咲く優曇華を見るよりも法華経には遇い難し

2021-07-16 10:29:00 | 日記
常に南無妙法蓮華経と唱うべし

法華経第一の巻にいわく
「無量無数劫にも
是の法を聞くこと難し」

第五の巻にいわく
「是の法華経は
無量の国中に於いて
乃至名をも聞くことを
得可からず」

法華経の名を聞く事は
おぼろげにも有難き事なり

須仙多仏、多宝仏は
世にい出給いたり
しかども法華経の名を説き給わず
釈迦如来は法華経のために
世にい出給いたり
しかども四十二年が間は名を秘して
語りい出給わず
仏の御歳七十二と申せし時
初めて妙法蓮華経と唱えい出給う

しかりといえども
日本の辺国の者は
御名をも聞かざりき
一千余年過ぎて三百五十年に及びて
わずかに御名ばかりを聞きたりしか
さればこの経にあい奉る事をば
三千年に一度咲く優曇華
無量無辺刧に一度あうなる
一眼の亀にもたとえたり
法華経の題目にあう事は難し
さればこの経の題目を唱えさせ給う事はめずらしとおぼすべし

仏法研究・法華経題目抄・信により法華経の題目に力を与える

2021-07-16 09:14:42 | 日記
■仏道に入る根本は信を持て本とす

五十二位(信心修行の階位)の中には十信(五十二位の下から1~10・仏の教法を信じて疑心ない位)を本とす

■十信の位は信心初めなり
たとえ覚り無けれども
信心ある者は鈍根も正見の者なり
たとえ覚り有るとも
信心無き者は誹謗闇堤の者なり
有解無信の者今に阿鼻大城にあり

迦葉、舎利弗等は無解有信の者なり
仏に授記を蒙りて
華光如来、光明如来といわれき

仏、説いていわく
「疑いを生じて信ぜざらん者は
即ち当に悪道に堕つべし」
此等は有解無信の者を説き給う

而るに世間の学者のいわく
「只信心ばかりにて解する心無く
南無妙法蓮華経と唱うるばかりにて
いかでか悪趣免れるか」
此の人人経文の如くならば
阿鼻大城免れ難し
されば解なくとも
南無妙法蓮華経と唱うるならば
悪道免れるべし

■譬えば蓮華は日に随って回る
蓮華に心無し
芭蕉は雷によりて増長す
此の草に耳無し
我等は蓮華と芭蕉との如く
法華経の題目は日輪と雷との如し

犀の角を身に帯びて
水に入りぬれば
水五尺身に近づかず

栴檀(良い香りの木)の一葉
開きぬれば
四十由旬の伊蘭(極めて臭い木)
を変ず

我等が悪業は
伊蘭と水との如く
法華経の題目は
犀の角と栴檀の一葉の如し

仏法研究・法華経題目抄・信をもって入ることを得、信をもって修め尽くす

2021-07-16 08:51:11 | 日記
問う
法華経の意も知らず
只南無妙法蓮華経とばかり
一日に一遍一月乃至一年十年一生の間に只一遍なんど唱えても
軽重の悪に引かれずして
四悪趣(地獄、餓鬼、畜生、修羅)におもむかず
ついに不退の位にいたるべしや

答う
しかるべきなり

問う
火火といえども
手にとらざれば焼けず
水水といえども
口に飲まざれば水の欲しさもやまず
南無妙法蓮華経と
題目ばかりを唱うとも
義趣をさとらずば
悪趣を免れんこと
いかがあるべからん

答う
獅子の筋を琴の糸として
一度奏でれば余の糸ことごとく切れ
梅の酢き声をきけば口に唾たまる
世間の不思議すらかくの如し
いわんや法華経の不思議をや

法華経の題目は
八万聖教の肝心
一切諸仏の眼目なり

汝等此れを唱えて
四悪趣を離るべからずと疑うか
正直捨方便の法華経には
「信をもって入ることを得」と云い
涅槃経には
「是の菩提の因は復無量なり
といえども、もし信心を説けば
即ち已に摂尽す(すでに修め尽くす)」