るるの日記

なんでも書きます

仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄・本尊顕れ妙法蓮華経を地涌千界に付属する(千界地涌の菩薩は三世間無し=霊?)

2021-07-20 15:08:06 | 日記
今本時の娑婆世界は常住の浄土なり
仏すでに過去にも滅せず
未来にも生ぜず
所化をもって同体なり
此れ即ち己心の三千具足
三種の世間なり

此の本門の肝心
南無妙法蓮華経に於いては
仏、文殊・薬王等にも付属し給わず
但、地涌千界を召して付属し給う

其の本尊の為体(ていたらく様子)
本師(釈迦仏)の娑婆の上に
宝塔空に居し
宝塔中の妙法蓮華経の左右に
釈迦仏・多宝仏・四菩薩
文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し
迹化・他方の十方諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く
(公卿や殿上人を見るように)
十方諸仏は大地の上に処し給うは
迹仏迹土を表する故なり

かくの如き本尊は
在世五十余年に之れ無し
八年の間にも但八品に限る
正像二千年の間は未だ
寿量の仏有さず
末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか

仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄・具足=薩=六=沙=妙=釈尊因行果徳=妙法蓮華経=不求自得=我が血肉=己心仏界・法界=一念三千

2021-07-20 14:26:06 | 日記
詮ずる所は
一念三千が仏種でなければ
有情の成仏、木画二像の本尊は
有名無実なり

問う
大難まだ其の会通(十分理解)を聞かず如何

答う
無量義経にいわく
「まだ六波羅蜜を修行する事を得ずといえども、六波羅蜜自然に在前す」

法華経にいわく
「具足の道を聞かんと欲す」

涅槃経にいわく
「薩とは具足に名く」

竜樹菩薩にいわく
「薩とは六なり」

玄義にいわく
「沙とは訳して六と云う
胡法には六をもって具足の義と為す」

吉蔵じょにいわく
「沙とは翻じて具足と為す」

天台大師いわく
「薩とは梵語なり
これは妙と翻ず」

私に会通を加えば本文を汚すが如し
しかりといえども文の心は
釈尊の因行果徳の二法は
妙法蓮華経の五字に具足す
我等此の五字を受持すれば
自然に彼の因果の功徳を与え給う

四大声聞の領解にいわく
「無上宝珠・不求自得」
我等が己心の声聞界なり

「我が如く等くして異なる事無し
我が昔の所願の如き今は已に満足
一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」
妙覚の釈尊は我等が血肉なり
因果の功徳は骨髄に非ずや

宝塔品にいわく
「此の経法を護る事有らん(有るような)者は
我及び多宝を供養するなり
乃至諸々の来給える化仏の諸世界を荘厳し光飾し給う者を供養するなり」
諸仏は我が仏界なり
其の跡を継紹して
その供養を受得す

寿量品いわく
「我実に成仏してより已来
無量無辺百千万億那由陀劫なり」
我等が己心の釈尊は
五百塵点劫乃至所顕の三身にして
無始の古仏である

経にいわく
「我本菩薩の道を行じて
成ぜし所の寿命今なお未だ尽きず
複上の数に倍せり」
我等が己心の菩薩等なり
地涌千界の菩薩は
己心の釈尊の眷属なり

妙楽大師いわく
「まさに知るべし
身土一念の三千なり
故に成道の時、この本理に称えて
一身一念法界に遍し」



仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄・六難の初大難は必ず勝てる

2021-07-20 13:17:52 | 日記
六難九易

但し初の大難を遮せば
無量義教にいわく

「譬えば国王と夫人と
新たに王子を生ずる
もしは一日
もしは二日
もしは七日に至り
もしは一月
もしは二月
もしは七月に至り
もしは一歳
もしは二歳
もしは七歳に至り
また国事を領理すること能わず
といえども
既に臣民に宗敬せられ
諸の大王の子でもって
伴侶と為らん
王と夫人の愛心ひとえに重くして
常に共に語らん
ゆえんは【雅小なる・確かさがない】をもっての故に

■この持経者もまたかくの如し
国王(諸仏)と
夫人(法華経)和合して
菩薩の子を生ず
もし菩薩この経を聞くことを得て
もしは一句
もしは一偈
もしは一転
もしは二転
もしは十
もしは百
もしは万
もしは億万恒河沙、無量無数転ぜばまた真理の極みを体すること能わずといえども
すでに一切の四衆八部に宗仰せられ、諸の大菩薩をもって眷属と為し、常に諸仏に護念せられ慈愛ひとえに覆われん、新学【新学→雅小なる→確かさがない→愚かな子ほどかわいい】なるをもっての故なり」

普賢経にいわく
「此の大乗経は諸仏の宝蔵・眼目なり、乃至三世の諸の如来を出世する種なり、乃至汝大乗を行じて仏種を断ぜられ」

断ぜられ→断じるの打ち消しの命令形→断じるな




仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄・法華経を信じ難く解し難いのは、六難がふりかかるから、難から逃れたいための信仰なのに

2021-07-20 12:23:19 | 日記
■会し難き所は
教主釈尊の大難なり
この事を仏、遮会していわく
【已今当説最為難信難解(いこんとうせつさいいなんしんなんげ)】と
六難九易これなり

伝教大師いわく
「この法華経は最もこれ難信難解なり、随自意の故に」

■仏滅後に至って一千八百余年
三国に経歴して但三人のみ
始めてこの正法を覚知せり
釈尊
智者
伝教
この三人は内典の聖人なり

■〈問う〉
竜樹、天親等は如何

答う
これらの聖人は
知って之を言わざるなり
或いは一分をのべて本門と観心とを云わず
或いは機有って時無きか
或いは機と時と共に無きか

天台、伝教已後は之を知る者多々なり、二聖の智慧を用いる故なり

■反逆
三論・カジョウ
南三北七・百余人
華厳宗・法蔵、清涼等
法相宗・玄奘三蔵、慈恩大師など
真言宗・善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵など
律宗・道宣など
初に反逆を存し、後には一向に帰伏せしなり






仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄・【欲令衆生開仏知見】外の仏の力ではなく、衆生の欲で仏知見を開く

2021-07-20 11:42:53 | 日記
問う

法華経、如何が之を信ぜん

■法華経は難しいが、諸経との相違は経文に分明なり

答う

この難
最も甚だし
最も甚だし
(甚だし・普通の度合いをはるかに越えている)
但し諸経と法華との相違は
経文より事起こって分明なり
未顕と已顕と証明と舌相と
二乗と成不と始成と久成と
等之を顕す

■仏法論破戦争
諸論師の事
天台大師いわく
「天親・竜樹、内監冷然(仏の覚りで冷静)たり
外には時の宣き(宣べる時機)により各権に拠る所あり
しかるに人師偏りに解し
学者いやしくもその解に執し
遂に矢石を興し(論破戦を興し)
各一辺(各人師、学者偏った一)を保ちて大に聖道にそむけり」

天親・竜樹・馬鳴・堅慧等は
内観冷然なり
しかども時至らざるが故に
之をのべざるが
人師に於いては
天台已然は或いは珠(法華)を含み
或いは一向に之を知らず

■天台【欲令衆生開仏知見】という証文を承り論破

天台已後の人師
或いは初に之を破して
後に帰伏する人有り
或いは一向用いざる者も之れ有り
但し【断諸法中悪・諸法中の悪を断ずる】の経文を会す可きなり
彼は法華経に爾前の経文を載するなり
之を見るに
経文分明に十界互具を説く
【欲令衆生開仏知見】

天台、この経文を承けていわく
「もし衆生に仏の知見無んば
何ぞ開を論ずる所あらん
まさに知るべし
仏の知見、衆生に蘊在することを」