■経文に説かれている文で
時機を判断する
問う
いかなる時に小乗・権経を説き
いかなる時に法華経を説くべきや
答う
十信の菩薩より
等覚の大士に至るまで
時と機とをば相知り難き事なり
何にいわんや(まして)我等は凡夫なり、いかでか時機を知るべき
問う
少しも知る事あるべかざるか
答う
仏眼をつかって時機を考えよ
仏日を用いて国土を照らせ
問う
その心如何
答う
大集経に
大覚世尊は月蔵菩薩に対して
未来の時を定め給えり
いわゆる我が滅度の後の
五百歳の中には解脱堅固
次の五百年には禅定堅固
次の五百年には読誦・多聞堅固
次の五百年には多造搭・寺堅固
次の五百年には我法の中に於いて
闘諍言訴して白法隠没せん
■法然、経文に説かれている文によって念仏の時と判断
此の五の五百歳・二千五百余年に
人人の料簡(考え)さまざまなり
漢土の道綽禅師がいわく
「正・像二千、四箇の五百歳には
小乗と大乗との白法盛んなるべし
末法に入っては白法皆消滅して
浄土の法門・念仏の白法を修行せん人ばかり生死を離るべし」
日本国の法然が料簡していわく
「今日本国に流布する
法華経、華厳経、大日経、小乗経
天台、真言、律等の諸宗は
大集経の記文の
正・像二千年の白法なり
末法に入っては
かの白法は皆滅尽すべし
たとえ行ずる人有りとも
一人も生死を離るべからず
十住毘婆沙論と
曇鸞法師の難行道
道綽の未有一人得者
善導の千中無一
これなり
白法隠没の次には浄土三部経
弥陀称名の一行ばかり
大白法として出現すべし
此を行ぜん人人は
いかなる悪人・愚人なりとも
十即十生
百即百生
唯浄土の一門のみ有って
路に通入すべしとは是なり
されば後世を願はん人人は
叡山、東寺、園城、七大寺等の
諸寺、諸山の御帰依を止めて
かの寺山に寄せける高畠郡郷を奪いとって念仏堂につけば決定往生
南無阿弥陀仏とすすめければ
我が朝一同その義になりて
今に五十余年なり」
■日蓮は妙法蓮華経の時と判断
日蓮これ等の悪義を
難じゃぶる事は
ことふり候いぬ
かの大集経の白法隠没の時は
第五の五百歳当世なる事は疑いなし
但し、かの白法隠没の次には
法華経の肝心たる
妙法蓮華経の大白法
一閻浮提の内、八万の国あり
其の国国に八万の王あり
王王ごとに臣下並びに万民までも
今、日本国に弥陀称名を衆の口口に唱うるが如く、広宣流布させ給うべきなり