るるの日記

なんでも書きます

オリンピック開会式直前まで一生懸命やるだけやったら「後は野となれ山となれ」

2021-07-22 17:21:40 | 日記
明日はオリンピック開会式
もうこうなったら関係者のみなさんは「うまくやろう」という煩悩は捨て
「やるだけやった後は野となれ山となれ」という捨て身な気持ちで
淡々と働いてほしい

オリンピック中、オリンピック後も叩く人はいるもんだと、開きなおって己の本心に従って欲しい

仏法研究・撰時抄・仏はまだまだ住劫の増減を生きている

2021-07-22 15:51:27 | 日記
問う
経文は分明に候
天台、妙楽、伝教の未来記に言ありや

答う
汝が不審逆しまなり
経文に分明ならば釈を尋ねべからず
釈の文が経に相違せば
経を捨てて釈につくべきか如何

彼いわく
道理至極せり
しかれども
凡夫の習い経は遠し
近き釈、分明ならば
今少し信心を増すべし

今いわく
汝が不審ねんごろなれば
(不審と仲良しならば)
少々釈をい出すべし

★天台大師いわく
後の五百歳遠く砂道に潤う

★妙楽大師いわく
末法の初め冥利無きにあらず

★伝教大師いわく
正・像やや過ぎおわって
末法甚だ近きに有り
法華一乗の機
今正しく是れ其の時なり
何をもって知ることを得る
安楽行品にいわく
末世法滅の時なり

★またいわく
代を語れば
則ち像の終わり末の初め
地を尋ぬれば
唐の東羯の西
人を尋ねれば
五濁の生・闘諍の時なり

★経にいわく
猶多怨嫉況滅度後と
此の言まことに所以あるなり

■釈尊の出生は
住劫第九の減
人寿百歳の時なり(住劫寿命)
百歳と十歳の中間(住劫年齢)
在世五十年(娑婆にいた住劫年)
滅後二千年と一万年(住劫寿命で滅したのは2回、その滅後二千年と一万年に娑婆で出生


【住劫第九の減
住劫は20段階ある

初め人の寿命は無量歳
100年に1歳減じ
無量歳から10歳になるまでを
第一減劫
10歳から100年に1歳増す
8万歳で再び100年に1歳減じ
10歳になるまでを
第二減劫

増減を繰り返し
二十劫は10歳から無量歳に至る
増のみ】



■其の中間に法華経の流布の時
二度あるべし
在世の八年
滅後には末法の五百年なり
しかるに天台・妙楽・伝教は
進んでは在世法華経の時にも漏れさせ給いぬ
退いては滅後末法の時にも
生まれさせ給わず
中間である事を嘆かせ給いて
末法の始をこいさせ給う御筆なり

■例せば阿私陀仙人が
悉田太子の生まれさせ給いしを見て
悲しんでいわく
「現世には九十に余れり
太子の成道を見るべからず
後生には無色界に生まれて
五十年の説法の坐にも列なるべからず、正像末にも生まれるべからず」

と嘆きしが如し

道心ある人人
此を見聞きして
喜びたまえ
正像二千年の大王よりも
後世を思う人人は
末法の今の民である
此を信じれば
南無妙法蓮華経と唱える来人(任につくための人)となるべし






仏法研究・撰時抄・神仏より科学の現在→悪鬼入った人増加→諌めによる自然災害・疫病→諌め用いずば世界大戦→我が身のため正しい信仰心持つ

2021-07-22 13:53:25 | 日記
♦️大集経の白法隠没の時は
第五の五百歳(末法)
当世なる事疑いなし
この白法の次は法華経の肝心
南無妙法蓮華経の時

問う
其の証文如何

答う

■法華経第七にいわく
「我が滅後の五百歳の中に広宣流布して、閻浮提にて断絶せしむること無けん」

経文は白法隠没の次の時を
説かせ給うに、広宣流布と

■法華経第六にいわく
「悪世末法の時
よく是の経を持つ者」

■法華経第五にいわく
「後の末世の
法滅せんとする時」

■法華経第四にいわく
「此の経は如来現在にすら猶怨嫉多し、いわんや滅度の後をや」

■法華経第五にいわく
「一切世間怨多くして信じ難し」

■法華経第七にいわく
「五百歳闘諍堅固の時
悪魔、摩民、諸の天竜、夜叉等
その便を得ん」

■大集経いわく
「我が法の中に於いて
闘諍言訟せん」

■法華経第五にいわく
「悪世の中の比丘」
「悪鬼其の身に入る」

♦️文の心は
★第五の五百歳の時
悪鬼を身に入れる大僧国中に充満し
其の時に智人一人出現す

★かの悪鬼入る大僧等
時の王臣、万民等に語らいて
(智人の)
悪口罵詈
杖木瓦礫
流罪死罪
を行う時
(智人は)
釈迦仏、多宝仏、十方諸仏、
地涌大菩薩らに仰せつけ
大菩薩は梵天、日月、四天等に
申しくだされ
その時、天変地異盛なるべし

★国主等そのいさめ(天変地異)を用いずば、地涌大菩薩は隣国に仰せつけて
国国の悪王・悪比丘等を攻めらるる
前代未聞の大闘諍一閻浮提に起こる

其の時天下の一切衆生
国を惜しみ、身を惜しむ故に
一切の仏菩薩に祈るとも験なくば
あの憎みつる一人の智者を信じて
無量の大僧等
八万の大王等
一切の万民
皆、頭を地につけ掌を合わせて
一同に南無妙法蓮華経と唱うべし







仏法研究・撰時抄・経文に説かれている文から時機を判断するが、日蓮は南無妙法蓮華経、法然は南無阿弥陀仏と分かれる

2021-07-22 12:40:16 | 日記
■経文に説かれている文で
時機を判断する

問う
いかなる時に小乗・権経を説き
いかなる時に法華経を説くべきや

答う
十信の菩薩より
等覚の大士に至るまで
時と機とをば相知り難き事なり
何にいわんや(まして)我等は凡夫なり、いかでか時機を知るべき

問う
少しも知る事あるべかざるか

答う
仏眼をつかって時機を考えよ
仏日を用いて国土を照らせ

問う
その心如何

答う
大集経に
大覚世尊は月蔵菩薩に対して
未来の時を定め給えり
いわゆる我が滅度の後の
五百歳の中には解脱堅固
次の五百年には禅定堅固
次の五百年には読誦・多聞堅固
次の五百年には多造搭・寺堅固
次の五百年には我法の中に於いて
闘諍言訴して白法隠没せん

■法然、経文に説かれている文によって念仏の時と判断

此の五の五百歳・二千五百余年に
人人の料簡(考え)さまざまなり
漢土の道綽禅師がいわく
「正・像二千、四箇の五百歳には
小乗と大乗との白法盛んなるべし
末法に入っては白法皆消滅して
浄土の法門・念仏の白法を修行せん人ばかり生死を離るべし」

日本国の法然が料簡していわく
「今日本国に流布する
法華経、華厳経、大日経、小乗経
天台、真言、律等の諸宗は
大集経の記文の
正・像二千年の白法なり
末法に入っては
かの白法は皆滅尽すべし

たとえ行ずる人有りとも
一人も生死を離るべからず
十住毘婆沙論と
曇鸞法師の難行道
道綽の未有一人得者
善導の千中無一
これなり

白法隠没の次には浄土三部経
弥陀称名の一行ばかり
大白法として出現すべし
此を行ぜん人人は
いかなる悪人・愚人なりとも
十即十生
百即百生
唯浄土の一門のみ有って
路に通入すべしとは是なり

されば後世を願はん人人は
叡山、東寺、園城、七大寺等の
諸寺、諸山の御帰依を止めて
かの寺山に寄せける高畠郡郷を奪いとって念仏堂につけば決定往生
南無阿弥陀仏とすすめければ
我が朝一同その義になりて
今に五十余年なり」

■日蓮は妙法蓮華経の時と判断

日蓮これ等の悪義を
難じゃぶる事は
ことふり候いぬ

かの大集経の白法隠没の時は
第五の五百歳当世なる事は疑いなし
但し、かの白法隠没の次には
法華経の肝心たる
妙法蓮華経の大白法
一閻浮提の内、八万の国あり
其の国国に八万の王あり
王王ごとに臣下並びに万民までも
今、日本国に弥陀称名を衆の口口に唱うるが如く、広宣流布させ給うべきなり




仏法研究・撰時抄・【時至る】時の判断とはいったい何なのか?

2021-07-22 10:34:23 | 日記

法華経文では
みだりに人に法を説くなと書いてあるので、まだ機のない愚人に法を説いた事によって、愚人が法を誹謗し悪道に堕ちたならば、法を説いた人の責任になるんじゃないか?

同じ法華経では
愚人に法を説いたら、愚人は怒り、暴力をふるうと経文にあるが
これも説いた人の責任じゃないか?
それに法華経の「みだりに説くな」と不軽品、勧持品の愚人に法を説いたことによる結果の文の両説は反対ではないか?

これはいかが心得るべきですか?


★問う
云う機にあらざるに
大法を授けられば
愚人は定めて誹謗をなして
悪道に堕ちるなら
説く者の罪に非ずや

★答う
人、路を作る
路に迷う者あり
作る者の罪となるべしや

良医、薬を病人にあたう
病人嫌いで服せずして死ねば
良医の罪となるか

★問う
法華経第二にいわく
「無智の人の中に此の経を
説くことなかれ」

法華経第四にいわく
「分布してみだりに
人に授与すべからず」

法華経第五にいわく
「法華経は諸仏の秘密の蔵なり
諸経においても最も其の上に在り
長夜に守護してみだりに宣説せざれ」

これ等の経文は機にあらずば
説かざれというか
今、反詰(詰問)していわく

不軽品にいわく
「衆の中に怒りを生じ心不浄なる者あり、悪口罵りし杖・木・瓦・石をもって打つ」

勧持品にいわく
「諸の無智の人の悪口罵詈等なし、及び刀杖を加うる者有るらん」

これ等経文は
悪口、罵詈、打つ等すれども
と説かれて候は
説く人の失(とが)となりけるか

求めていわく
此の両説は水火なり
いかんが心うべき

♦️答う
天台いわく
「時に適うのみ」

章安いわく
「取捨宣(べる)機を得て
一向にすべからず」

釈の心

ある時は謗ずにはしばらく説かず
ある時は謗ずとも強いて説くべし
ある時は一機は信ずべくとも
万機を謗べくば説くべからず
ある時は万機一同に謗ずとも
強いて説くべし

機にはよらず
時に至らざれば
いかにも説かせ給わぬにや
(機によらず
時に至らなければ
説くことはしなかっただろう)