るるの日記

なんでも書きます

仏法研究・当体義抄・過去の善悪業の報いを受ける環境と衆生(因)過去の妙業を受ける環境と衆生(果)は因果同時に咲く蓮華

2021-07-15 17:46:42 | 日記
問う
当流の法門の意は
諸宗の人来て
当体蓮華の証文を問われた時は
法華経何れの文を出す可きや

答う
二十八品の始に
妙法蓮華経と題す
此の文を出す可きなり

問う
何をもって品品の題目は
当体蓮華(本性の蓮華)なり
知ることを得るや
天台大師今経の主題を釈する時
蓮華とは譬喩を挙げると云って
譬喩蓮華と釈し給えるものをや

答う
題目の蓮華は当体・譬喩を合説す
天台の釈は譬喩の辺を釈するなり
玄文第一の本迹の六譬は此の意なり
同じく第七は当体の辺を釈するなり
故に天台は題目の蓮華をもって
当体・譬喩の両説を釈する故
失(とが)無し
【天台の釈は譬喩蓮華と、当体蓮華を別々に釈しているから失なし】


問う
何をもって題目の蓮華は
当体・譬喩合説すと云う事を
知ることを得んや


答う
■法華論にいわく
「妙法蓮華とは二種の義有り

一には出水(しゅっすい)の義
泥水を出
声聞、如来、大衆の中に入って
諸の菩薩の如く蓮華の上に坐して
如来無上智慧、清浄の境界を聞いて
如来の密蔵を証する
を喩うるが故に
【法華前の諸の菩薩、処処得入】

二に華開(けかい)
諸の衆生、大乗の中に於いて
其の心耗弱にして
信を生ずることあたわず
故に如来の浄妙法身(清らかで不思議な真理の本性)を開示(華開)して信心を生ぜしめるが故なり」
【法華経に来て仏の蓮華を得る】

諸の菩薩は
法華前の諸菩薩
法華経に来て仏の蓮華を得ると云う
これを知らぬ菩薩の「処処得入」とは方便なり【次第行】

■天台此の論の文を釈していわく

「今、論の意を解せば

衆生をして
浄妙法身(清らかで不思議な真理)を見せむならば
妙因(究極の覚りの源になる実践)の開発するをもって
蓮華とするなり

如来、大衆に入るに
蓮華の上に坐すとは
妙報(過去の妙の業の報い)の
国土をもって蓮華と為るなり
【如来はこの世で、過去の妙業の報いの為、蓮華と為る
または、如来はこの世という、過去の妙業の国土で蓮華となる】

■天台が当体譬喩合説する様を
委細に釈し給う時
大集経の
「我今仏の蓮華を敬礼す」と云う文と、法華論の今の文を引証して
釈していわく

行法(仏道修行)の
因果を蓮華と為す
菩薩上に処すれば
即ち是れ〈因の華〉なり
仏の蓮華を礼すれば
即ち是れ〈果の華〉なり」

【菩薩の仏道修行は仏となる因だが、仏道修行のなかでも菩薩が仏の蓮華を礼すれば即仏と為る
因果倶時】

依報(過去の業の報いを受ける)
の国土を蓮華と為す(この世)

菩薩、蓮華の行【妙】を修するによって、報【法】(蓮華修行の業によって)・蓮華の国土を得【蓮華】

まさに知るべし
依正因果(過去の業の報いとして受ける環境と身体の因果〈この世の私の因果〉)ことごとく是れ蓮華の法なり

鈍人に法性の蓮華を解せざる為の故に、世の華を挙げて譬と為す

■伝教大師釈していわく
「一心の妙法蓮華経は
因華
果台
倶時に増長す

此の義、解し難し
喩を仮れば解し易し
此の理教を詮ずるを名けて
妙法蓮華経と為す」

■此等の論文釈義分明なり
此等の文に在って見る可し
当体譬喩、包蔵(内部に持つ)故に
合説の義、極成(完全に成就)せり
法華経の意は
譬喩即法体(全ての現象の実体)
法体即譬喩なり
故に伝教大師釈していわく

「今経は譬喩多しといえども
大喩は是れ七喩なり
是の七喩は即ち法体
法体は即ち譬喩なり
故に譬喩の外に法体無く
法体の外に譬喩なし

但し法体とは
法性(仏性)の理体(実体)なり
譬喩とは即ち妙法の
事相(ありさま)の体なり
事相(事のありさま)即理体(仏性の実体)なり
理体即事体なり
故に法譬一体と云うなり
是をもって論文山家の釈に
皆、蓮華を釈するは法譬並べ挙ぐ」

釈の意、分明なる故重ねて云わず











仏法研究・当体義抄・真の如来の使いの衆生は妙法蓮華経でなく、妙法蓮華経本性を付属されている

2021-07-15 14:58:35 | 日記
問う
文証、現証、殊勝なるが
何ぞ【神力】の一文に執するや

答う
此の一文は深意有る
故に殊更によきなり

問う
其の深意如何

答う
此の文は
釈尊、本眷属・地涌の菩薩に
結要の五字の当体を付属すと
説きたまえる文なる故なり

【神力とは妙法蓮華経の本性を付属すること】

久遠実成の釈迦如来は
我が昔の所願の如き
今は已に満足す
一切衆生を化して
皆仏道に入らせむとの願已に満足す

如来の滅後後五百歳中
新たな願い、広宣流布(法華経を弘める)の付属を説く為地涌の菩薩を召し出し

本門の当体蓮華を
要(妙法蓮華経の本性)をもって
付属し給える文なれば

釈迦出世の本懐
道場所得の秘法
末法の我等が現当二世を成就する
当体蓮華の誠証は此の文なり

故に末法今時に於いて
如来の御使よりほかに
当体蓮華の証文を知って出す人
すべて有る可からざるなり

真実もって秘文なり
真実もって大事なり
真実もって尊きなり
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経





仏法研究・当体義抄・自らの仏性を知見すれば、あらゆる存在はそのままで円満真実である

2021-07-15 14:16:28 | 日記
問う
正しく当体蓮華を説く文は何れぞや

答う
方便品の諸法実相の文なり

♦️【諸法実相・存在は真実の姿】
諸法→あらゆる存在
実相→真実の姿
方便品にて
あらゆる存在は
仏が観て知ることによって
(衆生自らの仏性、妙法を知る)
絶対平等であるという真実の姿が
照らし出される


問う
何をもって此の文が当体蓮華なり
と云う事を知ることを得るや

答う
★伝教大師いわく
「問う・法華経は何をもって
体と為すや
答う・諸法実相をもって体と為す」

此の釈にて分明なり

★又現証(諸法実相の証拠)は
※宝塔品の三身これ現証なり
※或は涌出の菩薩これ現証なり
※竜女の即身成仏これ現証なり


■地涌の菩薩を証拠と為す事は
経文に蓮華在水と云う故なり

♦️【蓮華(地涌菩薩=衆生の仏性)は、水中(土=一心)に在る

妙法=蓮華=地涌菩薩=衆生の仏性=一心】

■竜女を証拠と為す事は
霊鷲山に詣で
千の葉を持つ大蓮華の
大車輪の如くなるに坐し
説き給う故なり

♦️海中の竜女→迷中の女人
霊鷲山詣で→地涌
千の葉持つ大蓮華→仏性
大車輪→己の仏性を知見し即身成仏
坐し→即身成仏に坐す






仏法研究・当体義抄・覚りを開いていく立場と開かれる立場の覚りは一つ

2021-07-15 12:49:43 | 日記
問う
劫初より何人か当体蓮華を
証得せしや

答う
釈尊、五百塵点劫の当初
此の妙法の当体蓮華を証得して
世世番番(本仏が幾度も繰り返し出世)に成道を唱え
能証所証(悟りを開いていく立場・開かれる悟り)の本理を顕し給えり

釈尊インドに出世して
此の蓮華を顕わさんと欲すに
機無く時無し
故に一法の蓮華に於いて
三の草華を分別し
三乗の権法を施し
誘引せしこと四十余年なり
此の間は衆生の根性万差なれば
種種の草華を施し設けて
ついに妙法蓮華経を施し給う

故に無量義教にいわく
「我先に道場菩提樹下乃至四十余年
未だ真実を顕さず」文

法華経に至って
方便の権教・小乗種種の草華を捨て
唯一の妙法蓮華経を説き
三の華草を開して
一の妙法蓮華を顕す時
権人に初住の蓮華を授けしより
始めて開近顕遠の蓮華に至って
妙覚の極果の蓮華を得るなり


仏法研究・当体義抄・一花と一法が蓮華と称する因果倶時

2021-07-15 12:14:54 | 日記
問う
天台大師、妙法蓮華の
当体・譬喩の二義を釈し給えり
当体・譬喩の蓮華の様は如何

答う
当体蓮華の釈は

★玄義七にいわく

「蓮華は譬えに非ず
当体に名を得・類す
劫初に万物名無し
聖人、理を観じて
準則して名を作るが如し」

★またいわく
「蓮華の名称は是れ
喩えを仮るに非ず
即ち是れ法華の法門なり

法華の法門は清浄にして
因果微妙なれば
此の法門を名けて蓮華と為す
即ち法華三昧の当体の名にして
譬喩に非ざるなり」

★又いわく
「問う
蓮華
定めて是れ法華三昧の蓮華なりや
定めて是れ華草の蓮華なりや

答う
定めて是れ法蓮華なり
法華経、解し難し
故に草花を喩えとす

利根は名に即して
理を解し譬喩を仮らず
但、法華の解を作す

中下根は未だ悟らず
譬をもちいて知る
易解の蓮華をもって
難解の蓮華に喩う

上根に約すれば
是れ法の名
中下に約すれば
是れ譬の名なり

三根合論し
ならべて法・譬を票する
かくのごとく解する者は
誰かと争うこと為さんや」

■この釈の意は
理に至るまでは名無し
聖人理を観じて万物に名をつける時
因果倶時・不思議の一法有り
之を名けて妙法蓮華と為す

此の妙法蓮華の一法に
十界三千の諸法を具足して欠減なし
之を修行する者は仏因仏果
同時に之を得るなり

此の法を師と為して
修行覚道し給えば
妙因・妙果・倶時に感得し給う
故に妙覚果満の如来と成り給うなり

故に伝教大師いわく
一心の妙法蓮華とは
因華・果台・倶時に増長す
三に各各当体譬喩有り

総じて一経に皆、当体譬喩有り
別して七譬・三平等・十無上の
法門有りて皆当体蓮華有るなり
此の理を詮ずる教を名けて
妙法蓮華経と為す