るるの日記

なんでも書きます

地方史研究【森林・屋敷地、耕地から離れて】普段は隠されている山の権利

2021-07-02 17:17:14 | 日記
■山稼ぎする人々
★猟師
山がどれほど広くとも、獣の通る道筋は限られており、その道筋の中で猟師が罠をしかけるポイントはさらに絞られてくる
★炭焼き
炭焼きが山を買うときは、山を丸ごと購入するわけではない。立木を買うにすぎない。立木の樹齢、樹種、搬出の手間などが炭の価格を決定していく

山稼ぎをする人々の行動線や価値観に即して山を見ていくことを学ぼう。山と、どのように関わるかによって山の見え方がまったく違ってくる

■佐渡の外海府の村の山には三種類の境が引かれていた

★一つは各農家の所有山。その山境は代々家ごとに伝承されていた。

★一つは夏場は山中に牛を放牧する。耕地を牛から守るため、山腹に個々の所有を無視して柵を走らせ、そこから上手を放牧地とした。これは季節的なものだ

★一つはやがて世代が新しくなり、若い世代は放牧の柵から上を村の共有地として役場に登記した

形の上では【三種の境感覚】が成立した

■日常では【境】は明確に見てとれないが、ある状況、条件のもとに一斉に姿をあらわしてくる。山の権利はそうした一面を持っている。山間には次元の違う境や領域がいくつも存在している。時や状況に応じてしかそれらは現れてこないが、それだけにその規制力は強く、根の深い慣習として継承されてきた。それが人の行動に即して山を見ていかねばならない理由となる。なお、こうした分野については田口洋美のマタギについての著作を推薦しておきたい


地方史研究【森林・屋敷地、耕地から離れて】樹木に積極的な関心を持ってね・萌芽枝

2021-07-02 16:13:48 | 日記
まず、樹木そのものに積極的な関心を持ってほしい。

★人が雑木林の木を根元から切り、そのままにしておくと、切株から複数の芽が出る(萌芽枝)。切株を巻き込むように伸びていき、実生(みしょう・地中から実が芽を出し、一本木として伸びていく)と違い、根元から幹が別れた形状の樹木となる

山中を歩いてこうした木が3分の2ほども占める雑木林に行きあえば、集落は近いという目安になる




こうしたことは、それだけでは雑学の域を出ないのだが、推論を支えてくれる柱になり得る
山道を歩けば、眼前の景観は様々なことを語ってくれている



地方史研究【森林・屋敷地、耕地の隣接森林】田があるという緊張感が失われると森林は乱れる

2021-07-02 15:52:17 | 日記
森林を
屋敷地・耕地に【隣接】
しているもの

屋敷地・耕地と【距離を持つもの】に分けて扱う

この分類は人の関わりかたの差に基づく

♦️屋敷地・耕地の隣接森林

★山村景観
山の斜面は頂上から杉の植林
中腹は採草地
その下は田付きの山(その田に入れる肥料の草を採るため、田に付属し、田の売買のおりにはその田も含まれ移動する山)

★昭和40年代末に【休耕田政策(田の面積削減)】が実施され、最初に山奥の水田に杉の苗木が植えられ、田から林に変えられていった

人々が拓き得るだけの耕地を拓こうとした時代、まず耕地に隣接する山林の緩傾斜部分に手をつけた。こうした隣接林の開墾は、農家一戸単位の労力で可能なだけに、そこには集落の社会関係が反映し積み重ねられていった

■腰林
※瀬戸内海西部には、藩政時代に【腰林】と称される山林があった。田付きの山である

■腰林の増加と地域社会の変化
18世紀初頭、広島県安芸郡倉橋町では、16箇所の【腰林】があった。これが18世紀末には700を越える。これは、その他の山林、野原などに食い込む形で腰林が成立し承認されたからだ
その背景には、町の人々が土地を拓くだけ拓き、それを為政者が認めた動きがよめる

この増加した人々は必ずしも農耕を稼ぎとするのではなく、日雇いや職人が増加し、また職業や生き方が複雑化していったこの町の動きと重ねあわせていけば、この腰林の増加は地域社会の変化にそのまま結び付く

■そこに田があるという緊張感がなくなると、山林は変化する

すべての田が田付きの山を持っているわけではなく、田と田に隣接する山の所有者が違う場合もあるが、田の持ち主は、接する山の木を田から五間までは切ってもよいという不文律を持っている

田の側に木々の茂る山があると田に蔭をつくり、また露を落とすからである
そこに田があるという緊張感である。それは隣接する地にも及んでいる
農耕における人為とは、そうした性格や構造を持っている。その人為が薄くなった時、隣接する林はクズのつるで覆われるのだ。これは山と耕地間の体系が断ち切れていってることを意味する

♦️細やかな変化を激しく受けてきた土地だけに、こうした隣接林を歩く時は、今見えている姿の一つ前の姿はどうだったのか探るつもりで見てみよう。杉林の中にかつて耕地だったことを示す石積みがあることも珍しくない。朽ちた屋敷跡を見かけることもある
一見落ちついた景観を保ってきたように見える村が、その見かけより、はるかに激しく動き、様々な試行錯誤、挫折、繁栄を繰り返してきたかもしれない


地方史研究【水利】用排水路、堰・神田上水、安積疏水、愛知用水

2021-07-02 14:37:40 | 日記
日本の農業の基幹は水田である。水田へ水を供給する農業用水路を開き、新田開発を基盤として農業を発展させてきた

■用排水路の歴史的調査をする場合

★地図で現況把握
★古地図、文献などを利用して、必要とする時代の用排水路の状態を推定
★次いでその変遷を見る

■用水路の水源は河川・湖沼・泉等である
★河川の場合
堰を作って用排水路を分流しているので、地図上でまず河川の堰をさがす。堰から堤内地へ水路が出ているが、河川と異なって直線状になっている(木曽川の派川である一ノ枝川、ニノ枝川、三のノ枝川、黒田川は用水路に使っているが、このような場合は自然河川の形)

★湖沼・泉
台地上の用水の水源

※神田上水
水源は井の頭公園の湧水に基づく池である。途中武蔵野礫層からの湧水が加わる

※現在の神田川上流の神田上水、仙川上水に当たるものは、幅200~400メートルの谷底平野を西から東へ流れる

※安積疏水
郡山盆地西部の台地の水源は猪苗代湖。猪苗代湖から阿賀野川を経て日本海へ注いでいた水を、130キロのトンネルと開水路で東へ引いた

※愛知用水
木曽川上流の牧尾ダムは、小牧台、知多半島の古田へ水を補給してる

■用排路と地形
用水路と排水路が分けられているのが、理想的な姿である

★用水路
河川等の堰、樋管から取水
平野の高い所(自然堤防)の上に引かれる

★排水路
旧河道、自然堤防と自然堤防の間の後背湿地に引かれる

地方史研究【水利】河川の研究方法・地図、歩く、迅速図を手に入れる、河川工事事務所を訪ねる

2021-07-02 13:53:41 | 日記
河川は人類に不可欠の水の最大の供給者であり、一方洪水を起こし、人々に被害も与えてきている
人間の歴史は河川と共にある

■河川の現状把握
★水系図で河川の特色を知る
まず地図に基づいて河川の現状を見てみる。水系図で【河川の特色】を知ることができる。地図は所々水深が書いてあるものもあり、水運との関係を推定するのに役立つ

★堤防の位置で治水関係を知る
次に地図で堤防を見ると治水の関係を知ることができる。河川に沿ってずっと連続してできているのが連続堤。集落を取り囲むのが輪中堤、所々切れているのが霞堤である

★地図の作業を終えたら河川の堤を歩いて実際に河川を見てみる

■河川の過去を把握する
明治22年頃に陸地測量部により、二万分の一の迅速図が完成している。河川の変遷は意外に著しく、江戸時代あるいは中世の河川状況を推定するには少しでも古く正確な図がよく、この迅速図を利用するのが最もよい。この図を手に入れるには、東京大手町の国土地理院出張所へ行くとネガが保存してあり、注文すると焼いてくれる(500円)

■河川の変遷を見る
迅速図と新しい地図を比較すると、変化は一目瞭然となる

河川は古代から近世まで水運の役割を果たしていた。その後陸上交通の発達により、水上交通は劣ろえ、河川は治水工事中心となる

第二次大戦以後になると、河川水の都市用水としての需要が高まり、今まで洪水を早く海へ出してしまう方針とは逆に、水を長く貯留しておくための工事が始まった
荒川の河川敷での遊水池
長良川の河口堰

★重要な河川で、国が管理している一級河川では、各河川に工事事務所があり、膨大な調査資料を持ち、あるいはそれぞれの河川の五十年史、百年史などが出版されている場合も多いので、工事事務所を訪ねてみるとよい