るるの日記

なんでも書きます

仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄・逆縁の大功徳・法華経の真実を説かば、我が弟子謗法を為すと、黙止する日蓮大聖人

2021-07-21 16:34:46 | 日記

♦️問う
疑っていわく
正像二千年の間に
地涌千界、一閻浮提に出現して
此の経を流通するや

♦️答う
しからず

♦️問う
驚いていわく
法華経並びに本門は
仏の滅後をもって本と為して
まず地涌に之を授与す
何ぞ正像に出現して此の経を弘通せざるや

答う
のべず

問う
重ねて問う如何

答う
之をのべず

問う
また重ねて問う如何

答う
♦️これをのぶれば
一世間の諸人威音王仏の末法の如く
又我が弟子の中にもほぼ之を説かば
皆【謗法を為す可し】黙止せんのみ

求む
説かずんば汝、慳貪(無慈悲)に堕せん

答う
進退これきわまれり
試みにほぼ之を説かん

法師品にいわく
「いわんや滅度の後をや」

寿量品にいわく
「今留めてここに在(お)く」

分別功徳品にいわく
「悪世末法の時」

薬王品にいわく
「後の五百歳、閻浮提に於いて広宣流布せん」

♦️涅槃経にいわく
「譬えば七子あり
父母平等ならざるに非ざれども
しかれども病者に於て
心ひとえに重きが如し」

已前の明鏡をもって
仏意を推知するに
仏の出生は霊山八年の諸人の為に非ず、正像末の人の為なり

又、正像二千年の人の為に非ず
末法の始、予が如き者の為なり

♦️しかれども病者に於いてと云うは
【滅後法華経誹謗の者】を指すなり

「今留在此」とは
(こんるざいし)
「於此好色香薬而謂不美」の者を指すなり
(おしこうしきこうやくにいふみ)

この良薬を飲まない者の為に
今ここに留める

地涌千界、正像に出ざることは
正法一千年の間は小乗・権大乗なり
機・時共に之れ無く
四依の大士、小乗・権大乗をもって縁と為して、在世の下種を脱せしむ
謗法多くして熟益を破る可き故に
之を説かず
例せば
在世の前四味の機根の如し

像法の中末に
観音・薬王・南岳・天台等
示現し出現して
迹門をもって面と為し
本門をもって裏と為して
百界千如・一念三千その義を尽せり
但理具を論じて
事行の南無妙法蓮華経の五字
並びに本門の本尊
未だ広く之を行ぜず
所詮円機有って
円時無き故なり

今末法の初
小乗をもって大乗を打ち
権をもって実を破し
東西ともに之を失し
天地顚倒せり
迹化の四依は隠れて現前せず
諸天その国を捨て之を守護せず
此の時地涌の菩薩始めて世に出現し
但、妙法蓮華経の五字をもって
幼稚に服せしむ
【因謗堕悪必因得益】とは是なり
♦️謗法の因によって悪道に堕す者は
正法に縁を結んだという因によって
必ず後に大利益を得る
逆縁の功徳

■我が弟子これをおもえ
地涌千界は教主釈尊の
初発心の弟子なり
寂滅道場に来らず
教主釈尊最後にも訪れず
不孝の失之れ有り

迹門の十四品にも来らず
本門の六品には座を立つ
八品の間に来還せり

■かくの如き高貴の大菩薩
三仏に約束して之を受持す
末法の初に出で給わざる可きか
まさに知るべし此の四菩薩
折伏を現ずる時は賢王と成って
愚王を誡責し
摂受を行ずる時は
僧となって正法を弘持す


仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄・仏、妙法蓮華経の神力を顕示し、四大菩薩に授与する

2021-07-21 14:49:46 | 日記
♦️神力品

■地涌菩薩仏滅後広く此の経を説く誓いをする

神力品いわく
「その時に千世界
微塵の菩薩地より涌出せる者
皆仏前に於いて
一心に合掌し尊顔を仰して
仏にもうしてもうさく

世尊、我等仏の滅後
世尊分身の所在の国土・滅度の処に於てまさに広く此の経を説くべし」

■久成法は久成人に付属す

道せんいわく
「付属とは
此の経をば
下方涌出の菩薩に付す
しかる法是れ久成の法なるが故に
久成の人に付す」

■釈迦仏の弟子でではない菩薩(久成の人ではない)
文珠菩薩→東方不動仏の弟子
観音菩薩→西方無量寿仏の弟子
薬王菩薩→日月浄明徳仏の弟子
普賢菩薩→宝威仏の弟子

一応釈尊の行化をたすけるために
娑婆世界に来入す
爾前・迹門の菩薩なり
本法所持の人に非ざれば
末法の弘法に足らざる者か

■釈迦仏の大神力
★「その時に世尊
一切の衆の前に大神力を現じ給う
広長舌を出して
上梵世に至らしめ
十方世界諸の宝樹の下
師子の座の上の諸仏も
またかくの如く広長舌を出し給う

★「かくの如く十神力を現じて
地涌の菩薩に妙法の五字を属類していわく
「その時に仏、上行等の
菩薩大衆に告げ給わく
諸仏の神力はかくの如く
無量無辺不可思議なり
我この神力をもって
無量無辺百千万億阿僧祇劫に於て
属類の為の故に此の経の説くとも
なお尽くすことあたわじ
要をもって之を言わば
如来の一切の所有の法
如来の一切の自在の神力
如来の一切の秘要の蔵
如来の一切の甚深の事
皆此の経に於て宣示顕説す」

■此の経とは妙法蓮華経
此の十神力は
妙法蓮華経の五字をもって
上行・安立行・浄行・無辺等の
四大菩薩に授与し給うなり

前の五神力は在世の為
後の五神力は滅後の為なり
しかりといえども
再住之を論ずれば
一向に滅後の為なり

故に次下な文にいわく
「仏滅度の後に
此の経を持たんをもっての故に
諸仏皆歓喜して無量の神力を
現じ給う」

仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄・本心失った人、本心失わない人も皆病気→本心を失わない人は妙法蓮華経という薬が好きと見て飲み病は癒える→本心失い毒が深く回った人は良薬飲まない

2021-07-21 13:17:05 | 日記
■疑いを除きたまえ

弥勒菩薩疑請していわく
経にいわく

★「我等は
仏の随宣所説
(相手に順応して説く)
仏所出の言
(仏直接の言葉)
いまだ虚妄ならず仏の所知
皆ことごとく通達し給えりと信ず

★といえども
諸の新発意(出家間もない)菩薩
仏の滅後に於いて是の語を聞かば
或は信受せずして法を破する罪業の因縁を起こさん

★世尊、願わくは為に解説して
我等が疑いを除き給え
及び未来世の諸の善男子
此の事を聞きおわって
また疑いを生ぜじ」

♦️文の意は
寿量法門は仏滅後〈信じない者〉のために之を請うなりの文

■寿量品にいわく
「或は本心を失える
或は失わざる者あり
心を失わざる者は
此の良薬を色香ともに好きと見て
之を服するに、病ことごとく
除き癒える」

♦️久遠下種・大通結縁、迹門等の
一切の菩薩、二乗、人天等の
本門に於いて得道する是なり

■経にいわく
「余の心を失える者は
其の父の来れるのを見て
歓喜し、問うて、病を治すことを求む

といえども、しかれども
其の薬を与うるに
しかも敢えて服せず

ゆえんは如何ん
毒気深く入って本心を失えるが故
此の好き色香ある薬に於いても
美味からずといえり

乃至、我まさに方便を設け
此の薬を服せしむべし

乃至、是の好き良薬を今留めておく、汝取って服す可し
癒えじと憂うることなかれ

この教をなしおわって
また他国に至って
使を遣わして還って告ぐ」

■遣使還告は四位なり
四位に四類有り
小乗の四位は正法の前の五百年に出現す
大乗の四位は正法の後の五百年に出現す
迹門の四依は像法の一千年

♦️本門の四依は地涌千界末法の始に
必ず出現す可し
今の遣使還告は【地涌】なり
好良薬とは寿量品の肝要たる
【南無妙法蓮華経】是なり
此の良薬をば仏迹化、他方に授与し給わず

仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄・法華経本門寿量品が末法(現在)の究極の経である証文・涌出品、宝塔品

2021-07-21 11:57:43 | 日記
■本門は末法の始りをもって詮(究極)と為す
在世の本門と末法の始は一同に純円なり

但し彼は脱
此れは種なりき
彼は一品二半
此れは但題目の五字なり

問う
その証文如何

答う
■涌出品にいわく
★その時に他方の国土の
諸の来れる菩薩八恒河沙の数に過ぎたる
大衆の中において起立し合掌し礼をなして仏にもうしてもうさく

「世尊、我等は仏の滅後に於て
娑婆世界に在って精進し是の経典を
護持し
読誦し
書写し
供養することをゆるし給わば
まさに此の土に於いて
広く之を説き奉るべし」

★その時に仏
諸の菩薩に告げ給わく
止め❗️善男子❗️汝等が此の経を
護持することをもちいない

■宝塔品にいわく
大音声をもって四衆に告ぐ
誰かよく此の娑婆国土に於いて
広く妙法蓮華経を説かんものあるか

たとえ教主一仏為りといえども
之を奨勧(すすめ、励まし、褒め)し給わば、大菩薩、梵天、日月、四天等は之を重んじもしない処へ
多宝仏、十方の諸仏・十方の諸仏
客仏として諫暁(誤りを指摘し諭し、妙法蓮華経に改宗)し給う
諸の菩薩等は此の付属を聞いて
「我不愛身命」の誓言を立つ

★此等はひとえに仏意に叶わんが為なり。而るに須臾(しばらく)の間
過八恒沙の此の土の弘経を制止し給う
進退これきわまり(どうにもならない苦境)凡智に及ばず

★天台大師釈
所詮迹化他方の大菩薩等に
我が内証の寿量品をもって
授与すべからず

末法の初は謗法の国にして
悪機なる故に之を止めて
(釈化他方の大菩薩に授与やめて)
地涌千界の大菩薩を召して
(久遠の過去の地涌菩薩を召して)
寿量品の肝心たる
妙法蓮華経の五字をもって
閻浮(人間界)の衆生に授与せしめ給う(衆生も久遠に種子持つ仏弟子だから)
迹化の大衆は釈尊初発心の弟子等に
非ざる故なり

天台大師いわく
「これ我が弟子なり
まさに我が法を弘むべし

妙楽いわく
「父子の法を弘む世界の益有り」

輔正記にいわく
「法是れ久成の法なるをもっての故に、久成の人に付す」


仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄・法華経本門を基本に法華経迹門を見れば、末法の凡夫のための経文が顕れる

2021-07-21 10:35:46 | 日記
■法華経迹門の正宗分は
二乗をもって正と為し
菩薩凡夫をもって傍と為す

再往之を勘うれば
(再び繰り返し考えれば)

凡夫、正像末をもって正と為す
正像末の中でも
末法の始をもって正が中の正と為す

問う
その証如何

答う
法師品にいわく
「此の経は如来の現在すら
怨嫉多し、いわんや滅度の後をや」

宝塔品にいわく
「法をして【久住】せしむ
来れる所の化仏当に此の意を知るべし」

迹門かくの如し

■本門をもってこれを論ずれば
一向に末法の初をもって
正機と為す

いわゆる
一住の是を見る時は
久種をもって下種と為し
迹門を熟と為して
本門に至って妙に登らしむ

再び住之を見れば

迹門には似ず
本門は序分・正分・流通ともに
末法の始りをもって
詮(究極)と為す

在世の本門と末法の始は
一同に純円なり
但し
彼は脱
これは種
彼は一品二半
これは但、題目の五字なり