るるの日記

なんでも書きます

仏法研究・私は【信じる】でなく【思い出す】なのです

2021-07-07 16:14:33 | 日記
♦️五濁(ごじょく)

にごり

★刧濁
時代の濁り
飢饉・疫病・戦争が起こり、時代そのものが乱れる
一年、五年、十年百年、二百年

★衆生濁
社会全体の濁り
※無免許運転の政治家が事故を起こしても、辞職しない

※秋篠宮眞子さまと小室圭さんの結婚問題外


★煩悩濁〈本能的迷い〉
貪・瞋・癡・慢・疑

自分の利益ばかり貪るように求めて、他人をかえりみない

事態を冷静に判断できず、すぐ感情的になり、生活を破壊する

目先のことばかりにとらわれ、自分の一生を台無しにする

少々のことを葉なにかけ、正しいものを受け入れない

何でも疑いの目を向け、自暴自棄になる

★見濁
才知ある邪見、思想的な迷い

★命濁
生命自体の濁り
生命力が弱まり意欲がなくなっていること

♦️濁りの原因、対策

日蓮のたぐいは此の五濁を離るるなり、我此土安穏なれば刧濁にあらず
〈世間がどんなときでも、南無妙法蓮華経を受持しきれば、我此土安穏な仏国土となる〉

実相無作の仏身なれば衆生濁にあらず、

煩悩即菩提生死即涅槃の妙旨なれば菩提濁にあらず、

五百塵点刧より無始本有の身なれば、命濁にあらず、

正直捨方便但説無上道の行者なれば見濁にあらず、

所詮南無妙法蓮華経を境として、起こる所の五濁なれば、日本国の一切衆生五濁の正意なり
法華経不信の者をもって、五濁障重の者とす

♦️るるの私見
新型コロナの原因が、ウィルス兵器だったと仮定したら、疫病戦争が引き起こされたということになる。たとえそんな世の中であり、自分が新型コロナ肺炎で危篤に陥ったとしても、私は我此土安穏ではある(本音を言えば私は早くこの世をおさらばしたい。放棄型)。しかし私以外の身近な人がそのような状態になると、平静ではいられず我此土安穏は崩れる。。

法華経を法華経ととらえただけでは私は受け入れられない

法華経は【私に備わる、完全な智慧と慈悲もつ命】ととらえることで、安心感と勇気がわいてくる。完全なる智慧に問い、完全なる慈悲に支えられていることから、安心感と力がわくのです。それは信じるではなくて、【思い出す】なのです



仏法研究・十二因縁・現在すでに来世の運命・宿命は定まりつつある

2021-07-07 14:57:22 | 日記
■十二因果
三界における迷いの因果を12に分けたもの

私は三界(欲界・色界・無色界)という六道を迷いながら輪廻している。今回は人間界に生まれて、迷いながら生きてる

1
無明【過去の因】
無明は、過去世の無始以来持つ煩悩

2
行【過去の因】
過去世に善悪の行いを積み重ね、業として持つ

3
識【現在の果】
母の胎内に五陰として入った
〈五陰〉
色・受・想・行・識
色→肉体
受→感受
想→受け入れたものを常に想い忘れない
行→想によって起こす
識→以上のことを内より起こさせる意識、自動的に起きる

4
名色【現在の果】
心身が胎内で発育していく
まだ四根(眼・耳・鼻・舌)はない

5
六処〈六入〉【現在の果】
六根を具足した
胎内から生まれ出よう
(眼・耳・鼻・舌・身・意)

6
触【現在の果】
苦楽の分別なく、物に触れる

7
受【現在の果】
6歳以後、苦楽等を識別して受ける

8
愛【現在の因】
14歳以後、愛欲が生ずる

9
取【現在の因】
成人し、事物を貪り欲する

10
有【現在の因】
現世の因により、来世の果を定める

11
生【未来の果】
来世の生を受け、母の胎内に入る

12
老死【未来の果】
来世に老い死ぬ

♦️この12因縁が連鎖のように連なって、生まれ、死に、たえず六道の苦海を流転する〈流転の12因縁〉

根本の無明を滅じて、煩悩を断じていくのを〈還滅の12因縁〉

中有界、天上界、無色界には12因縁はない

♦️既に私は来世の因を積み重ね、来世の運命・宿命の3分の2くらいは、現時点で定まっているようだ




仏法研究・三界をさ迷う境涯と、人間界にとどまる未成仏霊

2021-07-07 13:56:53 | 日記
■三界とは

★欲界
下は地獄~上は天上界の六欲天まで
食欲、性欲など存在する境涯

★色界
欲界の外の浄妙の色法
すなわち物質だけが存在する
天上界の一部

★無色界
物質のない精神の世界
最上の天上界
それでも迷いの世界?

悪い思想のために、迷いの煩悩に禍されて、いつまでも六道(三界)輪廻(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)を繰り返している


■私は人間界という欲界で生きてる。寿命が尽きて死んだ瞬間から49日後までに、六道のどこかで生まれる。49日間が人間界に存在できるタイムリミット。しかし人間界への執着が大きいか、死んだことに気づいていない、認めたくないという気持ちが強いならば、私はタイムリミットのルールを破り人間界に留まり続ける。49日までは思いに変化が伴うが、49日すぎると思いは変化することを停止し、死んだ瞬間の残念な思いのまんま固まり、地縛霊、浮遊霊として人間界にさまよう。

人間は元々迷いの凡夫だ。死んでも迷うのは無理もないのかもしれないが、49日という期間は「あきらめ」「飽きる」「前向き」など何らかの心の変化が起きて、次のステップに進むようになる。だけど、人間界に留まり続けてしまう霊は、その思いのままに固まり、ずっと変化なく存在しなければならない。

その霊は風化して消滅するのか?霊能者に浄霊され、行くべき処へ導かれるまで存在するのか?それとも時期がきたならば神仏が救ってくれるのか?




仏法研究・法華経と浄土真宗の共通点は他力にあった【無作】

2021-07-07 11:11:21 | 日記
■妙法蓮華経の当体(ありのままの本性)とは、妙法蓮華経を信じる日蓮が弟子檀那等の肉親是なり。正直に方便を捨てただ法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱える人は
煩悩、業、苦の三道が
【法身、般若、解脱】の三徳と転じて
【三観、三諦】が即一心に顕れ
其の人の所住の処は寂光土なり

★法身
仏の本体、真理の身体
色も形もない真実そのものの体

★般若
全ての事物や道理を明らかに見抜く智慧

★解脱
解放、自由、

★三観
空観・仮観・中観、
3つの立場からの物の見方、考え方で、あらゆる事象が真理にかなっていることを体得

現象世界を空観で否定
現象世界を仮観で肯定
両者が伴い真理を把握

★三諦
空・仮・中



■【能居所居、身土、色心、倶体倶用、無作の三身の本門寿量の当体蓮華の仏】とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり。是れ即ち法華の当体、自在神力の顕す所の功能なり。敢えて之を疑う可からず

★能居所居(のうごしょご)
※能は能動的に働きかける立場
法を説いた仏は、能説の教主
説き明かす文や教えは、能詮

※所は受動的に働きかけられる立場
説かれた法は、所説の教法
説き明かされる義や理は、所詮

★身土
人間の体と、人間の暮らす土

★色心
肉体と心

★倶体倶用
体は本体
用は働き
これを共に備えている

★無作の三身
無作→つくろわず、はたらかさず、ありのまま

三身→法身・報身・応身

無作の三身なれば初めて成ぜず、これ働かざるなり

生命は法身(命)、応身(肉体)、報身(智慧)の三身を具している。法身は永遠は諸経で説き明かされている

★本門寿量
寿量品で初めて、三身がそのままの本有常住であると、三身の常住を説いた。三身の常住は仏法の核心であり、一身即三身の無作三身如来は、別しては日蓮大聖人である
🤔【るるは、人はみな一身即三身の無作三身如来、という要素を持つと思う。日蓮大聖人だけではなくて】

★当体蓮華(ありのままの本性である蓮華)
※総じては宇宙の森羅万象と一切の現象が当体蓮華であり、妙法蓮華経である

※三千世間の妙法の当体を蓮華と名づけるがゆえに当体蓮華という

三千世間である宇宙の森羅万象の当体は妙法であるを蓮華といい、その当体蓮華とは森羅万象

一切衆生の胸間の八葉を蓮華と名づけ、これを当体蓮華という。一切衆生の生命は妙法蓮華経。妙法蓮華即当体蓮華であることを私たちの肉体の中から見いだした

🤔るるの私見
これも3=1の構造だ
♦️宇宙の森羅万象(身体)と現象
♦️妙法(当体蓮華)
♦️生命



■この御文について日寛上人
三観三諦即一心に顕れの文
三諦はこれ境
三観はこれ智
故にただ法華経を信じて南無妙法蓮華経と唱えれば、即【本地難思】の境地の妙法を即我等が一心に悟り顕し、本門寿量の当体の蓮華仏と顕わるなり。これを【本覚無作の一心三観】と名づくるなり
〈本門実証の時は無思無念にして、造作することなし。故に無作と云うなり〉
ゆえに御本尊を信ずる者は一心三観の観念観法を要せずして、信心によってただちに大御本尊の偉大なる対境の中へ入りうるのである

★本地難思
※本地→本体
※難思→心も言葉も及ぶことができない仏の悟りの境地

🤔るるの私見
難思を簡単に「妙法蓮華経」で顕したということか。

★本覚
本来の覚性
一切衆生に本来的に備わる悟りの智慧

★無作
つくろわず
はたらかさず
ありのまま

★一心三観
空観・一切の存在に実体がない
仮観・一切の存在は仮に現象してる
中観・この2つは1つだ
という真理を同時に体得する

🤔るるの私見
法華経は自力だというイメージだったが、浄土真宗と同じ「はからず」の他力だったのが嬉しい共通点だ

日蓮正宗創価学会仏法研究・総の三諦は私たちの中に常住不変

2021-07-07 08:51:12 | 日記
♦️三世の諸仏の意図は
【総の三諦】を説き、衆生にこれを悟らせるために出世された

※三世の諸仏
過去・現在・未来の三世に渡って存在する一切の諸仏

■三世諸仏総勘文教相廃立
※勘文
朝廷から依頼された学者が、調査報告した文、、がはじまり

※教相
釈尊一代の教法の特徴

※廃立
臣下が勝手に今の君主を辞め、別人を君主とする

🤔るるの私見
「日蓮大聖人がそれまで主君としていた釈尊を辞め、妙法蓮華経を主君とした、、ということかな」

〈内容〉
★頓・漸・円は三教
これ、一代聖教の【総の三諦】なり
頓・漸は(釈尊の)42年の説
円は8年の説
合して50年
この外に法無し

★総の三諦とは
たとえば
珠と光と宝の如し
この三徳あるによって
如意宝珠という
ゆえに総の三徳に譬う

如意宝珠の三徳を別々に取り放さば
何の用にも叶うことはない
方便教の宗もまたかくの如し
珠をば法身に譬え
光をば報身に譬え
宝をば応身に譬う
この三徳を分別して宗を立てるを
不足と嫌うなり
これを丸じて一を為すを総の三諦と云う。此の総の三諦は
【三身即一の本覚の如来】

★※寂光(真の智の光の寂光土)を鏡に譬え

※同居(どうこ・聖者も凡夫も一緒に住んでいる)と

※方便(真実でない浄土)と

※実報(真実の報土)の

三土をば鏡にうつる像に譬う

四土も一土なり
三身も一仏なり
今は此の三身と四土と和合して
仏の一体の徳なるを寂光の仏と云う
寂光の仏をもって円教の仏と為し
円教の仏をもってうつつの実仏と為す。余の三土の仏は夢中の権仏なり

(※頓・漸・円は一代聖教の総の三諦
※光、宝、珠は総の三諦
※法身・応身・報身は総の三諦
※三身と四土和合し、寂光の仏となり、円教の仏と為し、実仏と為す)

これは三世の諸仏の、只同じ語に勘文したまえる総の教相なれば、人の語も入らず会釈もあらず。もし之に違わば三世の諸仏に背き奉る大罪の人なり、天魔外道なり、永く仏法に背くが故に之を秘蔵して、他人に見せざれ

🤔るるの私見
3=1だという【総の三諦】の教義があるからこそ、一般の凡夫も仏になれる。だが、それを説かないお坊さんは三世の諸仏に背く大罪の人だと、日蓮大聖人は述べている。昔の一般庶民が知識や情報を得るには知識あるお坊さんの説法からだけだから、このことは大事だった。今は情報はネットで簡単に得られ、たくさんの情報から正しい情報を得ることが大事だ

★三世の諸仏はこれを一大事の因縁と思し召して、世間に出現し給えり
一とは中道なり、法華なり
大とは空諦なり、華厳なり
事とは仮諦なり、阿含・方等・般若なり
総の三諦なり

之を悟り知るとき仏果を成ずるが故に、出世の本懐成仏の直道なり
因とは一切衆生の身中に総の三諦あって常住不変なり。此を総じて因と云うなり
縁とは三因仏性は有りといえども、善知識の縁にあわざれば悟らず、知らず、顕れず。善知識の縁にあえば必ず顕るるが故に縁と云うなり

しかるに今此の一と大と事と因と縁との五事和合して、あい難き善知識の縁にあいて、五仏性を顕さんこと何の滞りか有らんや

■釈尊の化導の次第は
阿含より般若までは仮諦を
華厳において空諦を
法華において中道を説き
一大聖教をしめくくって
総の三諦を完成した

■日蓮大聖人は、久遠元初の自受用報身如来として、文底下種の仏法を、一幅の大御本尊として顕され、本未有善の我等に賜いて、三世の諸仏と一心に和合して、妙法蓮華経を修行し、障りなく開悟す可し

🤔るるの私見
日蓮大聖人の顕された大御本尊には、呪術的な施しがされているのか?それとも信じる力が発動し、心理的に影響を与えるのか?

一切衆生の中に【総の三諦が常住不変】。これが大御本尊に縁して顕れる。。というが、その理屈を全く知らない、興味ない人が大御本尊を前にしても変化があるのか実験してほしい。